
普段、私は、

人生は、生きるとは、突き詰めると、自分の欲を扱う(認める・求める・満たす・次につなげる)の連続・積み重ねでそれしかしていない。
そのために人は思考・選択・行動する
欲とは、~したい、~欲しいという自分の意志のこと。
ヒアリングやセッション時には、クライアントさんの欲が何なのかと、言葉や表現に含まれている意味を探っています。
どういうことか、例を挙げましょう。
昔々、とあるクライアントさん(過去に事例公開の許可を頂いている方です)が、初期のセッションの頃、たびたび

周囲の人がひれ伏すような、圧倒的な能力・魅力・才能が欲しい
「周囲の人がひれ伏すような、圧倒的な能力・魅力・才能が欲しい」が、クライアントさんの欲。
私は、これが、何を意味しているのかを探り続けました。
本当にクライアントさんに必要なことなのかを見極めるためです。
完璧な自分になりたいという表現に隠れた意味
「周囲の人がひれ伏すような、圧倒的な能力・魅力・才能が欲しい」という欲の意味は「完璧な自分になりたい」でした。
完璧になれば、物事がうまくいくと感じますものね。

でも、完璧って、どういう意味でしょう。
具体的に、どうなったら、完璧な自分になったと言えるのでしょうか。
答えは、誰からも一切文句を言われないと、クライアントさんが感じること。
誰からも一切文句を言われない、完璧な自分とは
- 周囲から、そっとしておいてもらえた
- 自分のやっていることに、他人が口を出さない
- 自分とは違う意見を、他人が言ってこない
とクライアントさんが感じること。
言い換えると、「常に、周囲が自分を認めてくれたと、クライアントさんが感じられること」
重要なので、赤文字で強調しましたが、本当に周囲が認めてくれる必要はありません。
クライアントさんがそう感じるかどうかが必要なのです。
完璧主義というと、何もかもパーフェクトにできることを想像しがち。
でも、自己犠牲をしている状態では「周りに文句を一切言わせないために、できる自分になる(なったと自分が感じられること)」という表現の方が合うように個人的には思います。
自己犠牲、独り相撲で一喜一憂、トラブル招く
さて、またまた重要なことなのですが、クライアントさんは、自己犠牲の積み重ねによる、独り相撲で一喜一憂していて、それに気づける状態にはありません。
この状態は、内・外側でトラブルを引き起こします。
相手が文句を言っている訳ではないのに、文句を言われたとクライアントさんが感じるので「バカにされた」「見下された」「お前はダメ人間だ」などと判断し、相手に対し、猛烈な怒りを抱きます。
その後、自分がバカにされるのは、能力も、魅力も、才能もなく、自分がダメ人間だからだと考え、何もないと感じる自分に対しても、猛烈な怒りを覚えます。
それを表に向けて爆発させたら、トラブルになる訳です。
だから、そうならないようにするために「周囲の人がひれ伏すような、圧倒的な能力・魅力・才能が必要」なのです。
圧倒的な力があれば、周りから文句を言われない。
そう考える背景が、クライアントさんにはありました。
ヒアリングとセッションは、見極めの連続。
自己犠牲を積み重ねている方の場合、見極めをせずに「周囲の人がひれ伏すような、圧倒的な能力・魅力・才能を引き寄せます」といったフレーズを作り、実現するのを信じて疑わないようにと伝えて、セッションを終えてしまったら、大惨事を招きます。
ただでさえ自己犠牲を積み重ねているのに、さらに強化するよう、クライアントさんを仕向けることになるからです。

でも、フレーズ試してみるのはアリですよ!
セッションでは、このようなフレーズから軌道修正することがよくあります。
自己犠牲の積み重ねは自分を傷つける
自己犠牲の積み重ねは、自分を傷つけます。
本来の能力・魅力・才能が、なーんにも活きなくなります。
活きない訳ではありません。
活きていても、本人が「自分には何にもない」と感じたら、いくら周りがあるといっても、その人にとっては「ない」んですよね。
そうしたら、活きないことになっちゃいます。
「ダメ人間だ」と言われているように感じることが増えたら、「対人関係がうまくいかない」と感じることが増えるので、他者の目も気になり、萎縮する。
自分は社会不適合者だと思い込み、何の価値もないのに、お腹がすき、ご飯を食べることが、恥ずかしい。
満たされない状態にあり、特定の誰かから、欲しい言葉を引き出すために、圧倒的な能力・魅力・才能を得る努力をし「こんなことをやっても、何の意味もない」と感じて徒労感を覚える。
何とか現状を変えないといけないと思い、盲目に誰かを信じたり、一発逆転に大金をつぎ込んで騙されたりして、猛烈に自分に腹を立てる。
などといった具合に、時間・労力・お金・人間関係・自信・居場所・存在価値・自己肯定感のロスが、半端ないのです。
どこまでいっても、自己犠牲のループから、抜けられませんし、努力するほど自分が傷つく。
これが、自己犠牲の積み重ねをしている方の「頑張り」です。
このようなことをするために、生きているのではないはずです。
でも、幼い頃に、自己犠牲をすることを良かれと大人から教わり、そうせざるを得なくなったのに、大人になってから、まくいかないのは、自己責任だと周りに言われるのは、あまりに惨いと思うのです。
ちなみに、こちらのクライアントさんは、地道に努力を積み重ね、現在は大きく変化なさっていますが、ご本人はまだまだと思っていらっしゃるはず。
ご自分の持ち味を活かすことには、貪欲であってほしいと願う伊藤です。
自己犠牲から抜ける鍵
自己犠牲から抜ける鍵は、「常に周囲が自分を認めてくれたと、クライアントさんが感じること」
思い出していただきたいのは、独り相撲であるため、周囲に対して承認を求めてはいけない、ということ。
(「自己犠牲」と「自分を活かす」とでは、他者からの承認の意味がまったく違います。)
なので、自分で自分(の思考や感情)をありのまま認めることが必要です。
でも、ありのまま認めるって、どういうこと?
そう思われたら、アイホージュの自律最善タッピングのチャレンジ時です!