アイホージュでは、自己犠牲をやめ、自分らしく幸せに生きるために必要なメタ認知能力を、あなたの解決できない悩みに根本対応しながら高めるEFT(自律最善)タッピングをお伝えしています。

  • 自己犠牲をやめる
  • 自分らしく幸せに生きる
  • メタ認知能力を向上する
  • 解決できない悩みに対応する
  • タッピングの手法

それぞれ別なことのように、感じるかもしれませんが、全てがつながっています。

この記事では、上記の内容を、一般の一個人である私が、自律最善(EFT)タッピングとして提供するに至った実体験と経緯について触れます。

自分を変えるために必要なこと

2006年。
過失のない追突事故に遭い、一年近く心身の治療を受けました。

全ての治療を終えた後、すっきり爽やか、やる気マンマンになるのではないか。

そんな期待をしていたのですが、実際は違いました。

心許なさ。
放り出された感。
漠然とした不安や恐怖。
どうしたらいいのかわからない。

想像とは違う現実を目の当たりにし「治らなかった」とも感じていました。

でも、心身は、確かに回復している。

受傷直後と比較すると、明らかに違う。

だから「治っていない」訳ではない。

なのに「治らなかった」と感じている。

じゃあ、どうしたらいいんだろう。

実はこの時、私は、自分(の意思の扱い方)を変える過程にありました。

「今までのやり方では堂々巡りをするばかり。うまくいかない。」と気づいて、軌道修正をする必要があったのです。

自分を変えるとは意思の扱い方を変えること

自分を変えるとは、意思の扱い方を変えること。

意思の扱い方は、幼い頃、周囲の大人たちとの日常的なやり取りを通じて、自らの内にて後天的に育むもの。

  • 自らの意思を活かす
  • 自らの意思を犠牲にする(自己犠牲)

の2つに分かれます。

アイホージュで提供する内容は、社会的・個人的な事情により「自己犠牲」を良かれと身に着けたために、大人になるにつれて不都合を感じている女性が、一時的な伴走を利用して「意思を活かす方法」を、自らの内にて後天的に育む、というものです。

意思を扱えるのは自分だけ

意思は、他の人からは見えません。

扱ったり、奥深くまで触れたりすることができるのは、自分だけ。

自分の意思を扱うために必要なのは、心身の健康。

事故を機に心身にダメージが生じ、治療を通じて、健康的に「意思を扱える」状態へと回復する過程で、知らず知らずのうちに私が取り組んでいたこと。

それは、大人の自分らしく、幸せに生きるために、自己犠牲を積み重ねた状態から、意思を活かせるようになることを通じて、自分を変えること。

この取り組みは後に

  • アイホージュの立ち上げ
  • EFTタッピングの提供
  • セッション内容の言語化・知識化

などへとつながっていきます。

自分を変えるには順番がある

さかのぼること、事故から数日後。

心身に異変が起こり、不調が続きました。

病院に行く以外の時間を寝て過ごしたといっても過言ではありません。

心身の変化について行けず、不安や恐怖を覚えていたこの頃、私に必要だったのは、

  • 休息
  • 心身の回復
  • 受傷後の体に慣れること

そのために、医師による治療が不可欠でした。

物事には順番があります。

あなたはどうしたい?

将来、何がしたい?

何が好き?

何が楽しい?

なんて、心身の調子が良くないのに自問しても、正直、それどころではないのですよね。

自分を変えるのにも順番があるのです。

自分を変えるにはどうしたいのかを知る必要がある

少し余裕が出てきた、わりと早い時期のこと。

納得した上で、事故の後始末を終えたいと思うようになりました。

理由は二つ。

一つは、事故を言い訳に、やりたいと思うことをやる前から諦めて、傷つかないように振る舞う自分が、容易に想像できたから。

もう一つは、後悔や事故を、引きずらないようにしたかったから。

「ひどい目に遭ったのだから、わかってもらえるだろう」という楽観で「タイムリミット」を迎える。

「こんなはずじゃなかった」という展開になり「今さらどうすることもできない」と悔やむ。

このような状態に陥るのは、とにかく避けたかった。

当時は知る由もありませんが、どちらも、自己犠牲による対処で得る結果 です。

つまり、この時点で、自覚なく、自己犠牲を避けたいと考えていた、ということになる訳です。

自己犠牲の癖

納得して終わりたい。

自己犠牲を避けたい。

でも、何をしたらいいのか、全然わからない。

わからないと思いながら、私は次の段階へと進みます。

自分と向き合うもネガティブな思考や感情を持て余す

受傷して2カ月ほど経った頃。

休職・退職によって、周囲の人間関係から離れたため、一人でいる時間が多くなりました。

そのため、否応なしに「ネガティブと呼ばれる、自分の思考や感情と向き合う」ことになったのです。

今だと、ピンチはチャンスってこういうことか、うまくできているなあと思うのですが、当時の私は、これらの思考や感情を持て余していました。

なぜなら、事故前はスケジュールを詰め込み忙しくしていて、事故後はずっと寝ることで、ネガティブと呼ばれる思考や感情を極力見ないようにしたので、扱い方がわからなかったから。

なので、心身に対する不安や恐怖、事故のことや、将来への心配など、堂々巡りが続きました。

何も感じなければいいんだ!

