黙る時間も大切だ

愛子さんと十和田湖に向かう途中のこと。

前回書いた事故の話に触れた後、納得を求めた私がどんな風に事故の後始末をしていたのかを、かいつまんで話をしていたのですが

りんりんりんりん

もしもう1回、同じことがあったとしたら、すぐに立て直せると思う。


と言おうとして、口をつぐんだ場面がありました。

実は事故に遭った後しばらくして、クローゼットの中に突っ込んだまま、存在も書いた内容も忘れていた日記帳を見つけたのですが、営業職に就くことが決まった時に、運転する時間が長いから、事故に遭ったらどうしようと書いていて、驚いたことがあるのです。

車に乗っているのに「もう1回」だなんて縁起でもないわと思い、黙ったのでした。

その後、愛子さんにEFTを受けるきっかけとなった出来事が何だったのかを話しました。

具体的な内容は書きませんが、当時の私にとっては理不尽と感じる出来事でした。

連絡をしてきた方が最後に放った一言によって、理不尽極まりない状態になり、すっかり私は落ち込んでしまったのです。

愛子さんの反応はここには書きませんが、愛子さんにこの話をしている時、ふと

りんりんりんりん

EFTを受けるきっかけとなった出来事はわかっているけれど
なぜ、あの時、EFTだったのだろう。


と思い、今も理由をわかっていないことに意識が向き、それを知りたいと思いました。

前後の出来事と自分の動きを繋げたら、何かがわかるかもしれない。

そう思っているうちに十和田湖へ到着しました。

スワンで愛子さんがダウンして運転を交代。

緊張しながら、運転に集中していた時、私の中で話が繋がり、理由が明らかになりました。

りんりんりんりん

あ!

私、(理不尽極まりないと感じる)出来事を通じて、
もう1回過失のない事故に遭ったってことか!!


(実際に事故に遭った訳ではないのですが)

もし、あの時、愛子さんに「もしもう一回・・」と話したら、さらりと通り過ぎたかもしれません。

「黙る時間」「静かな時間」も大切ですね。

次の段階に進めるかどうかのお試しが来た!

もう1回過失のない事故に遭ったってことか!!!と思った時。

りんりんりんりん

あの出来事は、次の段階に進めるかどうかの「お試し」でもあったのか!!


とも思いました。

「お試し」とは、自分やクライアントさんとのセッションの積み重ねを通じて気づいたことです。

セッションで取り組んだ「自分を活かせない状態から、自分を活かす状態へと持っていくプロセス」や「自己実現のプロセス」をクライアントさんが日常生活に戻った際に、お1人で実行できるかどうか、必ず試す機会が巡って来るのです。

私の場合、出来事が発生してから、1週間で収束したので

りんりんりんりん

もしもう1回、同じことがあったとしたら、すぐに立て直せると思う。


というのは合っていたのでした。

お試しに至るまでのプロセス

お試しに至るまでのプロセスは、下記のような流れになっていました。

父の件で、青森に戻り、自分で自分をありのまま認め満たす方法を探し始めた私は、事故に遭ったことで

  1. 心身ともにダメージが生じたことにより、認めてほしい存在から強制的に距離を取り、1人になる
  2. 事故の後始末において自分のことを自分が知らない所で他者によって決められることを納得いかないと思っていた
  3. 心身共に不安定な状態の中、納得して終わりたいという思いを抱いた
  4. 後始末の仕方を知らなかったので、半年程経過してから、納得して終わる為に助っ人を探し始めた
  5. 助っ人から、現状の説明があり、すぐにやる必要のあることを提示された
  6. 切羽詰まった状態にあるにも関わらずやりたくないと答えた
  7. 助っ人から「やりたくないならやらなくていい。これはあなたの問題で、私の問題ではない。」と言われて、今までと同じやり方ではダメなんだと思い、助っ人の指示に沿って、先に行動を変えることにした
  8. 恐る恐るやる必要のあることを実行し、切羽詰まった状態を切り抜けた
  9. その後も、思考も感覚も変わらないまま、怖いとか、やりたくないとか、絶対にうまくいかないとか思いながら、行動を変えていた
  10. 「色々な経験」を通して、怖いと思いながら必要な行動し、結果を得ることを積み重ねて、2年程経っていた
  11. 事故ではないけれど、事故の時と同じく、過失のない状態で問題が発生し、それに対応できるかどうかお試しの機会」が巡ってきた
  12. 落ち込んだ所へ、さらに傷ついたと感じることがあった
  13. EFTを受けた
  14. お試しが収束し、次の段階へと進んだ

