不安を埋める行動によって生じた根拠のない期待

前回からの続きです。

青森に引っ越すにあたり、これまでのお礼とお別れを友人達に伝えたいと思い、2週間の滞在予定で東京に戻ります。

東京に行く前、別の方が父を診て下さいました。

末期とは言えもう少し大丈夫だろうと話していたのを聞き安心した私は、父が車いすに乗り、家で家族と過ごすイメージをぼんやり描きます。

そして、何となく大丈夫だろうという、根拠のない期待や楽観を抱いた状態で出発しました。

前回の日記で、私は不安や恐怖、心配といったものを埋めたかったと書きました。

当時は気づいていませんでしたが、私は信頼していた誰かの「もう少し大丈夫だろう」という言葉を聞いた時、無意識のうちに自分の不安や恐怖、心配などを認めて貰えた・分かってもらえたと感じることにより、不安や恐怖、心配などを埋めていたのです。

安心した私は、根拠なく「何となく大丈夫だろう」と感じる状態になりました。

この状態は例えるなら、不安になった小さな子供が、お母さんやお父さんに大丈夫だよ と声をかけてもらって安心するのと同じです。

これが34歳だった私の問題・悩みの対処方法でした。

父が内心どう思おうが、表向き大丈夫であることを求める私

安心し、根拠なく大丈夫と思った私はどんなことをしていたのでしょうか。

全く自覚がありませんでしたが、私は父が内心どう思っているのかには意識が向かず、表向き「大丈夫」であることを求めていました。

どういうことか説明しましょう。

ある日、私は父が話した内容に「もう長くないな」と感じました。

父に死なないで欲しかった私は

  • 父が話すことを、父が話した通りに聞けない
  • 父が言いたいことを言わせない
  • 都合よく父の話を捻じ曲げる
  • 父の話をなかったことにする

などして、父に対し表向き「大丈夫」であることを求めたのです。

だからこの時期、何度か聞いていた「もうすぐじさまが迎えに来る」と言う父の言葉に対し

りんりんりんりん

そんなこと言わないでよ。

と返していました。

聞いたら、不安になる。

聞かなければ、不安にならない。

でも実際は、聞いても、聞かなくても不安になる。

だから、表向き大丈夫であることを求めるのですが、後に私はこの頃のやり取りを悔やみます。

今だから思うのですが、残された時間が少ない中、強い薬の影響で寝ている時間が増え、話が出来る時間は貴重なのに伝えたいことが伝わらないもどかしさを父は感じていたのかもしれません。

根拠のない期待によって現実が見えなくなる

さて。
東京に到着した私は、自宅へ電話していました。

急きょ父の病状について医師から説明を受けることになり、家族が病院に出向いていたからです。

結果は「いつ逝ってもおかしくない」とのこと。

「大丈夫だろう」という根拠のない期待で、私は現実が見えなくなっていたのでした。

結局私は友人と会う約束を1つだけ残し、その他の約束をキャンセルすることを決め、急いで引っ越しの手配を終え、4日後に青森へ帰ってきました。

足掛け4年の東京生活があっけなく終わります。

荷物の梱包をほとんど解いていなかったことだけが幸いでした。

次の日病院に行き、少し元気そうに見えていた父から「早く帰ってきてよかったね。」と言われました。

根拠のない期待で動いていた私は、予定が色々キャンセルになったのが残念で、内心「(ほとんど予定をキャンセルしてきた)人の気も知らないで・・」と思っていました。

生きるにしても死ぬにしても

ここから1週間後、父は退院し、家に戻ります。

きっかけは、東京から帰って間もないある日の夜の会話でした。

普段、私は夕ご飯を作って病院に持っていき、それを父が食べ、病院で出たご飯を私が食べていたのですが、その日の話の流れで

りんりんりんりん

生きるにしても死ぬにしてもここ(病院)にいるの嫌じゃない?
もう家に帰ろうよ。


と声をかけました。

父は「んだ。帰るじゃ。」と真顔で返してきた後、退院の日を自分で決め、家に帰ることになったのです。

今日は人生最良の日だ

歩行が難しい父が家の中で動けるよう、準備をしながら、退院の日を迎えました。

伯父と二人で私が運転する車の後部に父を乗せ、伯父の車に荷物を積みこみ、共に出発します。

ちょうど車が橋の上を走行中、後部から「今日は人生最良の日だ。万歳。」と声が聞こえました。

ミラー越しに、父が小さく万歳していた姿が見えます。

退院したはいいけれど、これからどうなるんだろうと不安に思っていた私は、最良というには程遠い状態の中、父がなぜ最良と言ったのか聞く余裕もなく、何と返したら良いのかもわからず、無言のままでした。

