初めてのEFTタッピングのセッションで悩みが解決した時のこと

この記事では、自分がわからない人のEFTタッピングに、ちょっと興味があるという方向けに、私・伊藤が、初めてセッションを受けて、悩みが解決した時のことを、今の視点で書いていきます。

10年以上に渡り、自分がわからない人のEFTタッピングを

  • 個人として使い続けた
  • プラクティショナーとして提供し続けた

経験を通じて

  • 今だからわかること
  • 得た変化
  • 得た変化が、どんな風に活きているのか

などを付け加えながら、お伝えします。

初めてのEFTセッションで起きた3つの変化

私は、過去に1度だけ、EFTのセッションを受けたことがあります。

その時、私の中で、3つの変化がありました。

当時、私には、解決できない悩みがたくさんあるものの、それが何なのかよくわからず、そもそも何を悩んでいるのかしっくりする言葉で表すこともできず、「自分がどうしたらいいのかわからない」「すごく自分が嫌だ」などと感じて、悲観的になっていました。

このような中、プラクティショナーの先導で、自分の感情や思考を「ある」と自分が「認める」連続で、私に起きた変化は

  • 事実と意見を分けるきっかけを得る
  • 感覚と言葉の連動に気づく
  • 視点が変わる

です。

わかりやすく「こんなに自分が変わりました!」という感じではありませんでした。

なんだ、がっかりーと思われたでしょうか。

ですが、実の所、これらの変化の経験が悩みを解決したり、後々、自分の本心をつかんで活かしていくことへと繋がっていきます。

なので普段、アイホージュとして提供するEFTセッションでも、上記3つの変化が得られるように、セットアップフレーズやリマインダーを構成しています。

個人差がありますが、クライアントさん達からは

「今まで体験したことのない感じ」

「ありのまま認めるってこういうことなのか!」

「自分の内側が、これこれ!という感じの反応をしている」

などと伺うことが多いですね。

EFTタッピングを受けるきっかけ

EFTを受けるきっかけは、1本の電話でした。

電話主から、とあることに関する知らせを受けた私は「それはそれで仕方ないよね。」と思っていました。

心づもりが出来ていたので、その知らせが私にとって「残念」「喜ばしい」どちらであっても、受け止められる状態にあったのです。

その時までは。

ところが、電話主の「本来であれば、(私が受け取る)結果は違った。」の一言で、私の心の内は一変します。

自分には落ち度がない中で、受け取る結果が変わったという事情を知り、さっき受け入れたはずの知らせがどうにも受け入れ難く、理不尽だと思うようになりました。

でも、これは決定事項であり、今さら何をした所で、くつがえらないとのこと。

私は、どうすることも出来ないまま、知らせを受け入れるしか、選択がありません。

正式な通知が郵便で届くと聞き、すでに結果がわかっているというのに、私はそれを受け取ることが、とにかく怖いと感じるようになりました。

怖いと感じていた理由と私に起きていた問題

なぜ、私は怖いと感じていたのか。

当時は、言葉に表すことが出来なかったのですが、落ち度がない中で、受け取る結果が変わったことに対し、無意識のうちに私は、周りから、自分を全否定されたと感じていたからなのです。

実の所、私は「知らせ」を受け取ったに過ぎませんし、周囲が私を否定していた訳でもありません。

そう、私は、事実と意見の区別がつけられなかったのです。

そんな訳で、周りから自分を全否定されたと感じたことが、私の中の事実となり、

  • 自分を傷つけられた
  • 知を受け取ったら生きていけない
  • 怖い

などと感じていたのでした。

自分の中で、事実と意見の区別をつけられないことが、さまざまなトラブルを引き起こし、ムダな労力や時間、お金を費やし、結果的に自分や周囲を傷つける原因になると知るのは、EFTを提供し始めてから、しばらく後のことです。

出来事を変えた状態で、同じ問題が起きる

周りから自分を全否定されたと感じたことが、私の中で事実となり、怖いと感じていたものの、どう対応したらよいのかわからないまま、2-3日が過ぎた頃、出来事を変えた状態で、同じ問題が起こりました。

