一番いいタイミング

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

昨日、プロフィールを更新したのですが、ボツになった記事を読みながら思ったこと。

それは、親が亡くなったり、事故に遭ったりする前の30代前半の私なら「自分には自律最善タッピングなんて必要がない」と判断しただろう、ということ。

私が初めてタッピングを受けたのも、一人でやるようになったのも、38歳の頃です。

今の時点から過去を振り返ると、ここが一番良いタイミングだと思います。

サロンを立ち上げるにあたって、タッピングの手法を使いながら、自分の話を、うんうんそのまま自分が聞く。

人に話したり、聞かれたりしたら、人格を疑われても仕方がないなあと感じるような酷い内容も、そのまま口に出して、ありのまま認めることによって、物事が進んで行くと気づいた時「なんていいものを手に入れたんだろう」と思いました。

私がそう思う背景には、36歳の頃に事故に遭い、1年近く通院していたことが関係しています。

事故に遭ってから、半年ほど通院した後に転院。
大きな病院で2週に1度のペースで5カ月間、体と心の治療を受けていました。

転院先での初日。
精神科の医師が、時間をかけて話を聞いて下さった後に口を開きます。

「あなたは、たくさんの悩みを抱えているのにそれが何一つ、解決していないのですね」

「そうだ、私はたくさん悩みを抱えているけれど、何も解決していないんだ。」

後遺症で体調が優れない中、日々、出口がないまま悩み続けるだけで、現状把握すらできていないことに全く気づかなかった私は、医師の発言に納得し、この先の治療に期待を抱きました。

ところが、これ以降の治療では、「あれもこれも話をしたいけれど時間が足りない」と不満を覚えるようになります。

なぜなら、初日のような長時間のヒアリングと手ごたえが、毎回得られるものだと勝手に私が思い込んで、期待していたから。

自己犠牲あるあるですね。

もう1つ、病院の待合室を兼ねた廊下には、治療を待つ人達がたくさんいました。

前の人の話す内容が、カーテン越しに聞こえてきます。

ということは、私の話す内容も当然、聞こえているはず。

そう思うと、何を喋ったらいいのか悩み、言葉を選びつつ話をして、時間が経過。

当時は、思うような手ごたえを得られないと感じて、焦りを覚えていました。

でも、あれはあれで良かったのだと今なら思います。

仮に、医師が毎回、長時間に渡り、私の話を聞いて下さったとしたら、どうでしょうか。

間違いなく私は、医師に依存したはずです。

でも、あの時の「話したりない」と感じた経験があったから。

「人に聞かれたくない」という思いがあったから。

タッピングを使うようになってから、自分の話をうんうん自分が聞くことで物事が進む喜びを得られました。

そう考えると、医師の治療はやっぱり適格だったんだと今さらながら思うのです。

医師だけではなく、助っ人もいたから「自分でやる必要のあることを自分でやる・行動を変える」こともできました。

あの頃、たくさんの方にお世話になったことを、ありがたく思い出します。

自己犠牲を積み重ねていると、自分はダメだとか、嫌いだとか、さんざんな扱いをします。

でも、どんなひどい内容も、自分だけは全部そのまま聞いてくれるし、原動力にも変えてくれますし、誰にも漏らしたりしません。

自分にとって、自分は力強い味方だと知らないことは、とてももったいないと思いませんか?