
自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
アメブロで初めて書いた「整体の道」という記事を、本日、こちらのサイトに移動してきました。
立ち上げと、推拿(すいな)と呼ぶ、整体の提供は決まっていたけれど、それ以外は全てこれから。
「アイホージュ」という名前は存在していなくて、EFTタッピングは一度受けたことがあるだけ。
提供する側になるなんて、想像すらしていなかった頃の話です。
後の私の人生を示唆するもの
「開いたページに必要なことが書いてある」と言われて、短時間のうちに四度、同じページを開くという、印象的なことがありました。
過ぎ去った過去の奴隷にならずに、浄化の海に飛び込んで、どこまでも泳いでゆけ。
そして自ら尊び、新しいパワーを身につけ、人生を新たなる高き視野から見直し、それがなぜそのようであったかを知って戻ってくるがよい。
引用元: 名言ナビ
あの時、開いたページが、後の私の人生を示唆するものだったことを、今でも不思議に思っています。
過去の奴隷
「過去の奴隷」って、私にとっては、2つの意味があります。
- 他人軸の自分
- 事故の被害者という立場
他人軸の状態って、被害者の立ち位置になりやすいです。
あの人が、こういった、ああいった、だから傷ついたって。
傷を恐れて、安全を選び、承認を得ることに注力し続けると、自分が置いてきぼりになります。
自分がどうしたいのかに沿って、必要な対応が取れなくなります。
他人軸の、承認を得る対処によって、無自覚のうちに
- 時間
- 労力
- お金
- 人間関係
- 自信
- 居場所
- 存在価値
- 肯定感
などのロスの連動を、出来事を変えて積み重ねて表面化したものが、悩みや問題。
必然的に、後になって悔やんだり、苛立ったりすることが増えるのに、対応が取れない。
これが「過去の奴隷」なのではないかと個人的に思っています。
自らを尊ぶ
私の場合、過失がない事故だったのですが、運転する・しないに関わらず、また気を付けているにも関わらず、人生においては「事故・理不尽・不合理」が生じる場面があるんですよね。
他人軸を積み重ねた私が、これにどう対応するのか。
それが「自らを尊び」だったんです。
助っ人から、「あなたは、どうしたいのですか」と問われ、行動に移し、新しい結果を得る。
この地道な対応の連続・積み重ねが、「浄化の海」だったのでした。
2年半ほど泳ぎましたね。
事故の後始末を通じて「心からの納得」を得た後、EFTタッピングを通じて、自分で自分の思考や感情などをありのまま認めるという方法に辿り着きます。
- 「自分がどうしたいのか」を引っ張り出す
- 「自分がどうしたいのか」に沿って動く時に生じる、抵抗・不安・恐怖などにアプローチをする
という方法で、「自らを尊ぶ」が可能だ、と気づいたのでした。
浄化の海
「なぜかわからないけれど、ありのまま認めることが変化につながる。
ありのまま認める、この先に何があるのかを見てみたい。」
これもまた、私にとっては「浄化の海」だったのです。
10年以上、泳ぎました。
長かったなあ。
でも、自分が知りたかったことを、どこまでも追究することができたのですから、幸いなのだと思っています。
ブログを始めた時、深く考えることなく「整体の道」というタイトルにしましたが、これもまた、私の人生を示唆するもの、だったように思います。
体調を崩しがちだった20代を経て、推拿を通じて「自分の体を整えること」を学び、その後、他人軸から自分軸への軌道修正(EFTタッピング)を通じて自らの心の内を整え続け、今もなお、自身の取り組みやセッション・講座の提供を通じて「浄化の海」で泳ぎ続けているのですから。