ネガティブをなくす、手放す、ポジティブになるといった情報があります。

「なくせばうまくいく」という考え自体が、自己犠牲特有なんですよね。

でもこれ、全然うまくいきませんでした。

うまくいかなくて当然です。

なぜなら「ネガティブが自分の中にある」のに「ない」と自分が認識することを指すので、判断が狂って混乱しちゃうから。

例えるなら、目の前に石があるのに「ない」と思いこんで進み、足をひっかけて転んで、傷ついているのに、そもそも石はなかった、転ばなかったことにすれば、何も問題はない、と言っているようなものです。

そんなことを知らない私は、どうしたものかと考え「感じるから疲れるのであって、感じなければいいんだ」

そう、感じることをやめてしまったのです。

最初のうちは、すごく快適でした。

でも、ある時、好きなものに何の反応もない自分に気づきます。

「これはまずい」と思い、再び、煩わしい思考や感情の堂々巡りに悩み、ダメな自分を責める日々へと戻りました。

ちなみに、ダメな自分とは、先ほどの例でいうと「石にひっかかって転んだ自分」ですよ。

集めた情報が自分を変えることへと結びつかないという悩み

この流れで、自分や現状を変えるための情報を探し始めました。

でも、なぜかわからないけれど「集めた情報が、自分や現状を変えることへと結びつかない」のです。

これまた「自己犠牲の癖」から来ているのですが、当時は知る由もありません。

そのため、情報を集めては、疑問を抱くのを繰り返していました。

未来へとつながる3つの疑問

抱いた疑問のうち、3つを紹介しましょう

1・心理学とか、いろいろな情報を全て身につけなければ、うまく生きられないのだろうか。

生きる上で、押さえる基本は何だろう。

基本なら普段使いするのだから、複雑ではないはず。

人間に取扱説明書があるなら、それはどういう内容だろう。

2・現在のうまくいかない理由は、過去に原因がある

思い当たる節があるものの、過去に戻ってやり直しをする訳にもいかない。

かといって、このまま前に進んでいいとも思えない。

だったら、どうしたらいいのだろう。

3・「以前はドン底だったけれど、今は幸せです」と言う人の「ドン底」と「幸せ」の間には、何があるのだろう

当時、これらの答えは見つからず仕舞い。

「いつかこの状況を抜けたら、具体的に何があったのか、何をしたのか、事細かに明らかにしたい」と思うに留まりました。

後に、これらの疑問は

  • あらゆる場面で一つの方法を応用する
  • アイホージュで提供するプロセス「目の前の出来事または過去の追体験を通じて、自己犠牲による対処ではうまくいかないと気づいて軌道修正をし、術を身に着けて、意思を活かす」

