前回からの続きです。

ありのまま認める×EFTには、変化の再現性があるのだろうか?

「世の中の誰かが、自分の使った方法を探しているのかもしれない」という思いに辿り着いた時、最初に考えたのは「変化の再現性」でした。

私は、自分で自分(の思考や感情、言動等)をありのまま認め満たすことを通じて、サロンを立ち上げた訳ですが、誰もが、サロンを立ち上げたい訳ではありません。

このEFTが、仮に「サロンの立ち上げ」にしか使えないのであれば、変化の再現性はないことになります。

変化の再現性がないのであれば、EFTの提供はできない。
そう思いました。


  • 自分が、サロンを立ち上げたいという思いに沿って生じた、いわゆるネガティブと呼ばれる思考・感情等をありのまま認め満たしたら、サロンの立ち上げに繋がった

  • クライアントさんが、どうしたいのかは、クライアントさんが知っている。

    だから、クライアントさんがどうしたいのかを引き出して、クライアントさんが、どうしたいのかに沿って生じる、いわゆるネガティブと呼ばれる思考・感情等をありのまま認め満たせば、クライアントさんがどうしたいのかに向かって進むことができる。



これなら、私とクライアントさん達の持ち合わせている特性・条件・望む何かといったものが異なっていても大丈夫だと判断し、EFTを、サロンのサービスに加えることにしたのです。

EFTの位置づけ

ただ、私には、もう1つ、気になっていたことがありました。

私は、心理学等の勉強をしたことがありません。

いくら「世の中の誰かが、自分の使った方法を探しているのかもしれない」という思いに辿り着いたとしても、自分が、人様の心の内を扱うのはどうなのだろう。

改めて、心理学の勉強をしたいのかを自らに問いかけました。

答えはNOでした。

心理学を軽視したり、否定している訳ではなく、気持ちが全然向かないのです。

前回の記事で触れましたが、私は、沢山の知識を得ても、それを活かせず

  • 生きる上で、沢山のテクニックとか、心理学とか、全て身に着けていなければ、人間の力って、活かせないものなのだろうか
  • もっと、別の、頭も心も合致した状態で、自然で、現実的で、実用的で、心から納得のいくやり方ってないのだろうか
  • 「人間が、もともと持ち合わせている力を発揮する方法」といった、人間の取り扱い説明書のようなものがあるとしたら、どんなものだろう

という思いを抱いていました。

なのに「自分で自分をありのまま認め満たす」という、単純な取り組みの積み重ねで、変化した。

でも、どうして、自分で自分をありのまま認め満たすことが変化に繋がるのかがわからない。

自分の変化があまりに面白かった私は、自分で自分をありのまま認め満たす、この先に何があるのかを見てみたいと思いました。

この思いに伴う感覚が

  • 被害者の立場を、納得して終わりたい
  • サロンを立ち上げたい

という思いに伴う感覚と同じだと気付いた時。

これまで同様、この感覚を、どこまでも追いかけたら、「この先」に辿り着けるのではないかと思ったのです。

最終的に、医師の治療・カウンセラーが行うカウンセリングとは一線を引き
「慣れたら自分1人で出来る思考・感情の手入れ」と位置づけ
「セッション現場で起きていること(クライアントさんが話す内容)」に焦点を当てて、EFTを提供することにしました。

話が飛ぶのですが、私は、事故がきっかけで、数か月の間(回数にして10回程)精神科に通ったことがあります。

前回の記事で「立て直しの方法を探していたこと」について書きましたが、立て直しの方法を探すようになったのは、精神科の通院を終えてからのことです。)

この経験は、私がEFTを「慣れたら自分1人で出来る、思考・感情の手入れ」という位置づけで提供することを決めた、きっかけになっているのですが、今の時点から、通院していた時期のことを振り返ると、サロンを立ち上げる頃には全く見えていなかった景色が目に映るのです。

当時、物事が何も進んでいないように感じていたけれど、緩やかに、確実に、自分は変化していたのだと思うと、とても感慨深いものがあります。

長くなるので、今日はここまでにして、次回、この景色について触れていきます。