感覚の言語化で根本の問題に気づく

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

この話は

感覚の言語化で自らの思考や言動のおかしさに気づく

からの続きです。

自分の思考や言動のおかしさ大解剖

自己犠牲をしている状態では

自分が求める反応を相手がするかどうかによって、相手に認めてもらえた・貰えないを自分が判断している

のです。

これは「承認欲求」と表現されることがあります。

私が、友人の「早く早く」に対して「大事にされない」と感じていたのは

伊藤伊藤

仲の良い友人なのだから、私が疲れているのを見ていてわかっているはず。

だから、配慮の言葉があるのが当然。

「早く早く」なんて言われるとは思いもしなかった。

からです。

でも、友人は私をぞんざいに扱っている訳でも、傷つけるつもりがあった訳でもありません。

友人からぞんざいな扱いを受けて、傷ついた、むっとしたと私が感じていたのです。

つまり、私の内側で問題が起きていたということです。

これから書く内容は、2015年から2016年の間に明らかにしたものです。

根本の問題

私の根本の問題は、EFTタッピング(現・自律最善タッピング)を身に着ける以前に使い続けていた、欲の扱い方(悩みの解決方法・自己実現の方法)が

  • 子供のありのまま
  • 自己犠牲

の2つだったこと。

『子供のありのまま』とは

ただそこにいるだけで、ありのままの自分を周りに認めてもらえる・満たしてもらえる(ヒト・モノ・コトが自分のために動いて当然)

『自己犠牲』とは

内心どう思っていても、それを表に出さずに、周囲に従ったり、合わせたりしていれば、自分を認めてもらえる・満たしてもらえる(ヒト・モノ・コトが自分のために動いて当然)

※タイプによって少し違いがあります。

2つの欲の扱い方を比較すると、周囲に対する振る舞いが違うだけで、自分の内側は小さい頃と何ら変わりがありません。

そんな訳で、EFTタッピングを身に着ける以前の私の内側は

ヒト・モノ・コトが、自分の思い通りに動くことによって、初めて自分を認めたり、満たせたりする

状態にあった訳です。

普段、私は、周囲に対し、大人の振る舞いをしています。

でも、自分を満たせないと感じる時は、外側を思い通りに動かすことで、現状を変えなくてはなりません。

私を見て!

私は、疲れていたと書きました。

タラタラすることで自覚なく「疲れていない?大丈夫?」のような、相手からの配慮を引き出そうとしていたのです。

なぜ、タラタラしていたのか。

私と友人の立場が反対だったら、私は友人に「疲れていない?大丈夫?」と声をかけるからです。(ホントか?)

そう。
「普通、そうするでしょ。常識でしょ。」
と思っていたのでした。

私の思い描く反応(配慮)を、友人から引き出し、「私のことを認めてもらえた(わかってもらえた・大事にされている)」と自分が感じることで、安心や原動力などを得ようとしていたのです。

ところが「早く早く」だなんて、想定外の回答が来たものだから、私は、わかってもらえないと感じて、自分を満たせなくなりました。

だから「普通そうするのが当然でしょ(そうしない相手が悪い)」と思い「あなたの発言に、私が怒っているのに気づけ!」と言わんばかりに、機嫌が悪いですよPRをして、友人からの注目をこちらに向けさせ、配慮を引き出そうとした訳です。

タッピングの積み重ねによって、この時は、事前に自分のおかしさに気づいて、対人トラブルを引き起こさずに済み、楽しく遊びましたが、こんなことをしたら、配慮を引き出すどころか、関係を悪化させますし、自分や周囲を傷つけます。

それに気づかず「うまくいく」と感じて、出来事を変えて繰り返せるのが、自己犠牲の癖の恐ろしいところです。