へと結びついていきます。

助っ人を得て自分を変える取り組みを始める

私は、助っ人を得ることにしました。

納得して終わるにしても、事故の後始末に関する知識が全くない。
一人でやるのはムリだし、お手上げでした。

でも、誰でも良かった訳ではありません。

そもそも求める方法自体、存在するのだろうか。

そう思いながら、ネットを通じて探し続けた結果、「被害者も勉強して実りある終わりを」という感じのスローガンを掲げていた、助っ人へとたどり着きました。

事故の後始末のために、助っ人を得たはずの私は、思いがけず

  • 「事故の後始末」という実際の悩みを題材に
  • 助っ人とのやり取りを伴走に
  • 自己犠牲による対処ではうまくいかないと気づき、意思を活かす

という、自分を変える取り組みをすることになったのです。

実はこれ、現在の、自律最善タッピングのセッションスタイルそのもの、です。

自分を変えるきっかけ

伴走者を得たことで、私は

  • 集めた情報が、自分や現状を変えることへと結びつかない状態から抜ける方法
  • 自分(の意志の扱い方)を変える方法

を、少しずつ身に着けていきます。

助っ人とのやり取りは、テキストベース。

私の状況に合わせて、何をする必要があるのか、指示が来ます。

想像する「タイムリミット」以上に、状況はひっ迫していると知らされたにも関わらず、助っ人の最初の指示に対し、私は「やりたくない」と答えました。

「納得して終わりたい」と思っていた、私の実際の行動。

それは、助っ人が、私のやりたくない気持ちを察して、都合の悪いこと全てを避けた上で、いい結果を与えてほしいというもの。

これが、自己犠牲による対処で「得た情報が、自分や現状を変えることへと結びつかない」の正体です。

助っ人は、容赦がありませんでした。

「やりたくなければ、やらなければいい。
これはあなたの問題であって、私の問題ではない。」

返信を読んでいた私が青ざめたのは言うまでもありません。

頭を殴られたかのような衝撃を受けるとともに、心の内を見透かされたような恥ずかしい気持ちになりました。

そして
「いままでのやり方ではダメなんだ。
これからは出された指示は、全て実行しよう」
と思ったのです。

ここから私は、「自己犠牲を良かれと感じる状態で、気持ちがついていかないまま、意思を活かし、行動を変え、結果を得る」ことを、2年以上に渡って積み重ねながら、物事を一つずつ進めていきます。

実はこれ、結構大変でした。

初めての成功体験

自己犠牲を積み重ねたままの状態で、~したいという、自分の意思を活かそうとすると、抵抗が湧きます。

「絶対にうまくいくはずがない」と思い、ユウウツな気持ちで、関係者に連絡を取りました。

状況を説明し、お願いをした所、全員が快く引き受けてくださり、私は無事にひっ迫している状況から抜けられたのです。

拍子抜け。
安堵する気持ち。
とてもありがたいという思い。
話して良かったと思いました。

これが、最初の

  • 自分の意思を尊重(活かす)する
  • 自分と他者の違いを尊重し、必要があれば合意点を見いだし、実行する

という成功体験です。

自己犠牲による対処をしたらどうなっていたのだろう

もし、あの時「やりたくない」で終わっていたら。

私は、何にもしないくせに「皆、わかってくれなかった」と恨みつらみを覚えていたのだろうか。

そんなことを考えたのを覚えています。

「都合の悪いこと全てを避けた上で、いい結果を与えてほしい」と期待していた私の現実。

それは、ヒト・モノ・コトといった外が変わることを求めては、うまくいかず堂々巡りをして、自分を責めるばかり。

やってはいけないのですよね。

さて、一回成功したからといって、それで終わりではありません。
次につなげて活かすことが必要です。

医師の伴走による自分の変化

初めての成功体験をした後、私は大きな病院に転院しています。

これまでの経緯を聞いてくださった精神科の医師が
「あなたには、悩みがたくさんあるのに、何一つ解決していなくて、不安なんですね。」と仰った時。

ぼんやりした不安や恐怖は、言語化することによって

  • 現状把握へとつながる
  • 何も解決していなくても落ち着く
  • 次を考えられるようになる

という経験をしました。

これは、普段、自律最善タッピングでもやっていること。

医師による心身の治療もまた、私にとっては「回復への伴走」だったのです。

あなたはどうしたいのですか?自分を変えるための質問に困っていた日々

助っ人から言われて、困る言葉。

それは、
「あなたはどうしたいのですか?」
「あなたがどうしたいのかが大切です」

いつもわからないと感じていたのですが、最初に一喝されたのを機に、無理やり意思をひきだし、指示を行動へと結び付け、結果を得るようになりました。

でも。
小さな成功体験を積み重ねても、自己犠牲の癖や、ネガティブな思考や感情は、簡単には変わりません。

そのため、いつも気持ちがついていかないまま、うまくいくはずがないと思って、行動していました。

楽しくない、ハラハラドキドキが伴う、新しい一歩の結果、うまくいって拍子抜けしたり、安堵したり、感謝の気持ちが湧いたりする。

この繰り返しだったので、次にやることが提示される度に、ユウウツな気持ちになったものです。

当時は意識していませんでしたが

  • 自分を尊重
  • 自他の違いを尊重

という基本を押さえて、慎重に動き、的を射た対応を取る。

これにより「自分はどうしたいのか、意思を活かすことが最善」という経験を、積み重ねていきました。

自分が変わると理不尽な出来事に対応が取れる

でも、いつも、うまくいく訳ではありません。

後始末の終盤で、意思に沿って行動し、理不尽と感じることが起きました。

生きる上で、時折、理不尽と感じる場面がありますが、こういう場合はどう対応したらいいのか。

それを学ぶ機会が巡ってきたのです。

どうにも受け入れ難いと思った私が選んだのは「EFT(感情開放テクニック)のセッションを受ける」

私が受けたのは「ネガティブな思考や感情をありのまま認める」やり方のEFT。

最初のうちは、こんなので変わるはずがないと感じて、落胆するばかり。

でも「放つ言葉と自分の感覚が連動している」と気づいてからは、うまく掘り下げが進みます。

タッピングによって「私の現状は何も変わらないのに、目の前に広がる景色が違って見える」と感じる経験をしました。

これは、視点や意識が外を向いていたら解決できない悩みも、内に向けると捉え方が変わり、必要な対応が取れるようになるという意味だったと知るのはずっと後のこと。

制限がなかったら何がほしい?

