世の中の誰かが、この方法を探しているのかもしれない

ここでは、私・伊藤が、ありのまま認める×EFTを提供することを決め、セッションを開始するまでの迄の道のりについて書いております。


ありのまま認める×EFTのセッションは、2009年に私・伊藤が、7年かけても立ち上げられなかったアイホージュを、いわゆるネガティブと呼ばれる自分の思考や感情・言動等をEFTの手法を使って、ひたすらありのまま認め満たして、7か月で立ち上がったことが土台となっています。


当初、全く予定にはなかったEFTのセッションの提供を決めたのは「もしかしたら、世の中の誰かが、私の使った方法を探しているのかもしれない」と思ったからなのです。

頑張っていれば、いつか何とかなるんじゃないか

2001年、30歳の時に正社員の職を辞め、東京に出て、中国推拿の学校に入りました。


そこを起点として色々と取組んだことを、サロン作りへ繋げる予定でした。
上京する前のプランは、漠然と『物事が自分の思い通りに、順調に進んでいく』です。


ですが、実際のプランの進み具合は思い通りでもなければ、順調でもありませんでした。

2005年。東京に居た頃のことです。


フルタイムで一般事務職・営業事務職として勤務する傍ら、夜間や土日はリラクゼーションサロンで働いたり、起業に関する講座に出たりと言った具合に、スケジュールを詰め込みながら、このまま頑張り続けたらいつか起業できるのではないかという思いと、私には無理だという思いをぼんやりと抱きながら、忙しく過ごしていました。


『やりたい事をやる=ワクワク・ドキドキ・楽しい』と思い込み、これらの感覚が自分の中に生まれるかどうかを基準に、物事に取り組んでいました。


何故、そういう思い込みをもって動いていたのかというと、ワクワク・ドキドキ・楽しいという感じで、わかりやすい変化が次々起きて、やりたいことを成していくように見えていた友人・知人が身近にいたからです。


当時の私には、その人達の表面しか見えていませんでした。


他にも、やりたいことをやっている時には、とにかくやりたくて仕方がないと言った感覚が、自分の中に、必ず生まれるものだという思い込みもありました。


でも、東京でやりたい事をやっているはずなのに、私にはワクワク・ドキドキ・楽しいという思いも、とにかくやりたくてやりたくて仕方がないと言う思いも、一切生まれないのです。

 

代わりに、湧くのは、焦燥感や恐怖心、将来への心配といったものばかり。


でも、不安や恐怖、心配事が思い浮かんできても、どうやっていいのかがわからなかったので、極力見ないように努めていました。


このような現状を何とか変えたくて、色々な情報を集めたり、本を読んだり、講座を受けたりしていたのですが、私の中で問題が起きていました。


学んで良かった、仲間が出来た、楽しかった、ためになったといった思いは沢山あったのですが、講座や本で学んだことが、起業に、どうやっても結びつけられないのです。


何故、出来ないのかを考え、私なりに出した答えは『私には努力も、力も、自信も、資金も、修行も学歴も、職歴も足りない。あれもこれも足りない。そもそも小さい頃から、あれもこれもダメだった・・』でした。

 

いわゆる完璧で、理想通りで、全てが自分の思い通りにならない限り、サロンは出来ないと感じていました。

 

でも、過去を悔やんでも、今更どうすることも出来ません。


とにかく今、頑張るしかないと思いながらも、優秀・出来ると感じる人と自分とを比べては、自分に足りないものばかりに意識が向くのです。

 

そんな中「心機一転、もっと頑張ろう」と思い、都内で引っ越しをしました。

 

その2日後、夏休みのつもりで青森に帰省したのですが、思いがけないことが起きました。

 

心の整理がつかず、気持ちが全くついていかない状態で、どうするか悩んだ結果、2日しか住んでいない新居を引き払うことを決め、私の東京生活はあっけなく終わりました。

 

道半ばで青森に戻ることになったので、お先真っ暗な状態の中、起業に関する講座の講師の言葉を思い出した私は、数か月後、営業職に就くことにしました。

疑問が増えるばかりで、問題解決に至らない

2006年。

 

仕事中に自動車を運転し、赤信号で停止していた際に、大型トラックに追突される事故に遭いました。

 

後遺症が生じた事によって仕事を辞めたのですが、自分の思考や感情といった内側が混乱し、自分を立て直そうとしても、どうやっても立て直せないと感じる時期が2年以上続きました。

