前回の続きです。

自分の違和感に蓋をして前に進む

すぐに独立することを考えられなかった私は、しばらくしてから、東京で起業に関する講座を受けた際に、講師の「事業を立ち上げるなら、営業職を経験しておくと良い」という言葉を思い出し、営業職に就きました。

面接の時、私の中に、ちょっとした違和感が湧きました。

例えるなら、

りんりんりんりん

このまま前に進んで大丈夫?


といった感じです。

実は、小さな違和感を拾い、適切に扱う(自分で自分をありのまま認め満たす)ことによって、問題の芽を小さなうちに摘めるのですが、この頃の私は、そのことを知りません。

やるしかないと思い、自分を抑えて装う選択をし、この違和感に蓋をして前に進みます。

違和感に蓋をする理由

仕事を始めてからの、私の悩み。

りんりんりんりん

扱う商品そのものは悪くないけれど、販売手法にどうにも抵抗がある。


決して安くはなく、ちょっと興味があって、お試しで買ってみる・・というようなものではありません。

こちらから見たら、必要性はあるかもしれないけれど、なければないでいいのかもしれない。

お客様は、必要性をあまり感じていないし、実際に必要かどうかも微妙。値段を知って引いている。

その状態から、応酬話法で必要性を説き、クロージングへ持っていく。

という流れに違和感があったのです。

これでいいのだろうか。
考えても、答えは出ません。

まだ始まったばかりだから、ひとまず頑張ろうと思った私は、周囲に対して、違和感がある素振りを出さず「がんばりまーす!」と言う姿勢を保ち、いわゆるポジティブに振る舞っていました。

ネ子ネ子

ポジティブになるとうまくいくっていうものね。


りんりんりんりん

確かにそう言うよね。
でも、この動きは全然ポジティブじゃない!!


ネ子ネ子

え、どうして?


周囲に対し、ポジティブに振る舞っていた私は

「頑張る」

「上司に自分を認めてもらえた」と自分が感じる

「さらに頑張る」

といった具合に、上司に認めてもらえたと感じることで原動力を得ながら、仕事のスケジュールを、朝早くから夜遅くまで詰め込むようになっていました。

ネ子ネ子

あれ・・?
前も同じことしていなかったっけ?


りんりんりんりん

そうです。

私は、出来事を変えた状態で、東京に居た頃と全く同じことをして、現状を突破しようとしたのです。

現状を変える為に、違和感を完全に無視した時のこと

1つ成果を上げた時の嬉しさは、一瞬。

「この次をどうするか」を考えた私は
どこまでも徹底して自分を抑えて、抵抗を無視して
「こうすればうまくいく」と言う経験がある上司達の指示通りに動いて、真似してみよう
という答えに至りました。

つまり、(自分を抑えて装う選択をし)上司の指示通りに動くことによって
(上司に認めてもらえる行動をしたら)思い描いた通り、うまくいく
と考え、自分の違和感を完全に封じたのです。

どうするかが決まって、清々しい気持ちになった私は、心機一転頑張ろうと思い、翌朝、意気揚々として出かけました。

そんな私を待ち受けていたのが、過失のない状態で生じた、追突事故です。

直前で事故に気づく

小雨が降る中、車を運転していた私は、信号が黄、赤と変わったので、一番前で停止しました。

目の前の信号が変わる迄、少し時間があったので、ぼんやりと左側の草を眺めていました。

その時、ふと

りんりんりんりん

雨の日に、ここで事故が起こる。

という言葉が、頭の中を駆け巡ります。

何が何だかわからないまま、視線を車中のミラーに向けると、加速して近づいてくる大型トラックが見えます。

「これは現実だ」と思い、急いで車を前に出し、体を硬直させ、追突してくるまでの様子を、ミラー越しに眺めていました。

ドンという衝撃と共に、ガラスの割れる音が聞こえましたが、直接、体に傷を負わずに済みました。

自分の違和感を完全に無視した私は、当初、大したことがないと思い、興奮した状態で、改めて頑張る宣言をし

「誰かに自分を認めてもらえた」と自分が感じる

「さらに頑張る」

の流れに乗ったかのような感じだったのですが、数日後、心身共に異変が生じ、車の運転が出来なくなりました。

この為、休職し、治療に専念することになったのですが、ほっとしたのは数日だけ。

毎日、少しずつ、体に異変が生じる範囲が広がるのに、自分の中で何が起きているのかが全然わからず、不安や恐怖といったものがどんどん募ります。

体や心の変化に、どう対峙していいのか全くわからないまま、不安定になる一方の私は、病院に行く時と、ご飯を食べる以外のほとんどの時間を、寝て過ごすようになりました。

しばらく休職した後、そのまま退職することになりました。

何もかも、中途半端

父のことで、道半ば状態で東京での暮らしを終え
鬼軍曹のような師匠のもとで修行をせず
営業として、自信を得た訳でもなく、中途半端で
次、次起きた出来事に、気持ちがついていかなくなり

体にダメージ
心にダメージ。

整体はどうするの?
起業はどうするの?

この先の人生は?
事故の行く先は?

