ありのまま認める方法にたどり着くまでの変化のステップ その2

この記事は前回からの続きです。

ありのまま認める方法にたどり着くまでの変化のステップ その1

受傷してから後始末を終えるまでの2年半、途中間があいているのですが、この時期、私は他者の力や助けを借りて、自分の問題や悩みに一つ一つ対応しながら、結果を出していく過程にありました。

この時期の経験を土台に、この後、一人でアイホージュを立ち上げることになります。

事故の後始末とアイホージュの立ち上げは、全く別のことのように映るかもしれませんが

  • 納得して終わりたい
  • サロンを立ち上げしたい

どちらも望み・願いであり、私の欲を扱う です。

実は、この記事に書く変化は、出来事を変えた状態で、クライアントさんたちにも起きることです。

慣れたら対応するスピードが速くなる。だから、最初のうちは、面倒でもプロセスをすっ飛ばさないのが、変化のコツでもあります。

悩みが多い=自分の欲をうまく扱えない

助っ人を探し出して、最初の問題をクリアし、次の課題に着手していた頃のことです。

当時、私は、事故のこと以外にも、いろいろな悩みを抱えていました。

つまり、自分の欲をうまく扱えていなかったのです。

いつも、たくさんの悩みが頭の中から離れず、考えても堂々巡り。

考えないようにしていても、気が付けば、そこに意識が向く。

どうしたらいいのかわからないまま、不安や恐怖などが増す状態にありました。

現状打破したいと思って、情報を探すものの
「あなたの悩みは何ですか」
「どうなりたいですか」
「どうなったら嬉しいですか」
という問いかけを見かける度に「わからない」と感じていました。

この頃は、助っ人からも「あなたは、どうしたいのですか。それが一番大事です。」と言われて、その度に無理やり答えをひねり出していたのですが、いつも「これでいいのかなあ・・合っているのかなあ」と思っていました。

そんな訳で、情報を探す度に
「あなたの悩みは何ですか」
「どうなりたいですか」
「どうなったら嬉しいですか」
という内容に「またこれか・・」とうんざりしていたのです。

当時は全く気付いていませんでしたが、私は、現状を把握できていないまま、どうしたらいいのか、考え続けていたのでした。

例えるなら、これは、目的地がわからないまま、出先で迷子になり、そのことに気づかない状態で、「どうしよう」と思いながら、出口を探しているようなもの。

そりゃ、堂々巡りするよねと今なら思うのですが、この頃は「こんなに頑張っているのに、なんでうまくいかないのか」と思っていました。

私は、もともと自分の悩みは自分で解決したいと考えていましたが、実のところ、この時点では、自分でどうこうできる状態にはなく、他者の助けが必要だったのです。

でも、私は、事故のこと以外について、他者の助けが必要だという自覚は全くなく、誰かに悩み相談をしたいとは思っていませんでした。

他者の力を借りて自分を変えるきっかけを得る

結局私は、治療を通じて他者の力を借りて、自分を変えるきっかけを得て、一歩、二歩と踏み出していきます。

受傷後、私は体だけではなく、精神面で病院のお世話になりました。

当時、事情があって転院したのですが、初日に別室へと連れられて、少し長い時間をかけて、医師から私の思いを引き出してもらう機会に恵まれたのです。

何もかもを話した訳ではないのですが、医師の「あなたには、たくさんの悩みがあるのに、何一つ解決していない。それが、不安となっている。」という発言は適格で、すっと私の中に落ちました。

「そうだ、私の悩みは、何一つ解決していないんだ」とわかって落ち着いた時、現状が変わりそうな手ごたえを感じていたのです。

次からも同じような診察になるものだとばかり思っていたのですが、長い時間をかけて思いを引き出してもらう機会は、この1回のみでした。

その後は、部屋と廊下の仕切りがカーテン一枚で、たくさんの患者さんが控えている中、自分のことを話さなければならず、私はそれを不満に思っていました。

他の方の診察内容が聞こえるので、当然、私の話すことも聞こえているはず。

喋りづらいと感じつつ、次の人の順番を考えて、焦るようにあれもこれもと話していたのですが、最初の頃のような手ごたえは得られず、治療を受ける度に「話しても、話しても、話したりない」と感じていたのです。

