
どうして、「人からどう思われるか」から 「自分がどうしたいのか」に軌道修正する必要があるのでしょう。
いろいろ理由があるのですが、今日はそのうちの1つを紹介します。
自分の意思を活かせないと、知らず知らずのうちに「本当に自分が欲しいものを、自分から取り上げる」ことになります。
そのため「こんなはずじゃなかった」と後で悔やんだり、「私の人生これでいいのだろうか」と焦ったりすることが、必然的に増えるのです。
盛大に悔やんだ過去に対峙する
このようなことを書いている私は、「どう思われるか」に沿って行動し続け、盛大に悔やんだ過去があります。
今さらどうすることもできない中で、対峙の仕方を知っているのだからと、大後悔に伴う、自分の思いや感情などをひたすらありのまま認め、自分を満たす作業をすることにしたのです。
後悔ってひたすら認めたら、どこに行けるんだろう。
せっかくだから検証したいじゃないの。
そう思って、日中ではなく、寝つきの悪い夜に取り組むこと5年。
アンタ暇人ねと言われたら、そうですスミマセンとしか言いようがありません。
軌道修正で得られたもの
心の旅は淡々と続きました。
物事には段階があること。
1つの段階が終わると次に行けること。
その積み重ねがあって、初めて人が触れることのない、奥深いところに行けること。
そこに辿り着いて初めて、
私が本当に欲しかったのは何なのか。
本当のところ、何を悔やんでいたのか。
をしっくりする言葉で表せるようになること。
最初の段階で、これらのことを言い表せたとしても、全然しっくりしないとわかったこと。
つまり必要な段階を踏まなければ、行きたいところには行けないということ。
最初のうちは、欲しい何かが外側にあったのですが、取り組みが進むにつれて、自律の術が身についていなかったために主体的に動けなかった悔しさが湧くようになりました。
いつも同じようなことをやっている感覚があったのですが、実際には変化していると気づく場面が結構あったのです。
自分の思考や感情をありのまま認め、満たし続ける先で「最後の答え」に辿り着いた時。
パズルのピースが全ておさまったような感覚を抱くと共に、この先にすすむために必要な術が全て自分の中に揃ったことに初めて気づきました。
私は、自律最善タッピングに取り組む前に「これまでの自分の人生をどうしようもないと感じる中で、だからといって過去に戻ることもできないけれど、このまま前に進んでもいいとも思えない。どうしたらいいのだろう。」と思ったことがあるのですが、その答えに辿り着いたことにもなる訳です。
「へえ。こういう所に辿り着けるのか。
本当にうまくできているなあ。」
と思ったものです。
大後悔が自分の味方となり財産となる
大後悔に対峙し続けた経験は、私が生きていく上で、また仕事をする上での味方となり、財産にもなりました。
やっていないことはお伝えできないけれど、取り組んだことでクライアントさんに堂々とエッセンスをお伝えできるのが嬉しいです。
あの頃、あのタイミングを活かせる術が自分の身についていたら、5年もかけて大後悔に対峙することは必要なかったのですが、課題をクリアした今。
身に着けた術を使って、日々、自分がどうしたいのかを行動につなげて、以前とは違う結果を積み重ねていこうと思っています。