全然わからない。



お先真っ暗。

こんなことになるなら(30歳の時に)会社辞めなきゃよかったなあと思う日々が、始まりました。

今の私から見る、当時の私

当時は、とてもきつかったのですが、今は、全く異なる捉え方をしています。

今の私から見る、当時の私は

「誰かに、自分を認めてもらうことで原動力を得る」環境から、
「治療に専念」という名目で、強制的に離れたことによって
必然的に「1人で過ごす時間」を持ち
「自分で自分をありのまま認め満たす」方法がわからない状態のまま、
「自分で自分をありのまま認め満たす」ことが必要な状態に、足を踏み入れていた

のです。

忙しくスケジュールを詰め込むことで、不安や恐怖を見ないよう、蓋をしてやり過ごしていたのが、休職・治療に専念し、1人で過ごすことになった為に、否が応にも対峙しなくてはならなくなりました。

これに気づいた時、思ったことがあります。

事故に遭う前も、私は、同じ状態にあった

私は「治療に専念」する前にも

「誰かに、自分を認めてもらうことで原動力を得る」環境から、
「父のことで青森に戻る」という名目で離れ、父が亡くなったことにより、
必然的に「1人で過ごす時間」を持ち
「自分で自分をありのまま認め満たす」方法がわからない状態のまま、
「自分で自分をありのまま認め満たす」ことが必要な状態に、足を踏み入れていた

のです。

ですが
2・周囲の認めてほしい誰かや何かに、自分を認めてもらえたと感じ満たされる
やり方しか知らなかったので、2のやり方のまま、現状を突破しようとし

  • 原動力が得られず、次の段階には進めない
  • 原動力を得られるまで、誰かに自分を認めてもらう為の活動をしなければならない

状態に陥りました。

2の方法で原動力を得ることに意識を向けてしまうと
必然的に「大人の、自分の本質・特性」といったものが活かせなくなりますし、
本当に必要なことも出来なくなります。


私は、ありのまま認める×EFTの取り組みを通じて

  • 本質を活かすことが、最善に繋がる
  • 本質が活かせなくなると、時間・労力・お金・人間関係・自信・居場所・存在価値のロスが生じる(から、本質を活かして、実りを得られるよう、立て直さないといけない)

と気づいた時に

「自分で自分をありのまま認め満たす」方法を身に付け、
「大人の、自分」の本質・特性を活かせるようになるまで、
出来事を変え、少しハードルを上げた状態で、何度も同じ(応用)問題が生じるのは、理に適っていると思いました。

2の方法で原動力を得ようとしていた時には、全く見えなかった景色を
1の方法を使って眺めてみて、その絶妙さ加減に驚くと共に、
事故程の衝撃がなければ、現状を変える体制にならなかった自分に
とてもショックを受けました。

起こることは全て自分に必要・・?

「起こることは全て自分に必要」という説があります。

確かにそうなのですが、本来「自分で自分をありのまま認め満たす」方法は、周囲の大人とのやり取りを通じて、子供の頃に、身に付ける必要のあることなのです。

もし、これを身に付けていたとしたら。

大人になった今、自分と周囲の違いを尊重することで互いを刺激し、存分に特性や能力を発揮しあい、充実した「大人の時間」を、味わっていたはずなのです。

それを身に付けられなかった為に
大人として力を発揮していたであろう、今の時間帯に
2の方法で、原動力を得ることに注力してしまい

「大人の、自分」の本質・特性を活かせるようになるまで
出来事を変え、少しハードルが上げた状態で、何度も、同じ(応用)問題が生じる

だなんて、もったいないし、ロスもダメージも大きすぎます。

「今、身に付いていないのであれば、必要なこと」ではあるのですが
小さい頃に、身に付けることができていたのであれば
「起きなくて良いこと・必要ではないこと」です。

仮に私が、事故後も、引き続き、自分の違和感を完全に無視して、自分を抑えて装う選択をし「がんばりまーす」と表向き、ポジティブに振る舞っていたとしたら。

りんりんりんりん

これ以上の衝撃って、何ですか・・


背中が寒くなります。

大人として、本質や特性を活かしたり、自分の安全を守ったりする為にも、違和感を適切に扱うことは、とても大切なのです。

ネ子ネ子

ねえねえ、じゃあさ、りんりんは、自分で自分をありのまま認め満たさなかったから、事故にあったってことなの?


りんりんりんりん

そう思うかもしれないね。でも、そうじゃないよ。

「出来事」ではなく「出来事に対する、自分の動き」を見る

自分の身に起こることは全て自分の責任
という説がありますが、私はそうは思いません。

なぜなら「自分にはどうすることも出来ない・どうしようもないこと」が、沢山あるからです。

りんりんりんりん

自分にはどうしようもないことを「アナタの責任」と諭すことで、言われた人の現状が改善し、長期的に安定するなら、いいのです。

でも、言われた人が、どうせ自分はダメなんだと傷ついたり、表向きはわかった風に装いながら、心の内側で「どうせ自分の苦しみを、わかってもらえない」となったりして、現状の改善へと繋がらないのであれば、「アナタの責任」と言う人の、自己満足に過ぎないと私は思うのです。


私は、EFTを通じて、父の死・過失のない事故といった
「自分にはどうすることも出来ない、出来事(誰かや何か)」に対して

自分が何を思い考え感じ、
何が必要(欲しい)と思ったのか。

必要(欲しいもの)に対し、
どんな選択・行動をし、
どんな結果を得たのか。

得た結果に対し、
自分が、何を思い感じ、
それを、どのように次へと繋げるのか。



の積み重ねによって、
今日、私の目の前の「現実」があるということ
事故や後始末の対応する自分に、責任を持つことが出来る
と気付きました。

もし、自分の目の前の「現実」が、納得のいかないと感じるものなのであれば、積み重ねてきた過程を振り返り、どこを変える必要があるのかをわかって、実行することが大切です。

次の段階へと進む

治療に専念した後も、私は、変わらず
1・自分の思考や感情、言動等を、自分でありのまま認め満たす
の方法を知りません。

なので、当然、躓きは起きるのですが、それでも数か月過ぎる頃には、新しい段階へと足を踏み入れていきます。

次に続きます。