自己実現のモデルって愛子さんだったのか

愛子さんに再会したことを振り返る過程で、ありのまま認める×EFTの「自己実現方法」のモデルって愛子さんだったのか!!

と初めて意識した時、私は、無意識化で愛子さんと共鳴し、互いに引きあったのあろうかなどと考え、人生の絶妙さ加減に胸が熱くなっていたのでした。

その時、「確か、記録を残しているはず!」と思い、2012年頃にアイホージュのサイトに掲載していた「自己紹介」の記事を引っ張りだしてきました!

愛子さんと出会う前のこと~2012年の記録より~

2005年。
東京でフルタイムの事務職として勤務する傍ら、夜間や土日にリラクゼーションサロンで働いていた私は、スケジュールを詰め込み、毎日忙しく過ごしていました。

周りから「頑張っているね」と声を掛けられると、「頑張れそう、この先、何とかなりそう」な気がするのだけれど、実際は何ともなっていない。

このまま頑張っても、うまくいかないんじゃないか。

不安や恐怖が、交錯していました。

このような思いが湧いても、どうしていいのかわからないので、極力見ないように努めていました。

現状を何とか変えたくて、色々な情報を集めたり、本を読んだり、講座を受けたりしていたのですが、私の中で問題が起きていました。

学んで良かった、仲間が出来た、楽しかった、ためになったと思うのですが、「どうやっても、学んだことを起業(自己実現)に結び付けられない」のです。

その方法を探している中で当時参加していた、とある講座の講師が「(うまくやる為には)出来るフリをすればいいのよ」と話したことがありました。

中学生の頃から、やっているフリをし、その場を凌いできたことを悔やんでいた私は「出来るフリじゃなくて、出来るようになりたいの!」と強く思ったことを覚えています。

「どうやっても、学んだことを起業(自己実現)に結び付けられない(だから何をしたら、結び付けられるようになるのか」

「出来るフリじゃなくて、出来るようになりたい(どうしたら良いのか)」

という疑問を知らず知らずのうちに投げかけた私が、次の行動として選んだのが「愛子さんとの出会いとなる、起業塾へ行くこと」でした。

2人の違い

「お互い、健康に関することで起業したいと思っていたんだよね。」

スタート地点が一緒だった訳ですが、ここから愛子さんと私の「違い」が露わになります。

以前も少し触れましたが、初めて会った頃の愛子さんは

「20歳を過ぎてから、望みが叶いやすい体質になった。
望みを叶える法則のようなものがあって、偶然の一致で望みを叶える方法を多くの人に伝えたい。
その方法は、最初に強く願い、明確にイメージして、忘れる。」
といった感じのことを話していました。

愛子さんの方法は「シンプルで最強な、人間の本質の活かし方」そのものです。

この連続・積み重ねによって当たり前に、人生の絶妙さ加減・シンクロニシティ・偶然の一致といったものが生じるというのを、ありのまま認める×EFTを掘り下げる過程で気づいたのですが、これは何度もやるうちにパターンがあるとわかってきます。

うまくいく時は、大抵「想像しているよりもはるかに良い何か」が巡ってきますし、必要な手を打って、うまくいかなければ「うまくいかなくて良い理由がある(後でわかる)」です。

残念ながら当時の私は、愛子さんの方法を使える状態にはなく「最初の段階以前」で躓いていました。

「~を叶えたい」という前向きな希望もなければ、明確なイメージを描くのも出来ません。

でも、うまくいかない未来だけは容易に想像できる、という何とも残念な状態にあったのです。

やりたいことをやっているのに楽しくない

2012年の記録に、当時の私の混乱ぶりが残っています。

私は『やりたい事をやる=ワクワク・ドキドキ・楽しい』と思い込み、これらの感覚が自分の中に生まれるかどうかを基準にして物事に取り組んでいました。

なぜかというと、ワクワク・ドキドキ・楽しいという感じで、わかりやすい変化が次々起きて、やりたいことを成していく友人(愛子さん)が周りにいたからです。

他にも、やりたいことをやっている時には、とにかくやりたくて仕方がないと言った感覚が、自分の中に必ず生まれるものだという思い込みもありました。

でも。
東京でやりたい事をやっているはずなのに。

私にはワクワク・ドキドキ・楽しいという思いも、とにかくやりたくてやりたくて仕方がないと言う思いも、一切生まれない。

代わりに、湧くのは、焦燥感や恐怖心、将来への心配といったものばかり。

なぜ出来ないのかを考え、私なりに出した答えが『私には努力も、力も、自信も、資金も、修行も学歴も、職歴も足りない。あれもこれも足りない。そもそも小さい頃から、あれもこれもダメだった・・』でした。