こうやって改めて書くと、この時期の経験が、ありのまま認める×EFTで提供している内容になっているのがわかります。

自分に合う願望の実現方法に辿り着く

当時の私にとって、願望とは

  • 欲しい何かを得る
  • なりたいものになる

といったイメージがありました。

なので「納得して終わりたい」が、自分の願いであるとは全然気づいていませんでした。

後に私は、ありのまま認める×EFTを通じて、疑問=願望 と気付いたのですが、個人的には「実現したい望みは何ですか」と言う問いが得意ではありません。

同じ問いであっても

  • 納得して終わる為に、具体的に、何をしたらいいのかを知りたい
  • そもそも自分にとって、納得とは何なのだろう。それを知りたい

と言った具合に自問自答する方が、答えを得やすく、実現に至りやすいのです。

これは、人それぞれだと思うので、自分に合う方法に辿り着けて良かったです。

何のために願望を実現するのか

よく「願望を実現したい」「願いを叶えたい」「欲しいものを引き寄せる」などと言いますが、そもそも何の為に願望を実現するのでしょうか。

幸せの為に、楽しむ為に、色々あると思いますが、私は、自分(クライアントさん)を活かす為 と答えます。

ありのまま認める×EFTの取り組みを通じて、自分を活かすこと、自己(自分がどうしたいのか)実現(の連続・積み重ね)が、結局の所、自分の幸せや楽しさ、周りの幸せや楽しさ、納得、自信、発展などへと繋がることがわかったからです。

ただ、当時は、自分を活かすことを求めている自覚がないまま、とにかく納得したいという感覚を追いかけていました。

私が納得を得る為に選んだ助っ人

事故の後始末は、色々やり方があると思うのですが、私は納得して終わる為に自分でやることを選びました。

助っ人がいたと書きましたが、納得を求めた私が探し当てた人物です。

助っ人なら誰でも良かった訳ではありません。

そもそも、私が求める存在がいるのかどうかもわからなかったし、気持ちの上でも焦っていたので、探し当てた時は、本当に嬉しかったです。

すぐに連絡を取りました。

助っ人からは、目の前の問題に対し、何をする必要があるのか、何故、それをするのか具体的な指示がメールで来るだけなので、指示されたことをやるか、やらないかは、私次第でした。

やることがわかれば、それをやれば良いのだから簡単でしょうと思うかもしれません。

でも、私にとっては、助っ人の指示は毎回気が重く、怖い、やりたくない、うまくいくはずがないと感じることの連続でした。

当時、なぜ、このような状態になっていたのかは全然わからなかったのですが、今は、もう、理由も対応方法もわかっています。

自分がどうしたいのかがわからない

私には、助っ人から聞かれる度に、困る言葉がありました。

「あなたはどうしたいのですか?」


いつも、わからないと感じていました。

当時の私は、自分がない訳ではないけれど、自分がない状態だったのです。

なぜ、このようなことが起きているのかは後述しますが、自分がないので、助っ人から「あなたはどうしたいのですか?」と聞かれても

りんりんりんりん

「今の状態は不快ではある。感覚的にも不快だとわかっている。

でも、具体的にどうなったらいいのかは言葉で表せない。

なのでよくわからない。


と感じていました。

切羽つまっていた理由

初めて助っ人とやり取りをして、私は、切羽詰まった状態にあることを指摘されます。

私が、このような状態になっていたのは、あることを疑問に思い、それをとある場で投げかけて、回答した方の情報を自分に都合よく受け取った からなのです。

例えるなら、自分が運動選手で、自分のライバルを守る為の立場にあるコーチに、自分のやっていることが合っているかを聞き、そのまま何もしなくても大丈夫と言われて、それを鵜呑みにしていたら、試合直前に、自分のコーチからそれではタメだよと言われたようなものです。