後始末の最終段階は、少し長丁場の、地味な作業の連続でした。

その中で、関係者に、自分の意思を提示する必要がありました。

これまでの無理やりひねり出す方式では答えが見つけられず、どうしたいのかわからないと感じていました。

助っ人は「自由に、やりたいようにやればいい」と言います。

でも「自由」ってなんだろう。

少なくとも「一方的に好き勝手に振舞う」ではないよなあ。

あれこれ考えていた時、
「私は何を得たら、納得するんだろう。
もし、制限がなかったら、何を得たい?」
という問いが、ふっと浮かびました。

その瞬間に思ったのは「この問いって、自己啓発とか、自分を変えたいといった情報に出て来る奴だ!」

以前の私は、この問いを見かける度に、ウンザリしていました。

なぜなら、何も思い浮かばないか、無理やり引き出した答えに現実味が持てないか、だったから。

なので、自分の中から自然と出てくるなんて、ビックリ!

この時、気づいたのは「制限がなかったら、何を得たい?」という問いは、ここに至るまでの全ての取り組みを経て、初めて答えられるのだ、ということ。

つまり、問いかけにも段階があるということです。

結果的に、この問いは突破口となります。

私は、自分の納得が何なのかがわかった上で、提示する「意思」を固めました。

受傷直後の私だったら、思いつきも、答えられもしない内容。

「ここに至るまでの意思を活かすプロセスと、それに伴う結果」が大切なのだと知る機会でもありました。

納得を探し求めて

ただ、私の意志が、何もかも通る訳ではありません。

実際に「決定事項に対し、全然納得しない」状態に陥りました。

それでも、自分を卑下したり、尊大になったりせず、最後まで納得を求めることにしました。
期間にして1カ月。

「どうしたらいいのか、やっぱりわからない。」
そう思いながら本を手に取ったら、答えが書いてあったのです。

これを3冊繰り返した後、私は「最後の答え」を探していました。

どうしたらいいのかわからないまま、何かヒントがあるかもしれないと思い、たくさんの書類を読み返していた時。

「あ、私、もう納得できる」と思った、一枚があったのです。

私が得た納得

通る、通らないは別として、関係者全員が皆、いったん私の意志を尊重してくださったこと。

皆、それぞれの立場で、最善を尽くしてくださり、それが「実際の実り・結果」として得られたこと。

自分も、精いっぱい頑張ってきたこと。

これらに、初めて意識が向きました。

納得は、外ではなく、私の内にあったのです。

当時の私は、これが、なぜ「納得」だったのか、全然わかりませんでした。

実は、納得とは、自律最善タッピングの基本である

  • 自分を尊重
  • 自他の違いを尊重、必要があれば合意点を見いだし、実行する

を押さえた内容だったのです。

過去の現在の自分を比較して変化を知る

明日、被害者の立場を終えるという日。

事故に遭ってから「自分の答え・納得の中身」や「最終的にどうなるのか」を知りたいとずっと思っていたことを振り返っていました。

そうすれば、それに向かっていけば良いのだから。

でも、仮に、受傷直後に、最終的に得た結果を「あなたが探していた答えであり、納得だよ」と差し出されたとしたら。

私は、全然納得しないはず。

もし「あなたの後始末が終わるのは、2年以上後です。」と言われたら。

そんなにかかるの?と思って、やる前から諦めていたのでは?

「2年後、すごく良い結果が得られます」なんて言われたら。

ぼんやり思い描く「良い結果」が与えられるものと捉えて、2年過ぎるのを待って、こんなはずじゃなかったと思ったのでは?

あんなに、「自分の答え・納得の中身」や「最終的にどうなるのか」を知りたかったのに。

知らなくて本当に良かった、と思ったのです。

過去を振り返ると、確かに自分は変わったと思います。

でも、実感としては、前とそんなに大差はない感じがするのです。

でも、これは、「〇〇をやって、私は変わった!!!」という、自己犠牲の積み重ねで抱く、わかりやすい変化のイメージとは全然違うから。

ということを知るのは、もっと後の話です。