私は友人らに会い、ご飯を食べながら、お知らせとは全然関係ない話をしていました。

この時の流れで、友人が放った一言により、私は再び「自分を全否定された」「傷つけられた」となどと感じ、「もうダメだ」と思ったのです。

友人は私を否定したのでも、悪意があったのでもなく、意見を口にしたに過ぎません。

ですが、この時も私は、これらの違いを、頭でも感覚でも、区別することが出来ませんでした。

そのため、「自分を全否定された」「傷つけられた」いう思いが私の中で事実となったのです。

でも、実は、友人の意見が当たっていたが故に、耳も心も痛かっただけなのです。

出来事を変えた状態で、同じ問題が連続して起きた結果、私は、周りが皆、敵に感じる状態になりました。

「周りが皆、敵に感じる」は、別の言い方をするなら「誰も私をわかってくれない」「誰も私を認めてくれない」でしょうか。

「もうダメだ」となった私は、通知を受け取る前に、EFTを受けることを決めたのでした。

同じ問題が起こる意味とありのまま認める法則の関係

お知らせも、友人の話も、それぞれ全く別の話です。

でも、私の意識は「電話主」「友人の反応」に向いていて、2人の言動に左右される状態にあり、自分の内側で、同じ問題が連続して起きていることには、意識が向きませんでした。

それから、短期間で、同じ問題が連続して起きています。

これらが意味することは、前に進む為に必要なことを、身に着ける機会が、巡ってきている。急げ。チャンスをつかめ!

改めて別な記事で触れますが、初めてのセッションから10か月ほど過ぎたあたりで、私は1人でEFTタッピングを使い、ひたすら感情解放に取り組むようになります。

なぜかわからないけれど「ある」と自分が「認める」(ありのまま認める)と変化が生じる。

一体、どういうことなんだろう。

ありのまま認めるこの先に、何があるのかを見てみたい。

そう思って、セッションや自分の取り組みを通じて、「ある」と「認める」(ありのまま認める)とは何なのかを、しつこく追いかけていた私は、ある時、ありのまま認めることには、法則性があると気づきます。

それは

「ある」と自分が「認める」ことが、その人の最善に繋がる(その人が、前に進んでいくために、身に着ける必要のあることが、課題となる)

というものです。

次に行くためには、目の前の問題を、クリアする必要がある。

クリアするまで、出来事を変えた状態で、何度もその機会が、巡ってくる。

対応できなければ、どんどん衝撃が大きくなる。

衝撃が大きくなれば、不快な思いも増す。

だから、現状を変えるために、動かざるを得なくなるのですが、自分のことがわからず、自分を活かせない、不自然な状態に居続けないようにする仕組が、隠れているのです。

今となっては、衝撃が連続した時にEFTを受け、課題に対応する機会を、自らつかんだことを幸いに思っています。

仮に、もしあの時、友人が私の話を肯定してくれ、安心・安定したとしたら、私は必要な手を打てず

  • 前に進む為に必要なことを身に着ける機会も、チャンスもつかめない
  • この先に繋げることもできない
  • 衝撃が大きくなった同じ問題に、対応できないことが続く中、誰かに自分を肯定してもらうことで、その場を凌ぐしかない

のです。

でも、当時は、このことがわからなかったので、「なんでこんなにイヤなこと(悪いこと)ばかり起きるの・・」と感じていました。

悩みの解決にEFTセッションを選んだ理由

このような状態にある中で、なぜ私は「EFT」を選んだのか。

話は、セッションを受ける1年ほど前に、さかのぼります。

過失のない交通事故に遭い、引きこもっていた私は、いろいろな問題を抱えていたのですが、先が全く見えず、ドロドロした思いを沢山抱いていました。

それをどうにかしたいと考え、現状を変えるための情報を探していました。

いつも、今度こそ変わるのではないかと期待するのだけれど、フタを開けると、綺麗事・不自然・抽象的・漠然としていると感じる内容ばかりで、うんざりしたものです。

そのような中で、EFTのプラクティショナーのサイトに辿り着きました。

EFTの内容は、ネガティブと呼ばれる思いや感情を「ある」と自分が「認める」(ありのまま認める)です。

この方は、当時珍しく、ドロドロした、ご自身の正直な思いに触れていたことや、言葉を選ぶセンスが好みだったこともあり、いつか何かあったらお願いしようと考えるようになりました。

