
セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。
この話は
の続きです。
感覚の言語化の積み重ねによって対人トラブルを引き起こさずに済んだ話
2009年のこと。
その時、私は、一仕事を終えたばかり。
少し疲れていました。
遊ぶ約束をしていた友人が、私に「早く、早く。早く●●してきてよ。」と言います。
顔には出しませんでしたが、内心私はむっとしていました。
なぜなら、私の中で

「何さ。自分の都合ばっかり押し付けてきて。
どうせ、私のことなんて、
どうでもいいと思っているんでしょ?」
以前の私だと、自分の思いを言語化することなく、むっとした感覚に沿って、「あなたの発言に、私が怒っているのに気づけ!」と言わんばかりに、機嫌が悪いですよPRを始めるところです。
ところが、この時は違いました。
「どうでもいいと思っているんでしょ?」と思ったと同時に、

アレ?
ちょっと待てよ?
何かおかしい
この変化は、EFT(現・自律最善タッピング)を使い、出来事に対する、自分の思考や感情、感覚などをありのまま認めながら、言語化をし続けた賜物。
友人はただ「早く、早く、早く●●してきてよ。」と言っただけだよね。
「何よ~自分の都合ばかり・・」は、「早く、早く」という言葉を聞いた、私の反応。
友人の「早く早く」は、出がけにタラタラしていた私に向かってのもの。
「早く遊びにいこうよ、楽しもうよ。」な訳です。
それに対して私は、「私のことなんてどうでもいいと思っているんでしょ。」と感じています。
ひー。
全然話がかみ合っていませんってば!!
じゃあ、どうして私はこんな風に受け取っているのだろう。
ささっとタッピングしてみたら「私を大切にしてよ」という思いが出てきました。
となると友人の「早く早く」が、私にとっては「大切にされていない。」
何だこりゃ?
私だって、楽しむために遊ぶ約束したんだよね。
意味がわからん・・。
この頃は、変化の体験が先行していました。
だから、EFTの手法を使って、感覚の言語化をし続けたことが、なぜ、不要なトラブルを引き起こす前に、自らの思考や言動のおかしさに気づくことへと結びついたのかが、ちっともわからなかったのです。
この時点では、まだ感覚的に、納得をしていた訳ではありませんでした。
でも、どう考えても話がかみ合っていないし、おかしいのはわかるのです。
なので『続きのEFTは、家に帰ってからやる』と決めることで、ひとまず自らに折り合いをつけ、楽しく遊びました。
次回に続きます。