自分がわからない人のEFTタッピングとシンクロニシティ

私は、自分がわからない人のEFTタッピングには、「現実的・実用的・根本的であること」を求めているのですが、「ある」と「認める」ことの連続・積み重ねにより、事実は小説より奇なりという表現がぴったりな出来事がいろいろありました。

一般的には、シンクロニシティ・共時性などと呼ばれるものなのですが、個人的には「人生の絶妙さ加減」と表現する方がしっくりするので、このように呼んでいます。

最初の頃は、これが何を意味しているのか、分からないこともありましたが、後で振り返ると、前に進む為に、必要な何かを身に着ける機会だったり、今進んでいる道でOKという合図だったりすることが多かったように思います。

なので、このような場面が巡ってきた時は
「何かがあるらしい。」
「何の合図だろう。」
「これが意味することは何だろう」
「今の時点で何を知ったり、学んだり、身に着けたり、得たりする必要があるのだろう」
などと自問したり、仮説立てて動いたりします。

疑問を投げかけると、無意識のうちに、その答えを自分は探し始めます。

すぐ答えが出る時もあるし、長ければ、10年、20年とロングスパンで、少しずつ掘り下がるものもあります。

仮説が当たる時もありますし、想像したこととは全く違う(より、その人の為になる)展開が来たりする時もあります。

その度に、本当にうまくできているなあと感心します。

「ある」と自分が「認める」ことの連続・積み重ねには、謎解きの面白さがあるのです。

答えも意味も、自分にしかわからないのですが、自分の人生は、自分がわかっていたら、それでよいのだと思います。

うどんとEFTタッピングとシンクロニシティ

さて。
今日は、10年越しの謎解きの話「うどんとEFTタッピングとシンクロニシティ」に、触れます。

初めてのEFTタッピングのセッションで悩みが解決した時のことで触れましたが、EFTタッピングを受けるきっかけは、「とあることに関する1本の電話」と書きました。

実は、この連絡を受けた翌朝。

別な人からも、電話がかかってきたのです。

といっても、夢の中の話なのですが。

電話の主は、亡くなった父。

「みっちゃん、東京さ来らいるが?(来られるか)」
という声で、私は目が覚めました。

「・・行ける訳ないじゃないの。」

フルタイムで働かなくなって2年程の時間が、過ぎていました。

後遺症の関係で、何が大丈夫で、何がダメになったのかを知る為に、期間を区切って働いていたのですが、この夢を見たのは、ちょうど「働いていない」頃のこと。

金銭的な余裕があまりなかったこともあり、私は、少しむくれていたのでした。

ところが、1週間後

EFTのセッションを受けるために、私は東京行きの新幹線に乗っていました。

セッションを受ける日は、偶然にも私の誕生日。

旅に出る前に、家族からプレゼントとして、現金支給されていたのですが、受け取った額が、セッション代金と同額だったのです。

少しびっくりすると同時に、不思議な感覚を抱きました。

東京近郊に住む、仲の良い友人宅に前泊していたのですが、セッションを受ける為に、家を出る時、玄関先で、友人の3歳の子が、ハッピーバースデーを歌ってくれました。

落ち込んでいた気持ちが、潤ったことを覚えています。

誰か・・いるの・・?

セッションを終えた後。

「何も変わっていないのに目の前に映る景色が違って見える」と感じながら歩いていた私は、空腹を感じていました。

何か食べようと思い、駅ビルの中にあった、お蕎麦屋に入りました。

その日は、肌寒かったので、温かいものが食べたいと思ったのです。

中途半端な夕暮れ。
お店にいた客は、私1人。

4人がけのテーブルについたのですが、アルバイトと思われる女性が、私の前と、誰も座っていないはずの私の向かいの席に、お箸を置いていったのです。

私は、注文したうどんが来るのを待ちつつ、誰も座らぬ、向いの席に置かれたお箸を眺めながら、「目の前に父が座ったのだろうか?それとも、セッションを受ける前の、苦しみがいっぱい詰まった私が座っていたのだろうか?」と思っていました。