 

好きなことや、楽しいことをしようと言われても、好きなことや、楽しいことがわからない。
漠然とした不安や恐怖が大きく、頭の中では、沢山の悩みごとがぐるぐる回る。


自分が、どうしたいのかが、わからない。
どこに行きたいのかも、わからない。
どうなりたいのかも、わからない。
現状維持が精一杯。

 

とにかくポジティブに考えよう、振る舞おう。
思い切って、一歩を踏み出そう。
「こうすればうまくいく!」
といった様々な情報を得ても、表面上、うまくいっているように装うことしかできず、不自然さを感じていました。


「現在の躓きは、過去に問題がある」といった感じの情報に辿り着いたことがあります。


思い当たる節がいくつもある私は、そうだとしたら、具体的に何をしたらいいのだろうと思いました。


今更、過去に戻って、人生をやり直すことも出来ないし、かといって今のままで良いとは思えない。


躓いている今、具体的に何をどうしたら、自分を立て直せるのかを知りたいと思ったのです。


ところが「感謝する」「自分を責めない」「許す」「手放す」「笑顔」といった感じの内容に、疑問ばかりが湧く始末。


様々な情報に触れては、あれもこれも、色々なテクニックを全て身に着けていないと現状を立て直せないような気がして焦ったり、げんなりしたりする中、私は、下記のようなことをを思いました。


生きる上で、沢山のテクニックとか、心理学とか身に着けていなければ、人間がもともと持ち合わせている力って、活かせないのだろうか。

 

もっと、別の、頭も心も合致した状態で、自然で、現実的で、心から納得のいくやり方ってないのだろうか。

 

「もともと持ち合わせている力を発揮する方法」といった、人間の取り扱い説明書のようなものがあるとしたら、どんなものだろうか。


また、私は「ドン底でした」「人生が変わりました」と謳っている方達の「ドン底」と「変わりました」の「間」に何があるのかを、具体的に知りたいと思っていました。


「間」に何があるのかがわかれば、現状を変えられるのではないかと思ったのです。

 

後に私は、問題解決の方法を編み出す過程で、知らず知らずのうちに、自分の中に生じていた疑問を全て解いていたことに気づくのですが、当時は、私の求める情報に辿り着くことはありませんでした。

「一気に現状が変わることが変化である」という思い込みによって、実際の変化を変化と捉えられなかった時期

私は、過去に一度だけ「思考や、感情をありのまま認め満たすEFT」のセッションを受けたことがあります。


その頃、どうしても受け入れ難いと感じることが近々起きると知って、思考や感情といったものが、とても混乱した状態にありました。


セッション前に、EFTが単純なやり方であることは知っていました。

 

実際にやってみると「こんなもので現状が変わるはずがない」という失望感が大きくなり、セッションを止める始末。


少し時間をおいて、改めてセッションを開始したのですが、何故かわからないけれど
●いわゆるネガティブと呼ばれる自分の思考や、感情をEFTの手法を使い、ありのまま認め満たすと、両胸の間に、今まで体感したことのないような、清涼感が生まれる
●言葉と体感が連動する
●自分の現状は何一つ変わらないのに、周囲の景色が今までとは違って見える
という経験をしました。


セッション前にはどうしても受け入れ難いと感じていたことが、セッション後には受け入れられる状態になったのと、「この先、何とか生きていけそうだ」と感じて、すごく安堵したことを覚えています。


ただ、EFTを受けたからといって、私の人生の見通しが明るくなった訳でもなく、抱えているいくつかの問題が解決した訳でもなく、わかりやすく何か良いことが起きた訳でもありません。


セッションで生じた変化は、確かに嬉しかったのですが、それまで「変化」とは「●●をすれば、現実が一気に変わること」と漠然と捉えていた為、拍子抜けしたような感覚がありました。

 

日常生活に戻ってからは、事故に遭ってから、すっかり減退していた「人生に対する意欲」がほんの少し、顔を出すようになりました。


当時の私にとって「意欲」とは、やりたくてやりたくて仕方がないといった勢いのあるものといった、漠然とした強いイメージがありました。


その為、「ほんの少しの人生に対する意欲」を「意欲」と捉えることが出来なかったのです。


また「ほんの少しの意欲」に「ほんの少しの行動」を繋げることで、意欲を現実化した「ほんの少しの変化」や、「ほんの変化の積み重ね」も生じていました。


今振り返ると、この頃の私は、確かに変化の過程にあったのです。

 

