自律最善タッピングのビジョンの裏側にあるもの

自分の変化が面白かったから、ありのまま認め続ける、この先に何があるのかを見てみたい。

そう思って自律最善タッピング(旧・EFTタッピング)に取り組み、自分や継続セッションのクライアントさんの変化を10年以上に渡って、追いかけてきました。

出来事に対して生じる、自分の思考や感情、言動などを自分がありのまま認めて掘り下げ

  • 自分を尊重
  • 自分と他者の違いを尊重

した上で、自分がどうしたいのかに沿って行動する という、基本を押さえた取り組みの積み重ねによって、どこに行けるのかが見えてきた頃。

私は、自律最善タッピングを提供する上でのビジョンを作りました。

自律最善タッピングのビジョン

一人一人が、自律することで、持ち味を生かし
互いの違いによって、刺激し合ったり、協力し合ったり
思いやったりしながら発展していく
愛と喜びに満ちた、実り多き平和な世界。

実はこのビジョン。

出来事に対して生じる、自分の思考や感情、言動などを自分がありのまま認めて掘り下げ

  1. 自分を尊重
  2. 自分と他者の違いを尊重

した上で、自分がどうしたいのかに沿って行動するという、『自律』の基本を違う言葉で装飾して表現にしたに過ぎないのです。

持ち味、幸せ、愛、喜び、発展、協力、思いやり、実りは、抽象的な表現です。

でも、実は全て同じで、2つの基本を積み重ねて得るもの、なんですよね。

普段、地道・現実的・実用的・根本的と謳っているのに、スピリチュアル系のような表現のビジョンが出来たので、大いに戸惑ったことを懐かしく思い出します。

スピリチュアルなことについて

私には霊感がありませんし、視えもしません。

怖いから視えなくていいし、感じなくて結構と思っています。

カルマとか前世とかもあるのだろうけれど、個人的には記憶ないしなあ、ピンと来ないなあと思うタチです。

もちろん、このような世界はあるでしょう。

そのために必要な術や訓練などもあるでしょう。

でも、私は持っていませんし、このような観点からセッションや講座を提供することはありません。

『今生のことは今生で』と考えています。

今生のことは今生で

もともと『今生のことは今生で』と考えていたのですが、セッションや講座を提供して、その思いは強くなりました。

そう思う理由があります。

時折、理不尽で、過酷と感じる状況を生き抜き『何か悪いものを背負って生まれたのか』といった思いを抱かれる方々のお話を伺うのですが、背景には、自己犠牲を積み重ねた上の世代からの強力な

  • 暴力
  • 暴言
  • 否定
  • 締め付け
  • コントロール

などが絡んでいたからです。

力関係によって、幼いご自身を守るために『自己犠牲』を身につけ、積み重ねざるを得なかった。

それが、現在の
『頑張ってもうまくいかない』
『自分がだめだからうまくいかない』
といった生き辛さへとつながっていたのでした。

つまり、ご本人は何も悪くない、ということ。

誰もが幸せに生きる権利があります。

軌道修正には時間も労力もかかりますが、持ち味が活かせないのは大きな損失なのだという思いがあり、自律最善タッピングを提供しています。