
ふと思い立ち、2009年にアイホージュを立ち上げてから、現在に至るまでの間、自律最善タッピング(前・EFT)のセッションを何名の方に提供したのかを数えてみました。
延べ人数で1,100人。
おお。
思ったより多かった。
振り返れば、2012年まで、イケイケドンドンでEFTを展開していました。
ところが、2013年。
春のある日の出来事を境に、理由がわからないまま、私の納得の感覚は内側へ、内側へと潜るようになり、EFTの新規提供は縮小へと向かったのです。
以前、別な記事で触れましたが、私は
- 納得して事故の後始末を終えたい
- サロンを立ち上げたい
- なぜかわからないけれど、思考や感情をありのまま認めたら、変化した。ありのまま認めるこの先に何があるのかをみてみたい
という、それぞれ違う思いに伴う、同じ「納得の感覚」を追い求めて、サロン運営をしていました。
イケイケドンドンで広げる一方だったので、この先もそうなのだろう。
仕事とはそういうものだと思っていたので、理由がわからないまま新規募集を縮小することに対し、多いに困惑しました。
飽きっぽいと感じていた自分の癖が顔を出し、サロンを潰すんじゃないかと冷や冷やしていましたが、納得の感覚にはどうにも抗うことができません。
次、次と発見がある日々を過ごす中で、サイト記事の書き直しを始めました。
ところが、思うようにまとまらないのです。
発見したことの羅列になったり、小難しい文章になったり、数日前の内容が古くなったりで、自分でもしっくりしない感じが数年続きました。
そのため、更新が滞り、結果的に2020年まで新規募集をほとんど行わずにいました。
全然なかった訳ではないのですが、新規は両手の指に収まる程度の数といったら、その少なさがお分かり頂けるのではないでしょうか。
代わりに
- セッションで明らかになったことを言語化しながら、EFTの知識を作りあげる
- 自分の取り組みを深める
- 継続セッションを積み重ねているクライアントさんの変化に伴走し続ける
ことに注力していました。
私が、縮小の意味を理解するのは、数年後のことです。
高校生の頃、実力が伴わない肩書を得て、多くの人の前に出る機会を得た時、「(いつかまた、このような機会があったら、私は)中身のある人間でありたい」と思い、考え、望んでいたことを思い出したのです。
昔、私は、サロンの宣伝として、知り合いのお店においてもらうフライヤーに「怪しいチラシ」と名付けていました。
EFTの中身や、なぜ変化が起きるのかなどを事細かに明らかにし、怪しい止まりではなく、堂々と仕事をしたかったし、継続して下さるクライアントさんが結果を出し続けられるようにもしたかったのです。
堪える時期が、長く続きました。
でも、この間、享受したことがたくさんあります。
これがなければ、仮に2013年以降、拡大し続けられたとしても、どこかで心もとなさを覚えるか、尊大や慢心によって、自分もサロンも潰れていたのではないかと思います。
延べ1,100人という数字。
私にとっては、前に進むためのお守りであり、自信でもあるのです。