「疑問」は「望み・願い」でもある

ありのまま認める×EFTの取り組みを始めて10年以上、経ちます。

その年、時によって、EFTのテーマが異なるのですが、去年(2018年)は「自分のルーツを探る」でした。

ちなみにテーマは自分が決めている訳ではなく、自分で自分をありのまま認め満たすことの連続・積み重ねの先に生じていました。

1つのテーマが終わる時はわかりやすく区切りがあることもあれば、ない時もあります。

時折「ところで、何でこれをやろうと思ったんだっけ?」という疑問が出ることがあるのですが、これは私にとってテーマが終わった時の合図です。

例えば
2015年に「何で、自分で自分をありのまま認めるこの先に来たいと思ったんだっけ?」
2018年に「何でアイホージュを立ち上げようと思ったんだっけ?」
と思ったことがありました。

それまで
「自分の変化が面白かったから、自分で自分をありのまま認め満たすこの先に、何があるのかを見てみたい。納得の感覚を追い求めたら、この先に行けるはず!」

「納得の感覚と、サロンを立ち上げたいという思いに伴う感覚が同じだから、この感覚をどこまでも追いかけて行ったら、立ち上がるはず!」

という思いが「理由」だと思っていた為、理由を知らなかったことに初めて気づいてものすごく驚きました。

でも、何度か経験するうちに慣れてきて、こういう時は
「で、何でやろうと思ったんだっけ。(理由を知りたい)」と疑問を投げかけるのがお約束になりました。

「疑問」とは、言い換えると「望み・願い」でもあります。

「~ってどういうことだろう(それを知りたい)」といった具合に、私にとっては「疑問を解くこと=望みや願いを叶えること」です。

無意識のうちに疑問を抱く。
それを忘れる。
後で答えが返ってくる。
初めて「そういえば、あの時、疑問を抱いたっけ」となる。
ということもありますし

しょっちゅう同じ疑問に意識を向けては「思い出したいのに思い出せない」に似たような、もどかしい感覚を抱いて、1人唸る。
ということもあります。

ありのまま認める×EFTを一言で表すなら

愛子さんに再会することが決まった時、ありのまま認める×EFTを一言で説明するなら、何と表現すればいいのだろうという疑問を抱いていたと書きました。

1週間程唸った後、その答えが出てきました。

「(大人のありのままの)自分が活きると、周りが活きる。」
「自分が幸せになると、周りも幸せになる。」

この答えが出た時、「何で(30歳の時に)会社を辞めたんだっけ?」という、2016年から今年の春にかけて抱き続けてきた疑問の答えも出てきたのです。

「自律が必要だったから。」

つまり
(大人のありのままの)自分が活きると、周りが活きる。
自分が幸せになると、周りも幸せになる。
を実現する為に「自律(自分で自分をありのまま認め満たす)」が必要だから、ありのまま認める×EETをやる。

(なぜ自律が必要なのかは、日記ではなく、ありのまま認める×EFTを説明する記事で改めて触れます)

これが、今の私にとっての「次の目的地となる島」です。

この内容が明らかになった後、愛子さんと少しだけ電話で話す機会がありました。

「一言で説明するなら、自分が幸せになると、周りも幸せになる、なの。
でも、一般的に想像する幸せー平和ーといった感じではなく、自分(の意見を言いつつ)と周囲との(の意見も聞き)違いを尊重した上で、必要があれば合意をし、互いの力を発揮して発展していく、なんだ。」と伝えて、瞑想会当日を迎えます。

14年前の出会い

瞑想会の時、愛子さんが私達の出会いに触れました。

私が愛子さんに初めて会ったのは、2005年の春。
起業塾の同期なのです。

まだ塾が始まる前の、顔合わせをしていない頃に、メーリングリスト(だったと思う)で同期同士、自己紹介をしていたのですが、そこからやり取りが始まり、私が勤めていたリラクゼーションサロンに愛子さんが施術を受けに来てくださったのでした。

そのことは覚えているけれど、やり取りするようになったきっかけって何だったっけ・・。

思い出せなくて、皆の前でそのことを聞く場面があったのですが

「お互い、健康に関することで起業したいと思っていたんだよね。」
「あ、そうだった。」

当時、私は中(国)医学を通じて推拿や食べ物などを、愛子さんはアーユルヴェーダと言った具合に、お互い、興味を持っていた分野は異なるものの、スタート地点のテーマが同じだったのです。

目的が一緒?