ただ、私の中にあった「現実が一気に変わるといった、わかりやすい変化のイメージ」があまりに強すぎたので、実際に起きていた「ほんの少しの変化」を「変化」として捉えることが出来ませんでした。


その為、セッション前と、何ら変わり映えのない毎日を過ごしているように感じ、EFTを受け、今までとは違う感覚を得たところで、私の人生は何も変わらないと思っていたのです。

今までと同じやり方だとだめなんだと気付く

セッション後、変わり映えのない毎日を過ごす中で、私は、2年以上に渡り続いていた交通事故の被害者の立場を終える為に、心からの納得を求め、助っ人に助言をもらいながら、自ら取り組みに着手しました。


助っ人は誰でもよかった訳ではありません。
納得して終わることを目的に、私が選んだ方です。


基本的に助っ人は、私がどうしたいのかに沿って、何をする必要があるのかを書面で説明してくれるのみ。


それを実行するかしないかは、私が決めることです。


被害者の立場を終える以前に、やる必要のあることが色々あったのですが、初めて助っ人から「あなたは、どうしたいのですか?」と聞かれた時、私は、ものすごく困りました。


納得したいというのはわかっているけれど、具体的にそれがどういうことなのかはわかっていなかったし、自分がどうしたいのかが、全くわからなかったからです。


同時期、助っ人からやる必要のある事を提示された際に、私は「やりたくない」と答えたことがありました。


私は、助っ人のスタンスを理解した上で依頼をしたにも拘わらず、「納得したいけれど、面倒なことは一切したくない。私の都合の良いようにしてほしい。」と心の中で、ぼんやり思っていました。


なので私の「やりたくない」という言葉を通じて、助っ人が私の思いを察し、私の都合の良いように動いてくれることを漠然と期待していたのです。


その時、助っ人から「やりたくないなら、やらなくていい。これはあなたの問題で、私の問題ではない。あなたがやろうがやらまいが、私には関係がない。」と言われて、私は、初めて「今までと同じやり方だとだめなんだ」と気づきました。


そこから、何とかして自分の答えをひねりだして行動に繋げたり、やりたくないと思っても、この先に行く為にやる必要のあることをやったり、わからないことは助っ人に聞いて、ひとまずやり通したりといった具合に、地道な作業を1つずつ積み上げていきました。


途中、面倒くさくなって「お願い!誰かやって!」と思い、投げ出す時もありました。


でも、投げ出したところで、やると決めたのは私ですし、実際にやるのは私しかいません。


もちろん、誰かに全て任せる方法もあるのですが、それだと私の求める納得は得られないと最初からわかっていたので、しばらく休んでから、また取り組みをしていました。


相変わらず、何をしたら心から納得が出来るのか、言葉で説明できる状態にはありませんでしたが、私の中には「納得の感覚」が確かに存在していました。


だから、何かある度に、その感覚を通じて、自分はどうしたいのかを問いかけていました。

 

途中、どうやっても納得できないと思うことがあったのですが、自分を曲げるのでもなく、抑えるのでもなく、周囲に対し尊大になるのでもなく、一方的になるのでもなく、最終的に心からの納得を得ることが出来たのです。


詳しくは後述しますが、現在、ありのまま認める×EFTでは「2つの基盤」に沿って、セッションを提供しています。


「2つの基盤」は、セッションを提供する過程で割り出したものなので、この頃の私は、基盤自体を知らないのですが、この時の心からの納得は、基盤に沿った形で得ていたのです。

納得の感覚を求めて、サロンの立ち上げを決める

私が、サロンを立ち上げを決めたのは、「被害者」の立場を終える日の朝でした。


納得いく結論に至ることがもうわかっている状態で、清々しい、満足した気持ちでいた時に、ふと「サロンを立ち上げたい」という思いが自分の中から湧きました。


後遺症が生じたことや自分をどうやっても立て直せないことで、立ち上げ自体諦めていた私は、いつものように「無理だって」と思ってやり過ごそうとした時、あることに気づきます。


「納得して、被害者の立場を終えたい」と「サロンを立ち上げたい」って、同じ感覚だ。


だとしたら、この感覚をどこまでも追い求めたら、サロンを立ち上げられるのではないか。


心身ともに参った私だからこそ出来ることがあるのではないか。


納得を追い求め、地道な行動を積み重ねて、心から満足する結果を得た経験をしたことで、このような考えに至ったのですが、もし、納得を追い求めずに、誰かに全て任せる選択をしていたら、恐らく「心身ともに参った私には無理だ」と思って、いつも通り立ち上げを諦めたと思います。

EFTって、日常生活の色々な場面で使えるんだ!!