でも、実の所、EFTが自分にとって必要なものなのか、どういうものか、しっかりと理解していた訳ではありません。

そのような中で、セッションを受ける機会が巡ってきたのです。

EFTセッションを開始してから出て来た、私の心の内

EFTは特別な道具はいらず単純な方法であることを事前にサイトを読んでわかっていました。

セットアップフレーズやリマインダーを作るのも、セッションの先導も、プラクティショナーが行います。

実際にセッション開始し、しばらく経った辺りの頃、同じリマインダーを繰り返し喋っていた私の中で

「ばかくさい」
「こんな単純なことで、現状が変わる訳がない」
「何でこんなことやっているんだろう」

などの思いが、次々わいてきました。

当時は知る由もありませんが、これらが2人の自分のうちの、1人目の言い分です。

無意識のうちに私が、抱えている様々な問題が、EFTをやることによって、何もかもが一気に片付くのを期待していたのが、お分かりになると思います。

EFTをやったら、何か奇跡でも起きて、通知の内容が変わるのだろうか。

そんなこと、起こりっこない。

だったら、EFTやったって何も変わらないじゃない。

やる意味ある?

いろいろな思いが出てきました。

今なら「おお、EFT、うまくいっているねえ。いい調子ねえ。」と思うのですが、当時は失望感が溢れる中、「もう(EFTを)やりたくない。やってもムダ!」と思いました。

そして、その旨をプラクティショナーに伝え、セッションを数分ほど中断したのです。

EFTタッピングの最中に起きた変化

プラクティショナーと少し話をし、一息ついてから再びセッションを開始したのですが、前とは違う変化が起きていることに気づきました。

リマインダーを繰り返している時に、私の両胸の間で、今まで味わったことのない、清涼感のような、すっきりする感覚・感じがあるのです。

当時は、これが何を意味していたのか、全然わかりませんでしたが、私の視点が外側から内側へと変わったのでした。

どういうことかというと

「誰かに自分を認めて・わかってもらえたと自分が感じることで、現状を変えよう、自分を満たそう」としていた状態を、「ある」と自分で「認める」ことで、自分を満たせた

自分を満たせたことで、「外」や「周りの誰かや何か」ばかりに向いていた私の意識が、「自分の内側の感じ・感覚」に向いた

のです。

自分を満たし、意識を内側に向けることが、事実と意見を分け、事実を事実として捉えるための、第一歩でもありました。

「自分が放つ言葉と、自分の体の内側にある感覚・感じが連動する」のは、よく考えれば当たり前なのですが、私の場合、ここに至るまで、実体験を通じて連動に気づく機会がどこにもありませんでした。

連動は、ただセットアップやリマインダーを喋って聞くよりも、タッピングが加わる方が断然わかりやすい・・と個人的には思います。

私は、プラクティショナーが繰り返し放つ、リマインダーを追いかけてしゃべることで精いっぱいだったので、それこそ機械的にEFTをしていました。

リマインダーを口にする度に感覚が反応するので、それがすごく興味深かったです。

残り2セットという所で、プラクティショナーが作ったリマインダーを口にしていた時、違和感が出てきました。

この場合、違和感を言葉に表すと、次のセットアップ・リマインダーとして使うことができます。

フレーズを変えてほしい旨を伝えて、最後のEFTをしました。

内側で清涼感が広がり、通知を受け取ってももう大丈夫、生きていけると思いました。

この時は全然わかっていませんでしたが、私はプラクティショナーの補助を受けながら、ひとまず「お試しをクリア」したのです。

EFTタッピングのセッションで唯一の不満はスケールが面倒くさかったこと

EFTタッピングのセッションで、唯一不満だったのは、スケールが面倒くさかったこと!