このような状況に全く関係なく、ガラス越しに見える空がとにかく青く高く澄んでいたことが、とても印象的だったのを覚えています。

家に着き、母と伯父と三人で父を運んだ後、寝たきりとなりました。

虫の予感か偶然の一致か

父が家に戻ってきて4日目。

父の友人がお2人、時間差で訪ねてきます。

どちらも、私が小さな頃から知っている方です。

イメージとしてはお1人が「静」、お1人が「動」。

ただ、家族と身近な親戚以外、父の状態を誰も知らないはずなので、このタイミングでお2人が来て下さったことにとても驚きました。

このうちの「動」の方については、以前ブログで触れたことがあります。

「おめどのとっちゃ、もうなげぐねえぞ。(お前の父さん、もう長くないぞ。)」

と言っていたのですが、この時の私は内心「父はまだ生きるもん」と思っていました。

身内であるが故に、目の前のことが適切に判断できないのか、期待と楽観がそうさせるのか。

どちらもあるような感じがします。

父はこのまま回復するのではないだろうか

父の病状は日に日に悪化します。

もうダメなのかもしれないと思う中で、持ちこたえた7日目。

私は薬を取りに病院へ行き、午後に自宅へ戻ったのですが、その時、前日までほとんど食べ物を受け付けなかった父が果物を食べていました。

それを見て、父はこのまま回復するのではないかという期待が湧きました。

父と少し話をしていた時のこと。

「みっちゃんさ、世話さなったな(お世話になりました)」
と言いながら、父が私の手を握ってきました。

父がこのようなことをするのは初めてだったので、驚いた私は

りんりんりんりん

そんなこといわないでよ。

と手を放しました。

その後、父はある物を食べたいと言い出します。

家にはなかったので、急いで買いに出たのですが、ほんのちょっと口にしただけでした。

その後、だんだん呂律が回らなくなり、顔つきも変わり、天を仰ぐ仕草が続いた後、昏睡状態に入り、10時間程で亡くなります。

目の前に巡ってきていたタイミングを自ら逃す

お通夜の日。

りんりんりんりん

えーーー??
聞いていないよーーー??


父を訪ねてきた「静」の友人の弔辞を通じて、父が死ぬ日をわかっていて、友人に「俺の命は今日を含めてあと3日だ」「家族には言わなくていい」と言っていたことを知った時の私の反応です。

言ってくれてもいいのになあとその時は思ったのです。

でも、言われた所で、きっと私は父が逝くことを何かしら阻止しようとしたり、父に対し表向き大丈夫であることを求めたりしたのだと思うのです。

実際、私と家族は「もっと生きるのではないか」という期待と良かれという思いから、父が断固拒否していたことをやろうとしていました。

父は逝くことでそれを回避していて、よっぽど嫌だったんねと当時は思っていたのですが、今となっては、残り少ない時間の中で、余計な労力を使わせたのだと思います。

そもそも父は、直接「逝く」という表現こそ使っていませんでしたが
「じさまが迎えに来る」
「みっちゃんさ世話になったな」
などと言っていて、時期が近いことを話しています。

結局、私が

  • 父が話した通りに聞けない
  • 言いたいことを言わせない
  • 都合よく父の話を捻じ曲げた
  • 父の話をなかったことにした

だけだったのです。

今なら、じさまが、どんな風に迎えに来るのか、いつ来るのか。

何で、あの状態で人生最良の日と言っていたのか、いろいろ突っ込んで聞きたいと思うのですが、不安を埋めたいが為に、父の意を尊重出来なくなっていた私は、目の前に巡ってきていたお別れのタイミングを自ら逃したのです。

旅立つ人は何かしら合図を残しているのかもしれない

父が逝った朝は、雲一つない快晴でした。

私は空を眺めながら、父の魂はどこに行ったのだろう。

何で今日だったのだろうと思った時に、命日の中に合図を見つけました。

いつなのかは書かないですが語呂合わせなので、覚えて下さった方から「そろそろお父さんの命日だね」と言われることが多いです。

それから「もうすぐじさまが来る」という発言。

この中にも、父が逝く時間のヒントが含まれていました。

近しい人にしかわからない、気づかれることがなかったかもしれない合図。

話を聞けなかった私が、後に気づくのかもしれない。

そういう期待で、ヒントを残したのか。

それとも単なる偶然なのか。

それにしても。

なぜ私は、あのタイミングで父に「生きるにしても死ぬにしてもここ(病院)にいるの嫌じゃない?もう家に帰ろうよ。」って言ったのだろう。

我ながら本当に不思議でした。

りんりんりんりん

何でだっけ・・・。

・・うどんだ。

急いで引っ越しを終えて青森に戻った頃の話です。

父は昔から麺類を好んでいたのですが、病で体温が下がっていた為、病院の昼食で出た「冷たいうどん」が冷たくて食べられなかったと言っていたことがありました。

夏なので冷たいうどんが出てくるのはちっともおかしくないのですが、食べたいと思うものを食べられないのは残念なことです。

私ならお願いして温めてもらうので、そうしたら?と聞いたのですが、病院の方に面倒はかけたくないと言います。

りんりんりんりん

男のプライドかなんかわからないけれど面倒くさ・・。

家にいたらすぐに暖かいの食べられるし
(毎日病院に持っていく)夕ご飯も温かいまますぐに出せる!!!

病院が少し遠かったのもあり、通わなくて済むという己のメリットを見出したことや、その他父が話していた内容もあって、あの発言に至ったのでした。

ここまでの話を、以前のブログで読んだことがある!という方がいらっしゃるのではないかと思います。

以前、父の話は亡くなったことで終わっていたのですが、実は続きがあります。

愛子さんの来青をきっかけに、前後の話を繋げていた時「父」「うどん」「人生最良の日」が、後に「合図」「ヒント」「謎解き」として登場していることに初めて気づきました。

どうやら父は私に盛大なるプレゼントを仕掛けて行ったようです。