なぜ、父が目の前に座ったのだろうかと私が思ったのか、理由があります。

それは、麺類が父の大好物だったからなのです。

父が、少し遠い病院に通院していた頃。

私の運転する車で行っていたのですが、お昼には、2人でお蕎麦屋に行くことが多かったですし、麺類にまつわる思い出も、いろいろとあります。

でも、だからといって、私がお店に入った時に、父とのことを思い出していたのかというと、そんなことはありません。

セッションの金額・夢の電話・お箸の件と重なり、「何だろう、これ・・」という感じはありましたが、それが何なのかは、全然わかりませんでした。

うどんを食べ終わった後、私は青森に帰り、郵便で届いていた通知を見ました。

という所までは、今は非公開のアメブロの記事として書いたことがあるので、お読みくださったという方も、いらっしゃるのではないかと思います。

当時は、ここで止まっていた話なのですが、昨年、東京から友人が訪ねてきてくれたのをきっかけに改めて振り返っていたら、以前は、全く気が付かなかったことに、意識が向きました。

うどん=人生最良の日?

詳しくは、変化のタイミング ~背中を押しに来青した友人 その9~ に書きましたが、父が亡くなる2週間程前。

私は、「冷たいうどん」をきっかけに、入院していた父に対し、「生きるにしても死ぬにしてもここ(病院)にいるの嫌じゃない?もう家に帰ろうよ。」と声をかけたことがありました。

私の発言のきっかけが、うどんであることを、父には説明していません。

だから父は、私の発言が、うどんから来ていることを知らないのです。

父が亡くなる1週間前。

「うどんをきっかけに、退院した父」を、叔父に手伝ってもらって車の後部座席に乗せ、病院を後にしました。

車内は私と父の2人だったのですが、橋の上を走行している時。

「今日は人生最良の日だ、万歳」と言い、小さく両腕を挙げた父の姿を、私はミラー越しに見ていました。

父がなぜ最良と言ったのか私には聞く余裕もなく、何と返したら良いのかもわからず、無言のままでした。

昨年、友人の来青をきっかけに、この話を振り返っていた時に、

「つめたいうどんが食べられなくて退院」

「人生で最良の日(退院し、温かいうどんが食べられる)」

であるなら。

「温かいうどん」が出てくるのを待ちながら眺めていた、誰も座らない席に置かれたお箸は、「人生、最良の日」という合図???

もし、そうなのだとしたら。

「人生最良の日」には、いろいろな意味が、あるように感じます。

  • 小さい頃から私が抱いていた、生きる上での謎を解く方法に、やっと到着した
  • まだ、知る由もないけれど、この先、この方法を使って、前に進んでいくこと
  • 夢中になれるもの「ありのまま認めるとは何かを追いかけること」に巡り合ったこと
  • 私の誕生日
  • 私の生きる意味や人生の意味

私にしかわからないことだけれど、私のことなので、私が納得していたら、それでいいのだと思います。

お知らせの電話が意味すること

そして、もう1つ。
友人の来青をきっかけに、気づいたことがありました。

初めてのEFTタッピングのセッションで悩みが解決した時のことで書いた、電話のお知らせを思い出す度に、「なんで、あんなことになったんだろう」という疑問を抱いていました。

この答えには、去年、たどり着いたのですが

「そうか!!
2回目の事故に遭ったようなもの、だったのか。」

生きていると、理不尽と感じる場面に、出くわすことがあります。

改めて別記事で書きますが、事故に遭ってからの2年間は、理不尽と感じるような場面や目の前の問題・悩みなどに対し、自分がどうしたいのか答えを引き出して、主体的に対応していく術を身に着ける時間帯だったように思います。

あの「お知らせの電話」は、この時間帯の終わりを告げるお試しであり、ひとまずクリアした私は、2年間で身に着けた術を総動員して、次の段階へと進んだのだと気づき、すごく納得したのです。

来青した友人が「背中を押しに来た」と言っていました。

過去を振り返り、改めて気づいたり、感じたり、発見したりしたことが、私にとって前に進む為の原動力になったのは、確かなのです。

でももし、私があの時、EFTタッピングを受けずに視点が「外」に向いたままだったら。

おそらく私は、前回書いたように「自分がダメだから」とか、「自分を否定された」と捉えたまま、今も当時のことを思い出しては、苛立つ気持ちを持て余していたのかもしれません。