すべての治療を終えた時点で「通院したら、現状が変わるんじゃないかと思っていたけれど、何も変わらなかった」という不満が私の中に残っていました。

渦中にある時は変化が変化とわからないことが多い

でも、今となっては、自立・自律を前提に、適切な治療と補助を受けることができて、あれでよかったのだと心から思います。

誰かにうんうん話を聞いてもらって落ち着き、現状把握ができたことも、

「誰かにうんうん話を聞いてもらうだけでは、私は満足しないし、物事が解決する訳でもない(だからうんうん聞いてもらう以外の方法を探す必要がある)」とわかることも、

自分を変えるにあたって、必要な経験だったのです。

仮に、私の期待通りに、毎回、長い時間をかけて、医師から思いを引き出してもらったり、話を聞いてもらったり、現状把握してもらったりしていたら、私は回復したり、自分を変えたり、悩みを解決したりできたのでしょうか。

おそらく、治療に長い時間をかけて、話を一つずつ聞いてもらうことに慣れ、医師の方々がして下さったことを当たり前と捉えて、依存しきっていたはず。

自分の話を肯定してもらえることで、「この先変わりそうだ」という高揚感や期待感、安心を得るけれど、何をしていいのかわからず、結局、堂々巡りを繰り返したはず。

私の安定は、医師の長時間の診察によって、初めて成り立つことになる為、自立・自律からは程遠い状態になるのです。

また、すべての治療を終えた後に、私が不満を抱いていたのは、「すっきり、爽やか、晴れ晴れと、回復していて、物事に意欲的な自分になっているはず」といった感じの、ぼんやりとした期待と思い込みがあり、その通りの自分になっていなかったから、でした。

何をもって、「すっきり、爽やか、晴れ晴れと回復した」と判断するのか、その基準を自らの言葉で明らかにすることもなければ、何かしら行動することもなく、思い通りの結果が自分の前に差し出されることを求めた為に、「何も変わらなかった」と思っていたのです。

私は、思い込みによって、自分の現実や変化が把握できない状態にあったのでした。

感情は自分の欲をうまく扱う為のヒントとなる

でも、確かに当時の私は
「足りない」
「不満」
という思いや感情を抱いていました。

これらの感情や思いは、私の中でひっかかりとなり、後に私が求める方法にたどり着くための「ヒント」となっていきます。

このヒントの存在によって、私は事故の後始末を終えるために、自覚することなく「自分の訴えを言葉に表し、ひたすらありのまま認める(自分の話を自分がうんうん話を聞く)」段階へと足を踏み入れていきます。

これは、医師や助っ人とやり取りした時間を経て、初めて到達することができた場所です。

もし、プロセスを吹っ飛ばして、この段階へたどり着いたとしても、私は冒頭で申し上げた状態のまま「ひとりで堂々巡り」し続けたことでしょう。

あの時、他者の助けによって私は、軌道修正したり、物事への対応を通じて、この先に進むために必要な術を一つ一つ身に着けたりしていたのですが、これらを応用する為に踏み入れた新しい段階は、慣れないこともあって、とにかく面倒臭かったですし、変化しているとは全然思いませんでした。

自分がやらなければ一つも前に進まない。
誰かがやってくれる訳でもない。
私がやるしかない。

このような状況に置かれることによって、きついとか、苦しいとか思いながら、しぶしぶ物事に取り組んでいましたが、結果として現れた時、初めて、一つの自信となりました。

また、この時の苦しさを覚えていたことがヒントとなり、後に、EFTの手法に載せることへと繋がっていきます。

渦中にある時は全く気づけませんでしたが、ありのまま認める視点をもって、過去を振り返ると「人生って、本当にうまくできているなあ」と感心するばかりです。