感覚の言語化で自分を理解する

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

2009年、アイホージュを立ち上げると決めたはいいけれど、時間の経過と共に「やりたくない」「怖い」「不安だ」など、いわゆるネガティブな思考や感情が次々と浮上してきて、動けないと感じていた頃の話です。

私はEFTタッピング(現・自律最善タッピング)の手法を使って「感覚の言語化」に取り組んでいました。

感覚の言語化とは、いわゆるネガティブな思考や感情に伴って生じる、自分の内なる感覚に合う言葉を選び、口に出しながら、少しずつ調整すること。

「感覚の言語化をすれば、自分のことがわかるのではないか」と思っていたからです。

どうしてそう思ったのか、当時は言葉で表せませんでしたが、今ならわかります。

私の中で、バラバラだった過去の経験で思い感じ考えたことが、一つにつながったからなのです。

バラバラだった過去の経験が一つにつながる

バラバラだった過去の経験とは、例えば

以前の記事で、事故の後始末をするにあたり、助っ人から、いつも「あなたはどうしたいのですか」と聞かれて、自分がどうしたいのかわからないと感じていたこと。

初めてEFTのセッションを受けた時に、いわゆるネガティブと呼ばれる、自分の感情や思考をありのまま認めている最中に

  • 口から出す言葉(セットアップフレーズ・リマインダー)
  • 両胸の間にある感覚

が連動していると気づいたこと。

セットアップフレーズやリマインダー(言葉)が、自分にとってしっくりする内容だと、清涼感が広がるとわかったこと。

事故の後始末を終える日の朝に「サロンを立ち上げたい」と思った時

  • 納得して終わりたい
  • サロンを立ち上げたい

という別の思いに伴う感覚が、同じだと気づいたこと。

納得の感覚をどこまでも追いかけたら、サロンが立ち上げられるのではないかと思ったこと。

などがあります。

他にもあるのですが、長くなるのでこの辺にします。

過去の経験を通じて、思い感じ考えたことが、私の中で一つにつながって「活きる知識」となったのでしょう。

「感覚の言語化をすれば、自分のことがわかるのではないか」という仮説に至ったのでした。

感覚の言語化によって生じる自分の変化

私は「ありのまま認める」という、基本を常に守った取り組みを続けました。

これは今も変わりません。

変化の体験が先行していたので、基本を守ることで「ありのまま認めるとは何なのか」がわかるのではないかと思っていたからです。

1人でEFTをしながら「感覚の言語化」をしていた私が、最初に気づいた小さな変化。

それは「もう1人の自分が話しかけて来るような感じがする」でした。

アブナイ話ではなく、犠牲にしていた自分が、言葉を持ち始めたのでしょう。

複数のクライアントさんも同じことを仰っていたので、最初の段階で起きうる変化だと思います。

その後、もう1つ変化がありました。

お店に入り、1人でお茶を飲んでいた時のことです。

「ね、察すればいいっきゃ(察すればいいじゃない)」と言っていたお隣さんの会話が耳に入り「必要なことを何も言わないのに、察するって無理だよね」と思った瞬間、あ、と思いました。

それまでの私だったら、お隣さんに同意していたはずなのです。

小さな変化は、気づくと楽しいもの。

私は、EFTに夢中になりました。

この頃は、アイホージュとしてEFTを提供する予定はなかったので、気楽に取り組めたのも良かったのでしょう。

感覚の言語化によって自分の思考や言動のおかしさに気づく

ひたすらEFTをしながら1-2か月ほど経った頃。

大きめな変化「自分の思考や言動のおかしさ」を目の当たりにする経験をします。

何があったのかは次回触れますが、この「自分の思考や言動のおかしさ」を「自己犠牲の癖」と呼ぶようになるのは、ずっと後のことです。