春彼岸

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

今日は春分の日で、春彼岸の中日。

サロンはお休みなので、朝からぼた餅を作り、ご先祖の皆さんに差し上げた次第です。

そこから3時間ほど後のこと。

仏壇にお茶を持っていこう(遅いって)と思いついた時に、遠い昔のことを思い出しました。

遠い昔の記憶

札幌の親戚の家で、祖父や大叔母たちが麻雀をしている傍で、当時4-5歳だった私は、せっせとお茶係をしていました。

「みいちゃんの淹れるお茶はおいしいねえ」

私は、調子に乗り、目を光らせ、空いたお茶碗を見つけては、お茶を注ぎ込みます。

皆は、その度に、ありがとうとか、おいしいねとか返してくれました。

麻雀をしている面々にとって、飲めといわんばかりにお茶を淹れ続ける私は、相当ジャマだったはず。

時は昭和。
青森-札幌間は、連絡船と汽車(電車じゃない)を乗り継いで8時間。

祖父母にとっては、頻繁に会えない「初孫チームの私」

大叔母たちにとっても、頻繁に会えない「姪」

大人がやったら、確実に嫌がられることも、滅多に会えない、幼子であるが故に許されていた訳です。

過去と現在はつながっている

時は流れて2016年早々。

ちょうど、苛立ちと怒りが強い原動力となった時のこと で触れた「過去に何をしていたら、大人の自分らしく、力を発揮している時間帯に、軌道修正と名打った自律最善タッピングに取り組まずに済んだのか」を探していた頃のことです。

とある出来事に対し、ウダウダしていたので、自律最善タッピングに取り組んでいたのですが、
ふと、あの頃にお茶を淹れていた場面が、浮上してきました。

セッションでもよくある話なのですが、「なぜかわからないけれど、昔のことを思い出した」のです。

この頃は、もう

  • とある出来事
  • お茶を淹れていた時

の自分の動きが同じだと知っていたので、何気なく比較した時、あ!と思いました。

私の自己犠牲の癖「喜ばれる、褒められることをやればうまくいく」は、あの時のお茶入れの経験が元になっている!

ここで初めて気づきました。

一見よさそうに感じる癖ですが、後に私は、これによって、つまづきを積み重ねていきます。

可愛がられて育つと安定するというけれど

よく、可愛がられて育つと安定すると言いますが、私は、可愛がられたことによって、不安定になっていきます。

なぜなら、いつまでも、周囲から注目を浴びて、一挙一動を褒められることを求める、幼い子供のままではなく、少しずつ成長するのに、必要な術を身に着ける機会を失った(これは祖父母たちとは関係がない)ために、あの頃と同じ方法で対処するしかなかったから。

成長する過程で、この癖が顔を出した場面をひとしきり思い出した後、このようなことを思い出しました。

祖父母たちは、あの時、普段はなかなか会えない孫であり姪である私の成長を喜んでいただけ。

これが元で、後につまづいていくだなんて、誰も思いもしないよね。

可愛がってもらっていたのがわかるだけに、ご先祖様に「すみませー-ん」なんて思っていたのです。

故人に対する今の思い

少し話は飛ぶのですが、私は、小2の夏休みの間を札幌の祖父母の家で過ごしました。

いつもなら長くて10日位なのですが、この時だけ長く滞在しました。

私が祖父母に会ったのは、これが最後でした。

渦中にある時は、終わりを終わりと認識していないので、あの時が最後になるとは全く思いもしませんでした。

いろいろなことが記憶として残っていますが、今は亡き、札幌の祖父母や大叔父・大叔母たちに対する私の思いは、幼いの頃の好印象のまま、何も変わりません。

故人を思い出すことは供養になると言います。

思い出す人数が多くなったことに、年を取ったのだと実感する春彼岸の今日でした。