
自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
現在非公開にしている、アメブロの記事を、本日一つ移動してきました。
題して「呪縛から逃れる」
長くお付き合いのあるクライアントさん達には、懐かしい内容だと思います。
こちらの記事では、アイホージュ公開間近に、おみくじを引いた当時の私の思考の動きに沿って「他人軸から自分軸へと軌道修正する流れ」を具体的に解説して参ります!
当たるおみくじって、どういうこと?
あと数日もしたら、アイホージュを公開します、という時のこと。
ウエブサイト記事をせっせと書いていた、2010年4月の出来事です。
神社にて、大吉と書かれたおみくじを引いたのですが、
「表面に出てはいけません。
自分から進んでやることは止めることです。
無理をしてことをおこすと大変な事になりますから慎んでおくことです。」
と記されていたのです。
反射的に、「え、アイホージュの立ち上げをやめろってこと?」と思いました。
(そんなことは書いてありません!)
これまでなら記されていた内容にしょげてしまう所です。
不安や恐怖が募る中で強がって、大丈夫だよーと言いながら、安心・安全を求めて手を引いちゃいそう。
新しいことって、未知で怖いもんね。
そして、後で「なんでうまくいかないんだろう」と嘆く思考・言動パターンにはまるはず・・。
当時は気づいていませんでしたが、私は、おみくじの内容に従って、自らの意思を潰し、アイホージュの立ち上げをやめることで、「おみくじ当たったー」状態を作ってしまうところだったのです。
おみくじで人生を変えたかもしれない、のです・・。
力を発揮する以前の段階で、何の努力もせぬままに諦めて、おみくじ当たったーなんて言ったら。
岩木山神社の神様に失礼ですよね。
他人軸から自分軸への軌道修正術が功を奏する
「やめるっていっても電話だって契約済だし、ウエブサイトだって半年分契約済だし・・」と思った時、日々、軌道修正術で取り組んでいたことが役に立ちました。
当時
- 感覚
- 言葉
- タッピング
を掛け合わせたEFTタッピングの手法を使い「出来事に対する、自分の思考や感情、言動などを、自分がありのまま認める(別名・メタ認知能力を育む)」取り組みを始めて、3か月ほどが経っていました。
自問自答が始まる
ちょっと待って。
事実は、「私がおみくじを読んだ」
それに対して、「おみくじに書かれてある通りのことが、絶対に起きると私が思った」
じゃあなぜ、おみくじに書かれてある通りのことが絶対に起きると私は思ったんだろう?
他人軸の状態では自問自答は意味をなさない
実はこれらの自問自答。
他人軸の状態のままだと、意味をなさないのです。
なぜなら、出来事(事実)と思考・感情が一緒くたになり、それが事実のように感じる状態にあるから。
なので、どうしても「おみくじに従わなければ、絶対に悪いことが起きる(従えばうまくいく、悪い状態にはならない)」といった捉え方になるのです。
このまま、頭だけ、言葉だけで、出来事と思考・感情を分けようとしても、ムリがあります。
自分の思考や感情を犠牲にし続けている状態なので、自問自答には必要性を感じないからです。
だから何?
そんな問いかけしたって、何も変わらない。
どうでもいいから、早くうまくいく方法を教えてよ、となるのがオチです。
このようなことを踏まえた上で、軌道修正をする際に役に立つのが、前述したEFTタッピングの手法です。
おみくじによって自分で決めたことを再確認する機会を得た
前述した通り、この頃の私は、3か月ほどEFTタッピング(現・他人軸から自分軸への軌道修正術)を続けていました。
思考や感情などをありのまま認めることで、
(おみくじに従えばうまくいくはずと捉えて、神の承認を求める)他人軸の癖にアプローチしつつ、
事実と思考・感情を分け、客観的に物事を捉えることを出来事を変えながら、積み重ねていました。
なので、無理やりポジティブに持っていくことなく、プロセスを踏んだ自問自答によって、冷静さを取り戻しました。
本当にアイホージュをやるのか。
何か起きても他責(おみくじのせい)にしないか。
最終決定を問われた。
そう思ったのです。
結果的に、自分の意思を再確認しつつ、
「おみくじに書かれてある通りのことが、絶対に起きる(からアイホージュの立ち上げをやめる)」
という、己の思い込み、呪縛から逃れました。
まだ「なぜかわからないけれど、思考や感情をありのまま認めると、うまくいく」という認識しかなかった頃の話ですが、岐路に立つ時や、新しいことを始めた時などに、ふと思い出します。
今だから言えることですが、あの頃私は
おみくじを通じて、自分の弱さやつまづきの癖を理解すること。
今、できることを一つずつ、地道に積み重ねていけば良いのだということ。
これらのことを得たのだと思っています。
今の自分にとって、タイムリーな内容でもあったので、過去の自分から、今、必要なことを改めて確認する機会を受け取ったような気もしているところでした。