サロンを立ち上げると決めたまでは良かったけれど、その後、何から始めていいのかわからないという思いや、迷いとかやっぱりやりたくないといった思いが、次々湧きあがってくるようになりました。


立ち上げに関しては、後に引くことが出来ないと感じる状態だったので、前に行くしかないのだけれど、自分のこれまでの人生を振り返ると、このままの状態で前に進めるとは思えませんでした。


行くも戻るも、立ち止まるも地獄と感じる中、何かしようと思って、1人でEFTに取り組むことにしたのです。


サロンを立ち上げることを決めた後に、EFTを習う機会を得ていたので、やり方は知っていたのですが、習った際に、同じ「EFT」の手法を使っていても、提供者によって手法に乗せる中身が全く違うことを知りました。


セッションを受けた時に使っていた固定フレーズ(EFTで使う言葉)を覚えていた私は、2通りのやり方を使い、比較してみることにしました。


基本を押さえた上で、自分の中に生まれる清涼感や納得を求めて、言葉を選び、タッピングして、変化のあるなしを確認することを繰り返し、納得する感覚が生じる方を選びました。


EFTは「辛い感情を消し去る」と言います。


最初は感情のみに焦点を当てていたのですが、その過程で、次、次と色々なことが思い浮かぶようになりました。


まさか、後にEFTのセッションを提供することになるとは思ってもみなかったのと、この時期、時間だけはあったので、次、次と思い浮かぶ思いを感覚に沿って言語化して、EFTの手法に乗せて使うということに、ひたすら取り組んでいたのです。

 

この取り組みによって、EFTは感情解放だけではなく、日常の様々な場面で使えると気づきました。


異なる2つのやり方を知っていたことや、誰かに提供することが前提ではなかったことから、1人で自由に使っていましたが、もし、1つのやり方しか知らなかったり、最初から誰かに提供することを考えていたりしたならば、私は「EFTとはこういうものだ」と捉え「やり方を忠実に守れば、変化が生じる」と思い込み、「やり方を忠実に守ること」ばかりに意識を向け続けたかもしれません。

 

EFTに取り組んでしばらくすると、日常生活の色々な場面で、今までは当たり前だと思っていた、自分や周囲の言動に度々疑問を持つようになりました。

 

自分の中に生じる疑問を解くと、今までとは違う、もっと心地よいやり方があると気づくのです。

 

気づいた新しいやり方を試すことに抵抗を覚える自分にEFTをしてから、実行し、新しく得た結果を眺めて、自分の変化を楽しむといった具合に、私は、すっかりありのまま認める×EFTの面白さにはまっていったのでした。

世の中の誰かが、この方法を探しているのかもしれない

サロンを立ち上げるにあたり、推拿を提供することは初めから決めていたのですが、EFTのセッションを提供するのを決めることになるとは、ちっとも思ってもいませんでした。


当時私は、推拿の他に、もう1つ何か提供したいと考えていました。


すでにリラクゼーション自体、飽和状態になりつつあると感じていたので、推拿だけで展開することは考えられなかったからなのです。


そこで、自分が愛用しているある商品を販売したいと思ったのですが、当時の私の状態では、在庫を抱える余力が一切なかったので、断念しました。


どうしよう・・。

 

在庫を抱えることなく、「今の自分が、すぐに出来ること」として、EFTが浮上しました。


・・・絶対ヤダ。
怪しいことをやっているって思われるなんて絶対にイヤだ。

 

ぜーったいやりたくない!!!!