いわゆる完璧で、理想通りで、全てが自分の思い通りにならない限り、サロンは出来ないと感じていました。

でも、過去を悔やんでも、今更どうすることも出来ません。

とにかく今、頑張るしかないと思いながらも、優秀・出来ると感じる人と自分とを比べては、自分に足りないものばかりに意識が向くのです。

これは「シンプルで最強な、人間の本質の活かし方」とは正反対の、典型的な「自分を活かせない」状態です。

自分に合う方法を求め始める

残念ながら私は、愛子さんの言う望みを叶える方法を、愛子さんと同じ様に使うことが出来ませんでした。

だから、私は、私の現状「自分を活かせない」に合わせた「自己実現方法」を見出す必要があったのです。

その為
「どうやっても、学んだことを起業(自己実現)に結び付けられない(だから何をしたら、結び付けられるようになるのか」
「出来るフリじゃなくて、出来るようになりたい(どうしたら良いのか)」
という疑問を抱いていた私は

  • 「出来るフリ」ではなく、自己実現が「出来る」愛子さんに出会う
  • 愛子さんの自己実現方法を聞いた
  • 「イメージが出来ない、最初の段階以前で躓き、混乱している状態」から、愛子さんの表現で言う「偶然の一致で望みを叶える方法」へ繋げるプロセスとして、「大人のありのままの自分を活かし、根本から悩みを解決した上で、自己実現をし、次に繋げる方法」を形にしていく

流れに乗っていくことになります。

このような流れの中にいるとは知らない私は、起業塾最終日、うまくいかない未来だけは容易に想像出来るという状態のまま、その場を凌ぐようにサロンの立ち上げのプレゼンを終えました。

現状を変える為に再び自分を活かさない選択をする

その後しばらくして、今後を見据えて「どこか厳しいお店で、頑張ろうか」と考え、「心機一転、もっと頑張ろう」と思い、都内で引っ越しをしました。

リラクゼーションの同僚が、いわゆる「厳しい修行」を経ていた話を聞いていたこともあって、全然気乗りはしないけれど、自分をそれ位追い込んだら、技術に、自分に自信が持てるのかもしれない。

自信が持てるようになれば、サロンを立ち上げられるのかもしれないと思っていたからです。

ここで再び私は「シンプルで最強な、人間の本質の活かし方」とは正反対の、典型的な「自分を活かせない」選択をした訳ですが、そのことを知る由もありません。

人間の本質を活かさない選択は不自然な為「頑張っているのに、うまくいかない」という状態になり、方向転換を迫られます。

そのようなことを知らないまま私は、ここから本格的に「大人のありのままの自分を活かし、根本から悩みを解決した上で、自己実現をし、次に繋げる方法」を模索することになります。

日々「想像外」の出来事に戸惑いながら、いわゆるネガティブと呼ばれる思いを抱きつつ、色々な疑問を投げかけ、そのことを忘れた状態で、一つずつ前に進んでいきます。

望み(~を叶えたい)= 疑問(~しりたい、わかりたい)

必要な行動をする

なのですが、実の所、必要な行動をしている時、必要な行動をしていると実感したことはなく、「これで良かったのだろうか」「別の選択の方が良かった」「やらなきゃよかった」「うまくいくとは思えない」と思うことが多かったです。

反対に、不自然な動きをしている時に、周囲から好反応を得ると「頑張れそう、この先、何とかなりそう」な気がして高揚感が湧いていました。

だから、自分を活かせない選択をしてしまうのですが、これをやってしまうと、時間の経過と共に問題が大きくなります。

問題が大きくなっても、その場を凌げる耐性があるので、再び、不自然な動きで頑張ろうとしがちです。

そうすると、さらにおかしくなる為、本質を活かせるように方向転換をしろ!と「大きめの衝撃」を喰らうことになります。

衝撃の始まり

さて。
愛子さんがサンディエゴにて、シンクロニシティの連続によって、ディーバック・チョプラ博士から「メール頂戴」と言われていたであろう頃。

夏休みのつもりで青森に帰省した私は、父が末期状態になったことを医師から告げられ、引っ越しして2日しか住んでいないマンションを引き払うかどうかしばらく悩んだ後、青森に戻ることに決めます。

春に愛子さんに出会い、夏には東京での暮らしが突然終わった訳ですが、今、改めて振り返ると、当時の私には「偶然の一致で望みを叶える」「シンクロニシティ」「人生の絶妙さ加減」があちらこちらにあります。

これらは、ワクワク・ドキドキ・楽しいことばかりで起こる訳ではないというのを、お分かりいただけるのではないかと思います。

自分で決めたことなのに、青森に戻った私は、東京生活を終えたことを度々悔やむようになっていきます。