「何もしなくていい」という言葉で不安を埋め、一時は安心したのですが、その後も本当にこれでいいのだろうかという不安が頭をもたげることを繰り返していました。

でも、大丈夫って言っていたから、大丈夫だよねと自分に言い聞かせることで、思考停止をしていたのです。

なので、助っ人から切羽詰まった状態であると説明を受けた時、私は話が違う!と思い、とある情報を教えてくれた人に対し、すごく怒りを覚えました。

でも、一番まずいのは、都合よく情報を鵜呑みにして、自分の問題を大きくした自分です。

自分がどうしたいのかわからない私の本音

切羽詰まっている現状を把握した私に、助っ人が1つ、指示を出しました。

やる必要のあることに対し、

りんりんりんりん

やりたくない

と答えました。

自分がどうしたいのか言葉で表せない私は、心の内で抱いていた、ぼんやりとした不快や不安や恐怖といったものを埋める為に「やりたくない」と答えたのでした。

自分がない訳ではないけれど、自分がない状態にある私の本音が表に出てきた瞬間です。

私は周りに迷惑をかけたくない

私のぼんやりとした、不快や不安や恐怖。

それは、

りんりんりんりん

周囲に迷惑をかけたくない。


と言う思いから来ていました。

周囲に迷惑をかけたくないから、私はやる必要のあることをやりたくないと答えたのです。

じゃあ、迷惑をかけたくないとは、具体的にどういうことか。

周囲に迷惑をかけたくないから、私はやる必要のあることをしない。

だから、助っ人は、迷惑をかけたくないからやる必要のあることをやらないと言う私の気持ちを察して、私に都合よく動いて、私が納得いく結果を得られるように配慮してほしい

 
ということです。

これが当時の私の本音であり、願望でした。

私は周囲に配慮しているつもりだったのですが、実は、身勝手な言動をしていて、それに全然気づいていなかったのです。

周りに迷惑をかけたくないと思った理由

なぜ、周りに迷惑をかけたくないという発言に至ったのか理由があります。

私の中には

りんりんりんりん

「周囲に認めて貰えるような行動をしたら、うまくいく」


と思い込みがありました。

その為、周囲に認めて貰えないと感じる「迷惑をかける」ような行動をしたくなかったのです。

周りに迷惑をかけたくないという思い込みが生じた拝啓

「周囲に認めて貰えるような行動をしたら、うまくいく」とは、小さな頃、大人達とのやり取りで「褒められた」経験を通じて形成した思い込みです。

この思い込みは、私の中で「問題や悩みの解決方法、現実を変える方法」となっていました。

思い込みによって、「周囲に認めて貰えるような行動をしたら、うまくいく」ことになっていた為、私の中では、周囲に認めて貰えるような行動をしさえすれば良い状態になっていて