そう思ったのですが、この頃の私には、これ以外の選択がありませんでした。


その為、EFTを使い、セッションの提供をすることへの抵抗を、ありのまま認め満たすことにしたのです。


抵抗に折り合いがついた時点で、ふと、こんな事を思いました。


私の使った方法を、世の中の誰かが探しているのかもしれない。


冒頭で述べたように、自分を立て直そうと思って、沢山の情報を集めても立て直せず、疑問ばかりが増える中、「何故かわからないけれど、自分で自分をありのまま認め満たすことで、変化が生じた」この方法を、以前の私と同じような状態にある誰かが、もしかしたら探しているのかもしれないと思ったのです。

 

抵抗を認め満たさなければ、思いつかなかったことでした。


もし、誰も欲しいと思わなければ、それはそれで良いや。


ただ、誰もがサロンを立ち上げたいと思っている訳ではありません。


そこで、変化に至る前後の自分の視点・思考・言動等を言語化し、変化の再現性があるのかどうかを考えました。


再現性がないのであれば、納得した上でのサービス提供は出来ないと思ったのです。


●自分が、サロンを立ち上げたいという思いに沿って生じた、いわゆるネガティブと呼ばれる思考・感情等をありのまま認め満たしたら、サロンが立ち上がった。


●クライアントさんが、どうしたいのかは、クライアントさんが知っている。
だから、クライアントさんがどうしたいのかを引き出して、クライアントさんが、どうしたいのかに沿って生じる、いわゆるネガティブと呼ばれる思考・感情等をありのまま認め満たせば、クライアントさんがどうしたいのかに向かって進むことができる。


これなら、私とクライアントさん達の持ち合わせている特性・条件・望む何かといったものが異なっていても大丈夫だと判断し、当初提供する予定がなかった「EFT」を、サロンのサービスに加えました。

自分で自分をありのまま認め満たすこの先に何があるのかを見てみたい

サロンの立ち上げに関しては、立ち上げるという目的に向かって、迷いや、やりたくないといった抵抗(自分の思考・感情等)を1つずつ認め満たす作業をするようになりました。


この作業によって、抵抗に折り合いをつけて、自分が立ち上げに納得した上で、必要な行動をする という流れを積み重ねるうちに、サロンが立ち上がりました。


頭の中で、漠然とイメージしていた立ち上げとは、全く異なっていました。


わくわく、楽しいどころか、抵抗に折り合いをつけてばかり。


やりたいことをやるというより、消去法で、行かざるを得ない道しかない。


完璧とか理想通りとか、思い通りとか程遠く、ないない尽くしの中で、頭をひねり、今できることを1つずつ積み重ねるといった感じでした。


文字に起こすと、苦行しているみたいですね。


確かに最中は苦しかったこともありますが、それ以上に、沢山の実りを得られました。

 

EFTを使い、1人で立ち上げを終えてみて「0から1を生み出し、+1、+1・・」と繋げることが自分にも出来るとわかり、この先、何があっても、どこからでも対応できるという思いが生まれました。


でも、何故、自分で自分をありのまま認め満たすことが、サロンの立ち上げに繋がったのかが、全くわからなかったのです。


自身の変化が、あまりに面白かったから、何故、自分で自分をありのまま認め満たすことで変化が生じたのか理由を明らかにしたい、自分で自分をありのまま認め満たすこの先に何があるのかを見たいと思いました。


その思いを抱いた時に、私はあることに気づきます。


「納得して、被害者の立場を終えたい」と「サロンを立ち上げたい」と「自分で自分をありのまま認め満たすこの先に何があるのかを見たい。」って、同じ感覚だ。


だとしたら、この感覚をどこまでも追い求めたら、私は、この先に、何があるのかを見られるのではないだろうか。


結果的に私は、この感覚を頼りに、この先に何があるのかわからないまま、自分で自分をありのまま認め満たしながら、1つ1つ手探りで進み、現在提供している「問題解決の方法」に辿り着きました。

 

今もなお、自分で自分をありのまま認め満たす、この先に向かって取り組みを続けています。

セッションを展開する

もともと私は、自分の問題や悩みは自分で解決したいと思っていたのと、サロンの立ち上げを1人で行ったこともあって「EFTは、慣れたら1人で出来る」を謳い文句に、セッションを提供し始めました。


広告は一切出さず、知り合いのお店にチラシを置くのみ。


ありのまま認める×EFTを必要とされる方に、どんなものなのか内容が伝わるよう、ホームページやブログに自身に生じた変化を綴ることによって、国内外から問い合わせや予約を頂いたり、クライアントさんからご紹介を頂いたり、やり方を教えてほしいという依頼を頂くようになりました。