管理教育時代に中学生だった私が思うこと

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

数年前、中学校の部活が一緒で、別の高校に進んだ友人と偶然、再会する機会がありました。

そこから交友が復活。

昨年、その友人を通じて、もう一人、同じ部活にいた友人と三人で、再会を果たしました。

30年ぶりの再会だけれど、あの頃のように仲良く過ごせるのは、とても嬉しいですね。

他人軸から自分軸への起動修正を積み重ねて思うのは「過去から人が登場してくる時、自分の変化がわかりやすい」ということ。

私の中学時代の認識

私は、三学年合わせると1,300人位というマンモス校にいました。

話するしないに関わらず、卒業アルバムに載っている同学年の人達の顔写真と名前が、一致していたように思っていたのですが、再会した友人たちと一緒に、久しぶりにそれを見ていた時

「この人知らない」「記憶にない」
の連続だったのです。

あまりの記憶の薄れっぷりに
「本当に私、ここの学校にいたんだろうか」
という疑惑が己の中に湧きました。

記憶の薄れが、年を取ったことと関係しているのは確かにある。

でも、軌道修正術で、過去に折り合いをし続けてきたので「つまづきとして、顔を出すことが減った」からだよね、なんて思うのでした。

昔の常識、今の非常識

友人が、
「ねえ、あれ覚えてる?
部活終わった後に、部室の前で喋っていたら、通り過ぎて行った〇〇(男の先生)がいきなり怒鳴り始めたの」

お・ぼ・え・て・るーーー!!
私の記憶、大丈夫だ。

部室前の廊下を歩きながら、私たちの会話を耳にし、勝手に自分のことを話していると思い込んだであろう、〇〇(男性教師)が、わざわざ戻ってきて

「誰だ、俺をばかにしたのは」
「〇〇は、馬鹿にされるのが大嫌いなんだ」

と大声で怒鳴りだしたことがあったのです。

全然違う話をしていた私たちは、何が起きたのかわかりませんでした。

いくら誤解だと伝えても、〇〇は聞く耳を持ちません。

結局、部長のYちゃんと、もう一人の友人が代表となり、全員で怒鳴り散らす〇〇にひたすら謝罪をし、許しを乞うという理不尽なことがありました。

昭和あるあるの笑い話ですが、今ならパワハラ問題に発展しかねない内容です。

管理教育

私が中学生だった頃は、管理教育と体罰が盛んでした。

自分が何かを選ぶ以前に、男・女の役割があり、それを担うことが幸せで、生涯安泰という風潮が強い時代。

理由も聞かずに
「怒られる、お前が悪い」
「叩かれる、お前が悪い」
ということがありましたし、理由を話しても「言い訳するな」と言われて「おい、どっちだ」と思ったことがよくありました。

決まりの中で生活するにしても、自分で考えるというよりは、怒られたり、叩かれたりしないように、決まりを守る、という感じが強かった記憶があります。

怒られるからやらない。

怒られないように隠れてやる。

怒られないからやる。

怒られるのが嫌で言えない。

行動だけでは見えない、自分の心の内。

セッションで、DV、~ハラなどについて出てくることがあります。

そういう時は、クライアントさんとお相手の年齢をお伺いしています。

私より上、または前後の年齢の方なら、性別に関係なくDV、~ハラ、ブラック企業で我慢し続けて頑張るなどは、十分起こり得る話、だからです。

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