  • 「自分がどうしたいのか」がわからない
  • 「何をする必要があるのか」がわからない
  • 必要な行動をしない

のに、全然問題がないと感じる状態にあったのです。

でも、問題がないと感じているだけであって、実際は大有りです。

これは、「自分を活かせない選択」ですし、「助っ人から得た情報を、自分の現実を変えることへとへと結び付けられない」動きです。

実際に私は、この思い込みを積み重ねたことによって、自己否定が強くなっていました。

なので、自己否定を埋める為に、周囲に認めて貰えるよう振る舞い、自分を活かせない選択をし、自己否定する・・という悪循環にはまっていたのでした。

やりたくないならやらなくていいという衝撃

残念ながら(というよりこれで良かったんだけれど)私の期待は、見事に打ち破られます。

「やりたくないならやらなくていい。
これはあなたの問題で、私の問題ではない。」


という助っ人からの返信を読んだ私は、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けました。

今までと同じことをしていてはダメだと思い、意を決して関係者に電話したのですが、私の依頼を皆、快く受け入れて下さいました。

実は、もともと周囲が協力的だったのに、自己否定が強くなっていたことで、私が聞く耳を持てない状態になっていたのです。

結局、私は、周囲の方々の協力のもと、切羽詰まった状態を脱します。

周囲に対し、勝手に自己完結してしまわないことの大切さをここで知ったのでした。

迷惑をかけたくないと思ったまま行動した場合、本当に迷惑かけずに済んだのだろうか

さて。
もし私が、周囲に迷惑がかかるからと思って、やる必要のあることをやらずにいたら、本当に周りへ迷惑をかけずに済んだのでしょうか。

実際は「タイムオーバーで、今更、どうすることも出来ない」という状態に陥ったはずです。

周囲に言必要のある事を言わず

聞く必要のある事を聞かず

やる必要のあることをやらないまま

話してもどうせ無理だし、わかってもらえないし・・と

周囲の反応を最初から決めつけることで周囲を悪者にして

やる必要のあることをやらなかった私は

タイムオーバーし、もうどうすることも出来ない状態になり

察してくれず、配慮してくれない助っ人に怒りを抱き

被害者ヅラをし、恨みつらみを抱えたまま、十数年経っても「今更どうすることもできない」状態を思い出す度に、苛立っていた

のではないかと思います。

私は、周りに迷惑をかけたくないと思いながら、実際は、対人関係を悪化させ、自分も周囲も傷つける所だったのでした。

地道な積み重ねに勝るものなし

結局、私は、足掛け2年、助っ人の補助を得ながら、目の前に生じる問題に対し、何度も

何をする必要があるのか、具体的な行動に結びつけ、結果を得て、それを観察して、次に繋げて発展させること

を身に付ける練習をしていました。(今思えば)

助っ人の指示で、目的に沿って行動を変えるうちに、手ごたえを感じるようになってはいましたが、それでも、毎回、うまくいきそうにない、とか、怖いとか、やりたくないとか、そういう思いを抱いていました。

衝撃を喰らった私が目覚めて、バリバリ動けるようになったのかというと、そんなことはなく、1つクリアして、お試しが来たり、ハードルが上がったりする流れに、いつもびくびくしていました。

相変わらず、自分がどうしたいのかがわからないと感じていましたが、それでも何とか自分の答えを捻り出すようになりました。

これで良いのかと思う時も多々ありましたが、自分の答えを決めないまま動いてしまうと、何を得ても満足しないし、ウロウロしてしまうのです。

「ひとまず、決めることの大切さ」が分かるようになりました。

都合よく情報を鵜呑みにした自分が一番まずいと痛感した経験によって、人の数だけ「出来事」があり、人それぞれ捉え方が違うことを知り、「その人が、どの立場で、どんな意図があって、何を話しているのか」を考えて、一手を打つようにもなりました。

少しずつですが私は、怖いと思いながらも、不安を埋める為の行動ではなく、自分の安全を守る為の行動が取れるようになってきたのです。

行動が変わると結果が変わると言うけれど

行動が変わると、結果が変わるのは確かです。

でも、自分がない訳ではないけれど自分がない状態のまま、行動を変えるのは、本当に大変です。

もし、私が助っ人へ補助を依頼しなかったら、私は、納得したい、変わりたい、こんな自分嫌だと思いながら、自分を変えられず

  • 口先だけで終わる
  • 行動を変えても、気持ちがついていかず、途中でやめる
  • 欲しいものが目の前に来ても、怖い、面倒、やりたくないといって手を伸ばさない
  • 相手に自分の望みを察してもらおうとする

などといったことをして、納得しない結果に至り、結局自分は何をやってもダメなんだと自己否定で終わったと思います。

そして、必要な行動を何もしないまま、いつも自分の都合良いことばかり起きるのを運が良いと勘違いした、痛い大人として生きたのではないかと思うのです。

お試しの機会が巡ってきた時

さて。

お試しの機会が巡ってきた時、1週間で収束したと書きましたが、私がすぐにお試しに対応できたのかというと、そんなことはありません。

「もうダメだ」と思ったことが、初EFTを受けるきっかけになるのですが、ちょっと不思議と感じる場面が何度かあり、今になってアレはもしかして・・と繋がったことを書く予定です。