何をやれば全てうまくいくのか悩む

さて。
愛子さんがサンディエゴにて、シンクロニシティの連続によって、ディーバック・チョプラ博士から「メール頂戴」と言われていたであろう頃。

青森に帰省していた10日程の間に、父が歩行不能になり、病院を受診した所、医師から末期であることが告げられました。

夏休みのつもりで帰ってきていた私は
新居を引き払い、青森に戻るか。
父や家のことはさておいて、東京に戻るか。
毎日悩んでいました。

悩んでいたと書きましたが、自分がどうしたいのかがわからず、目的をはっきりさせないまま「自分はどうしたらいいのか。何をすればいいのか。」を考えていました。

当時は、言葉で表すことが出来ませんでしたが

青森・東京 どちらを選んだら、物事が全て丸くおさまるか。

父も、家族も、自分も、自分の仕事や修行などもうまくいくのか。

その方法を知りたいと思っていたのです。

ですが、どちらかを選ぼうとすると、別の問題がいくつも絡み合ってしまい、なかなか決められません。

青森に帰ると決めたけれど・・

切羽詰まっていた私は、前回の日記に書いた「厳しい修行」の時のように物事を先延ばしできず、最終的に青森に戻ることを決めました。

決めたはいいけれど、先が全然見えない不安や心配、恐怖、東京への未練などが募ります。

納得した訳でもなく、周囲の状況的にそうせざるを得ないと感じて帰ることを決めたのですが、決めた後も「本当にこれでいいのだろうか」とずっと思っていました。

自分で決めたという実感は全くなく「引っ越しさえしていなければもっと簡単に青森に戻れたのに・・」と己のタイミングの悪さを悔やむ気持ちがとても大きかったことを覚えています。

何をやったら全てうまくいくのかを考えた結果、全てうまくいくなら問題はありません。

でも、実際の所、私は堂々巡りし、身動きが取れないと感じ、自分を責める 状態になっています。

つまり、このやり方ではうまくいかないのです。

ですが、当時の私は、このやり方ではうまくいかないということを気づける状態にはなかったのです。

自分がどうしたいのかわからない私の願いを叶えるブレスレッド

「自分がどうしたいのかがわからない」と感じていた当時の自分について、印象に残っている出来事があります。

引っ越しする少し前に私は、起業塾にいた、愛子さんとは別の友人にブレスレッドを作ってもらったことがありました。

その際に、お願い事を教えてと言われ「父が回復すること」を書いたのですが、友人から「お願い事は自分のことにしてね」と言われ、これが私の願いなんだけれど・・と戸惑いました。

その後「自分がどうしたいのかわからない」とか「現実味がない」などと思いながら、しっくりしない「お願い事」を書いたのですが、何を願ったのかは、全然覚えていません。

ありのまま認める×EFTに取り組み続けた今だからわかるのですが、あの頃の私は、

父が回復したら、何の心配も不安もなくうまくいく(東京で自分のやりたいことに打ち込める)と無意識のうちに思っていた為に「父が回復すること」を自分の願いとしていたのです。

です。

私の願いが生じる背景

「父が回復したら、何の心配も不安もなくうまくいく(東京で自分のやりたいことに打ち込める)」と私が思っていたのには理由がありました。

父の件で私が引っ越しするのはこれが2回目で、気持ちの上で落ち着かない日々を過ごしていたからなのです。

1回目の引っ越しは2002年の秋。
上京してから1年後、父の病が発覚し、手術することになった時です。

私は、再び東京へ戻ることを前提に、1年しか住んでいないアパートを引き払い、半年程青森に戻りました。

父や家族に頼まれて戻った訳ではありません。
2001年に上京するにあたり、父は「私の人生だから、好きにしたらいい」と送り出してくれていました。

自主的に戻ろうと考えた訳でもありません。

全面的に信頼していた推拿の学校の中国人医師である先生に、父が病に罹ったことを相談したら「半年位青森に戻って勉強したことをお父さんに活かして。それから東京に戻ってきて。」と言われ、泣く泣く帰ることを決めたのです。

2003年に再び東京へ戻ってからも、何度か休みを取って帰省していたので、気持ちの上で落ち着かない日々を過ごしていました。

私は父のせいで落ち着かないのだろうか

でも、本当に私は「父のこと」で、落ち着かなかったのでしょうか。

もし「父が回復したら、何の心配も、不安もなくうまくいく(東京で自分のやりたいことに打ち込める)」ならば。

私は、父が回復したら心配なく東京で暮らせるけれど、父が回復しなければ安心して東京で暮らせない ことになります。

本当に私は「父が回復したら、何の心配もなくうまくいく(東京で自分のやりたいことに打ち込める)」のでしょうか。

もしそうだとしたら、私は父の病が発覚する前は、やりたいことに打ち込んで、ずっと安心して暮らしていたはずです。

でも、父が病に罹る以前も、私は不安や恐怖に駆られることがあり、表向きは平静を装っていましたが、自分のことを不安定だと感じていました。

私は、一体、何を得たら納得したり満足したりしたのでしょう。

私が無意識のうちに求めていたこと

ありのまま認める×EFTを積み重ねた今ならわかるのですが、あの頃の私は、

「不安なのだから、安心感を得られたらそれで良いのでは?」
とお考えになるかもしれません。

でも、目の前の現状が何も変わらない中で、ただ安心感を得たとしても、私は絶対に納得も満足もしなかったと思うのです。

例えば、父が末期の状態で、安心を得ようとした場合。
当時の私の物事の捉え方であれば、表向き、無理矢理安心したフリをして、心の内で不安定な状態になっていたはずです。

では、目の前の現状が、私の思い描いた通りになったら良かったのでしょうか。

例えば、末期の父が回復したら、安心するのではないかと思うのですが、前述した通り私は、父が病に罹る前もずっと不安定だと感じていました。

私にとって

  • 自分の不安や恐怖、罪悪感などを埋めること 
  • 安心感を得ること

は、それぞれ別な話だったので、例え、現状が自分の思い描いた通りに変わらないとしても

  • 自分の不安や恐怖、罪悪感などを埋めた上で
  • 安心感を得て
  • 自分がどうしたいのか、何をする必要があるのかをわかって、的を当てた行動する

ことが必要だったのです。


私の小さな変化

青森に帰ると決めるまでずいぶんぐずぐずしました。

それでも1回目の引っ越しが「周りから促されて決める」に対し、2回目は「(父が回復すればうまくいくが望めない状態で)悩みながらも自ら決める」といった具合に、私の選択はほんの少し進歩しています。

当時は、自分の現実を変える為に、自分が動いているだなんて感じることはありませんでし
たが、青森に帰ると自ら決めたことにより、必要なハードルを1つ超えた私は実際に動き始めます。

さっそく私は不動産会社とお世話になった友人らに連絡をし、会う約束を取り付けました。

ありのまま認める×EFTも、瞑想も同じですが、願望を抱いたら実現していく為に1つ1つ的を当てた行動することが必要です。