苛立ちと怒りが強い原動力となった時のこと

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

2015年の夏から秋にかけてのこと。

数年間取り組みを継続し、出来事を変えた状態で、自己犠牲の癖に対応し続けていたクライアントさんとのセッション中、私は猛烈に腹を立て、苛立っていました。

クライアントさんに腹を立てたり、苛立っていたりしていた訳ではありません。

幼い頃に、クライアントさんが、周りの大人たちの言動を通じて、ご自身の内側で自己犠牲を良かれと思いこみ、自己否定をし続けざるを得なくなっていたこと。

自己犠牲を良かれと思い込み、長年に渡って使い続けた結果

  • 自分を尊重
  • 自分と他者の違いを尊重

した上で自分を活かす、という基本を身に着ける機会を失ったまま大人になったこと。

そのため、本来、大人として、自分らしく力を発揮しているはずの時間帯に、的を射ない対処に

  • 時間
  • 労力
  • お金

などの財を費やし

  • 自信がない
  • 居場所がない
  • 自己肯定感の低さ
  • 自己否定

傷ついたり、身動きが取れなくなったりしていること。

漏れが生じる、この状態を改善するために、さらに

  • 時間
  • 労力
  • お金

などの財を費やして、自律最善タッピングで、日々、軌道修正を積み重ねていること。

これらのことに対して、なんてムダで酷な話なんだろうと思い、猛烈な怒りと苛立ちが湧いたのです。

クライアントさんが、と書きましたが、彼女だけの話ではありません。

私も他のクライアントさんも同じ道を通ってきています。

伊藤伊藤

どう考えても、おかしくないだろうか。

どうして、こんなことになったんだろう。

何をしたら、こんなことにならなくて済んだんだろう。

自らの内に生まれた猛烈な怒りや苛立ちは、ありのまま認めることで強い原動力となり、私は抱いた疑問の答えを探し始めます。

  • 疑問を抱く
  • 問題を解決する
  • 願いを叶える

それぞれ表現こそ違いますが、これらは

  • 知りたい
  • 解決したい
  • 叶えたい

という「自分の欲(~したいという意志)を扱う」ことであり、私の中では全てが繋がっています。

変化が先行する中で、言語化・知識化が進んでいたこの頃。

すでに明らかになっていた「人生は欲を扱うことの連続」ということが、この疑問を解くヒントとなりました。

次回に続きます。