
アイホージュの伊藤みつるです。
全ての出来事には意味があるという言葉があります。
自律最善タッピングでは、出来事そのものではなく
- 出来事が発生する前のあなたが、何をどう思い感じ行動していたのか
- 出来事に対し、あなたが、何をどう思い感じ考えて行動したのか
に意味があると考えます。
そこに自分を活かして、幸せに生きていくためのヒントが隠れているからです。
例えば、ずっと昔のことだけれど、誰かに言われた、酷いと感じる発言に傷つき、普段は全く意識することはないのに、ずっとひっかかっていることはあるでしょうか。
私にはありました。
こういった過去の傷は、ある程度、自律が進み、少し余裕がある状態で浮上することが多いです。
最初のうちは、目の前の悩みを何とかすることの方が先ですしね。
過去の傷いた経験に対応する際は、自律によって積み重ねてきた経験や術を総動員する必要もあるので「満を持してタイミングが巡ってきた」と考えると良いと思います。
過去の傷への対応は、「誰かに対するいら立ちや怒り」などをありのまま認めることから始まります。
ひたすら誰かを責めると、今度は、自分の思考や言動などに意識が向くようになるからです。
そうすると
- 自分を尊重する
- 自分と他者の違いを尊重する
という自律の術が身についていなかったために、必要な手が打てずに、時間の経過とともに問題が大きく広がったことに気づき始めます。
この段階では、自分に対するいら立ちや怒りの方が強くなってきます。
だって、術が身についていたら、適切に対応が取れる上に、欲しいものに手を伸ばして得たり、それができなかったとしても、今になってウダウダ過去を振り返り悔やむことはなかったでしょうから。
適切な対応を取るタイミングを逃したと気づくと、今さらどうしようもない感が強くなっていきます。
どうしようもない感も、ありのまま認めていくうちに
「自分が欲している何かが、本当に欲しいのかと問われたら欲しい。
でも、実際に手に入れられたとしても、本当にそれが欲しい訳ではない。」
という「欲しいけれど、もうそれじゃない」という内容へと行きつきます。
だって、もうあの頃の自分ではないのですから。
「じゃあ、いったい、私は何が欲しかったのか。何が欲しいのか。」
そのように問いかけをしながら、浮上する思いや感情をありのまま認めて続けていくと、ある日「過去の自分が本当に欲しかったもの」が、適切な言葉で表せるようになります。
これは「今から続くこの先で、自分が求めていく必要のあるヒト・モノ・コト」でもあります。
少し時間と手間はかかりますが、過去の出来事(傷)に伴う、浮上してきた思いや感情を
- 自分を尊重する
- 自分と他者の違いを尊重する
という2つのルールに沿って対応し続けていくと「自分の過去が現在と未来を応援してくれる」ようになるのです。
もし、私が自律の術を知らずに、出来事だけを見続け、そこに意味を見出そうとしていたとしたら。
恐らく私は、あの人がどうのこうの・・と不満を抱いたまま、人の前で無理やり良い人を装って「あの出来事は必然で、気づきを得られた感謝」みたいなことをして、内心ではいつまでも過去を引きずり、くすぶっていたのかもしれません。
装うことに労力や時間を費やし続けると、目の前の出来事に適切に対応する機会を逃し続けることになります。
「どうせ自分は・・」と卑屈なことを言っていただろう自分が容易に想像できるので、軌道修正をし続けてよかったと思うのです。