変化を確認するために、1セットごとに数値を聞かれるのですが、「4と5の違いって何だろう?」「どういう理由で7なんだろう」などと考えてしまい、途中から面倒くさくなって、適当に答えていたのですが、それがまた苦痛で・・。

スケールを使うことを否定しているのではなく、使う意味が見いだせなかったのです。

私は、感情の数値が下がることには全く興味がわかず

  • 言葉と感覚の連動
  • 視点が変わる

ことに、完全に心を持っていかれたのでした。

そんな訳で、後に、一人でEFTをするようになった時、私はスケールは使わず、EFTをしている最中に、思い出したことや違和感などをチェックするようになるのですが、これが思いがけず「自分を掘り下げていく」ことへと繋がっていきます。

EFTセッション後の変化・現実が何も変わらないのに目に映る景色が違って見える

セッションの帰り道、通知の内容も、目の前に起きていることも、現状も、何1つ変わっていないのに、私の目に映る景色が違って見えるという、不思議な感覚を抱いていました。

EFTを通じて、自分の内側に意識が向き、視点が変わったことによって、起きた現象でした。

家に戻ると、通知が届いていて、中を開けると、電話で聞いていた通りの内容が書かれてありました。

ほんの数日前まで、生きていけないとか、皆が敵に見えるとか思っていたのが、嘘のような感じで、中身を見たのを覚えています。

EFTタッピングで悩みが解決した後のこと

セッション内容を定着させるには、まだまだ取り組みが必要な状態ではありましたが、お知らせの悩みは解決し、ひとまず落ち着いたので、継続セッションをしようとは思いませんでした。

「EFT、簡単だよ」と話すプラクテイショナーさんから、ささっとやり方を教えてもらったのですが、実際に一人でやってみるとよくわからず、使い続けることもありませんでした。

セッションを通じて変化の経験はあったけれど、それが何なのかわからず、現実が何変わった訳でもない(と感じていた)中で、拍子抜けしながらも、事故で減退していた意欲が、少し戻ったように感じていました。

それでも、もしかしたら、何かが変わるのかもしれない。

あとから、何か起きるのかもしれない。

などといった具合に、私は、ぼんやりと期待を抱いていました。

「あるをない、ないをあるとする」長年のクセによって、無意識のうちに、誰かや何かが、私に配慮して、何か良いものを差し出してくれることを再び、期待していたのです。

変化とは、自分がやると決めて動くことで、起きるもの。

自分の現実を変えるのは、自分であることを、頭ではわかっている。

でも、感覚的には、どうしても、「向こうから来るもの」のように感じる。

というのが、後に私の課題となっていきます。

結局、期待するような何かが起こるようなことはなく、私は、次にやる必要のあることに着手し始めました。

これは、数か月に渡る、少し長丁場の地道な取り組みの連続・積み重ねだったのですが、セッションを受ける前の状態で手を出したら、ハードルが高すぎてあきらめたのではないかと思います。

無事に、これの取り組みが実を結び、終わった日。

私は、サロンの立ち上げを決めます。

セッションから1年後には、アイホージュとして、推拿やEFTの提供をするために、サイトの作成をし、3か月後には、初めてのお客様を迎えます。

セッションを受けたあの時の私には、全く想像できない未来が待っていました。

もし、あの時の私に、予言として「1年後には、サロン立ち上げっているよ」と伝えたら。

おそらく、何もせずに現状が変わるのを、ただ待っていたのではないかと思うのです。

でも、そうならないように、次にやる必要のあることが「間」にはさまっているのか!と気づいたのは、つい最近の話です。

「ある」と「認める」ことは単純ですが、奥深く、今も発見することの連続であり、悩みの解決だけに使うのは、実の所、モッタイナイのです。