EFTタッピングで長年続いた悔やむ気持ちが昇華した時の話

今日は、EFTタッピングで、長年続いた悔やむ気持ちが昇華した時の話を書きます。

私は、2006年に交通事故に遭ってから、なかなか自分を立て直せなかった頃の時間帯のことを、ずっともったいなかったと思っていました。

EFTでの取り組みが進むにつれて、あの時間帯にやっていたことが、サロンの立ち上げやEFTの展開へと繋がっていると気づいたけれど、それでもやっぱり、小さい時から自分の思考や感情などを自分で「ある」と「認める」ことを、身に着けて積み重ねていたとしたら、あの状態にすぐに対応できたのではないかという、もったいなさや悔しさなんかがずっと自分の中にありました。

悔しさとか、いわゆるネガティブと呼ばれる思考や感情などは、自分が「ある」と「認め」(ありのまま認め)掘り下げていくと、自分の意(自分がどうしたいのか)を引き出せたり、原動力に変えたりすることができます。

悔しさをバネにして頑張るというのができない私にとって、これはEFTをやって良かったと思うことの一つです。

掘り下げは時に時間がかかったり、遠回りのように感じたりすることもあるし、自分の意を引き出して原動力と化した後も、くやしさが少し残ったままということもあります。

でも、大抵その意味は、ずっと後でわかるもの。

悔しさとかもったいないとか、いろいろな思いが湧きあがってくる度に、「あーあ、またこれかあ」などと思いながら、ちょこちょこEFTをしていたのだけれど、昨年、過去の振り返りをしていた時、今までは全然見えなかった、あの頃の地味な自分の変化の流れに気づいて「ああ、こうやって、緩やかに、確実に1歩ずつ進んで、ありのまま認めることとや納得をつかんだのか」と自分のことながら、不思議な感じがしました。

同時に、かすかに残っていた悔しさとかもったいなさとかが昇華し、代わりに暖かな感覚が原動力として生じた感じを覚えました。

つまり、あの頃の、地味な自分の変化の流れに気づくまで「かすかな、悔しさの存在」が私には必要だった という訳です。

EFTをしていると、こういった謎解きが頻繁に出てきます。

謎解きは、取り組みの積み重ねによって、どんどんわかりやすくなっていきます。

謎が解けると、今まで気づかなかった周囲の配慮に感謝の気持ちを覚えたり、これから前に進む為に、どこを改める必要があるのかなどわかったりして、ちょっとこう、胸が熱くなるような感覚を覚えることが多いのです。

普段のEFTでは、ついつい問題とか悩みとかそういう取り組みになりがちなのだけれど、実際は使い勝手の良い、面白いものなのだというのも、これから少しずつ伝えていけたら幸いだと思っています。

次回は、あの頃の地味な自分の変化の流れがどんな感じだったのか、触れていきます。

もし、興味がありましたら、お読み下さると、うれしいです。