EFTタッピング事例 両親からの手紙が怖い

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

この話は前回からの続きです。

最初から読む場合は、Nさん事例1

セッションを開始した頃。

両親の思いを、Nさんにわかってほしい。

そう願った父親が、彼女に手紙を渡しています。

Nさんがその時の心境をメールで下さった内容を紹介します。
(ご本人の許可を頂いています)

自己犠牲の積み重ねによって、すごく切羽詰まった状態にあったのが、お分かり頂けるのではないでしょうか。

セッション当初のNさんの心境

今日父から手紙を渡されました。

何が書いてあるのか怖くてまだ読んでいません、

彼らが話す言葉の、私に対する影響力はもの凄いです、

私は完全にノックアウトされてしまいます。

だから怖くて読んでいません。

私が精神的に彼らを追い詰めてしまう前に、私は狂って、精神病院へ入りたいです。

自殺する勇気はありませんから。

今は全く何をする気にもなれません。

でもこれも、全て私が身の丈をわきまえず高望みばかりするからだと自分を責めています。

ほんの少しもほっておいてはくれない、黙っていてはくれない彼らの攻撃に疲れ果てて、窒息死してしまいそうです。

心はもう完全に死んでいますけど。。。

お休み中なのに、メールしてすいません。

どうしても誰かに聞いてもらいたくて。

今はとても追い詰められた心境で、誰か私の味方になって欲しいと、もう1人ではこれ以上耐えられないと思っています。

メールして少しだけ、気が楽になりました。

兎に角今は手紙は読まず、何か言われて動揺しないよう出来る限り二人と関わらないようにしようとしています。

前にも書きましたが、自律最善タッピング(旧・EFTタッピング)はやっていい時とそうではない時があります。

もし彼女が薬を服用していたり、「タッピングでどうのこうのできるレベルじゃない」ほどに混乱していたならば、セッションの依頼をお断りして、病院なりカウンセリングなりを勧めたでしょう。

自己犠牲とは自分を犠牲にすること

過去に私は、複数のクライアントさんから「自殺する勇気はないからセッションを申し込んだ」という話を伺ったことがあります。

自己犠牲とは、自分の感情や思考、言動などを抑え込み、犠牲にすることを意味します。

言い換えると、思考や感情の上で、自分をころしてしまう、ということ。

自分の人生なのに、意思を抑え込むので、どうしたいのかがわからない。

仮に、どうしたいのかわかっても、必要な行動へとつなげられない。

となると、自信も失いますし、自己否定も強まります。

積み重なることで「生きながら死ぬ」「なんのために生きているのかわからない」感覚に陥る場合もあります。

周囲の人が「そんなことで?」と感じる「ちょっとしたこと」が引き金となって、取返しがつかなくなるケースもあるのではないかと個人的には思います。

でも恵まれているよねで片づけられてしまう

Nさんは、以前、本来なら頼りになるはずであろう相談の場で

「でも、恵まれているよね。
誰のおかげで、そういう生活ができているの?」

と言われたことがあるとお話くださいました。

でも、これは、ご本人にとっては
「外側は恵まれているのだから、あなたの内面なんてどうでもいいじゃない。」
といわれているようなもの。

短い時間では、このような回答になるのかもしれません。

でも、「外側が恵まれている」からといって「内側が幸せ」とは限らないのです。

自己犠牲の癖は自分にしかわからないこと

自己犠牲の癖が、何をきっかけに、どのようにクライアントさんの内側で作られたのかは、親を含め、周りの人からは、見ることも知ることもできません。

ご本人にしかわからないことなのだけれど、そのご本人でさえ、わからないんですよね。

ネガティブな感情を「なくす」ことで対応しようとすると、そこに含まれている、前に進む為に必要な情報や原動力は、引き出せなくなるから「自分の動きがわからなくなる」のは自然なことなのです。

なので

  • 感覚
  • 言葉
  • ありのまま認める
  • タッピング

をかけあわせて、共同作業で探って明らかにし、ご自身の意志を活かせるよう、根本対応しよう。

セッションでやった内容を、お一人でも取り組み、ご自身の内側をありのまま認めて、活かしていけるようになろう。

これまでの経験と理屈とで考えたら、結果的にこれが自殺予防へとつながるのではないか。

というのが、私・伊藤の個人的な思いです。