呪縛から逃れる

今日は家族と一緒に花見をしに弘前方面へ行きました。

道中は雨が降ったり止んだりと不安定な状態でしたが、弘前公園についたら雨はあがっていて、薄曇の中、時折差す夕暮れの光が桜の美しさをより引き立てていました。

岩木山神社のおみくじ事件

公園に行く前に、岩木山神社にお参りをし、おみくじを引きました。

大吉だったのですが
「表面に出てはいけません。
自分から進んでやることは止めることです。
無理をしてことをおこすと大変な事になりますから慎んでおくことです。」
と書いてあるではありませんか!!

もうすぐアイホージュの公開なのに・・。

何か後押しになりそうなことが書いてあることを期待していた私には、衝撃的な内容でした。

当たるおみくじだから、アイホージュの公開をやめるの?

以前同級生から、岩木山神社は生まれ年の神社と聞いたことがあり、15年近く前からおみくじを引くようになりました。

それが、なんとなく当たっていたので、周りの人達に「岩木山神社のおみくじはあたる」って話すようになっていたのです。

ひえー。
これってアイホージュの公開をやめろ、ってことだよね?

でも、電話もひいちゃったし、ホームページの契約だって数か月先の分もしちゃったし、どうしよう。

そう考える中で、ふと思ったのです。

自問自答しながら、自分の意思を再確認する

この紙切れ1枚の内容によって、アイホージュの公開を諦める、もしくは止めるというのなら、私にとってアイホージュの公開はその程度だということよね?

私は、やるって決めてから、このくじを引いたんだよね?

こうやって誰かや何かが、私の心を揺さぶる言葉を放ったから、私は公開を止めるの?

それとも自分の思いを貫くの?

おみくじには「願い事:他人に妨げられることがあります。」ともありました。

これは「この先、何かが起きた時、他人に妨げられたと私が思う事があります、だよね?
これ、私の問題だよね?」

今まで、ぼんやりとおみくじが当たると思っていたけれど、引いたおみくじに対して、どんな思考や感情を抱き、それをどう扱うのかは私の責任だ。

この時、初めてそう思ったのです。

「商売:急に下がることがあります」

商売だからそういうこともあるかもしれないけれど、大丈夫。

「大変な事があるかもしれない」

そうだけれど、やらなくたって、大変な事はあるよね。

だったらやってみた後の、大変な事を体験したほうがいい。

ここまでグサリと書かれている事で、アイホージュ公開前に自分の意思を再確認できて良かったです。

ああ、私、大丈夫。
そう思った時に、ふっと出てきた言葉がありました。

それは「呪縛から逃れる」

「おみくじがあたる」→「書かれてあることがその通りになる」という、長年抱いていた呪縛から、私は逃れたのでした。