皆の自己紹介が終わってから、愛子さんが瞑想について話し始めました。

表現がちょっと曖昧なのですが、愛子さんが
「自分がハッピーになると、周りもハッピーになる。自分からハッピーを発信。」
といった内容を口にした際に

「あれ?(目的が)一緒ってこと?」

電話で話した時は「あ、もう時間だ」と慌ただしく終えた為、「ありのまま認める×EFTを一言で説明する」止まりになり、愛子さんの「自分がハッピーになると、周りもハッピーになる」については聞いていなかったのです。

瞑想って興味がなくていいんだと思った後で、目的が一緒だと知り、より興味が湧いてきました。

その後、実際に瞑想し、感覚をつかんだのですが、だからといって、この時点で、日々の生活に瞑想を加えてみようという考えには至りませんでした。

このタイミングが意味することは?

翌日、確か、岩木山で参拝を終えてからだと記憶しているのですが、愛子さんが
「去年までは瞑想だけって思っていたんだけれど、今年に入って、ツールは何でもいいって思うようになったの。」と話し始めた時

湖で「自分がハッピーになると、周りもハッピーになる」について触れていたこともあって
「うん。目的が一緒なら、ツールは何でもいいよね。」と返したのですが、

この時点の私は、ありのまま認める×EFTを通じて「自分がハッピーになると、周りもハッピーになる」を実現していくのだろうとぼんやり思うに留まり、そこに瞑想を加えるという考えには至りませんでした。

でも、すごくひっかかることがあったのです。

去年の私のテーマは、冒頭で述べたように「ルーツを探る」でした。

仮に去年、愛子さんに再会したとしたら。

お互い「自分のツールに集中していた」ので、どちらも「ツールが何でもいい」とは思わなかったはず。

このタイミングで「目的が一緒」「ツールは何でも良い」ってどういうことだろう。

まあ、すぐに答えが出る訳でもないだろうからと思いつつ、疑問だけは投げかけておこう。

愛子さんを見送った後、瞑想会に参加下さった方とやり取りをする機会がありました。

そこには、「ありのまま認める×EFTをした時と、同じ感覚があった」とあり、瞑想会直後にも聞いてはいたけれど、これって何だろうという気持ちが、だんだん強くなっていきます。

始まりの合図

そこからしばらく、1人で印象に残った愛子さんとのやり取りを振り返っていたのですが、ふと「・・そういえば、愛子さんが私を訪ねてくるのは今回で2回目だ。」

仮に、初めて会った時が「健康に関することで起業する、始まりの合図」だとしたら。

今回は「次の目的地となる島」への始まりの合図ってこと?

だとしたら、なぜ、始まりの合図が愛子さんで、瞑想なんだろう(理由を知りたい)。
そう思った私は、2005年に愛子さんと出会った時から自分の今に至るまでの道のりを振り返ると共に、1日20分瞑想をしてみることにしました。

原初音瞑想

そして、ついに原初音瞑想を受けるきっかけが巡ってきます。

瞑想会が終わってからしばらくした後。

少し遠方にお住まいの、年配のクライアントさんとお会いする機会があったのですが、その際に
「せっかく瞑想会のお誘いを頂いたのに、その日はちょうど〇〇で行けずにすみません。
瞑想なんて全く未知の世界で、もし私が瞑想をしたら、どれだけ世界が広がるんだろうって思いました。」と言われました。

屈託なく笑ってお話になる様子を見ていた私は、全く想像していなかった発言に衝撃を受けたのでした。

どれだけ世界が広がるんだろう
どれだけ世界が広がるんだろう

私の機が熟したのだと思います。