仲間がいるから頑張れるの落とし穴

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

「同じ志の仲間がいるから、頑張れる」という話があります。

でもこれ、自己犠牲を積み重ねている場合は、注意が必要です。

なぜなら「同じ志の仲間がいるから、頑張れる」とは、言い換えると

「誰かが自分を認めてくれたと自分が感じることで、(さらに自己犠牲を強めることを)頑張れる」であり

「仲間がいなければ、頑張れない」だから。

つまり「同志による互いの認め合い」によって、初めて認めてタンクを、満たせるということ。

この状態は、高揚感や万能感、一体感などが湧きやすいし、盛り上がります。

肝心な時に仲間はいない

でも、普段の生活には、その「仲間」はいないんですよね。

あなたが、一人で考え、行動する必要があります。

でも、意思を引き出すことや、原動力を生み出すことが他者次第になっていると、肝心な時に動けません。

自己犠牲を積み重ねている状態では、自らの意思に沿って動くことに対して、

「こんなことやっても意味がない」

「大したことがない」

「やる気が出ない」

などと感じます。

そのため、互いの認め合い活動に力を注いだり、自分で考えずに、師の指示を仰いだりしながら動きます。

仲間内の優劣

同じ志の仲間は、最初のうちは良いのです。

時が経つにつれて、どうしても「うまくいっているように見える人と、そうではない人」に分かれてきます。

その時に、うまくいっているように見える人と自分を比較しては、自分にダメ出しをしたり、相手に嫉妬したり、マウンティングをしたりといったことが起き得るのです。

「同志達から注目を集めたり、羨ましがられることによって、自分は特別だと感じられる」のであれば、人より抜きんでたい、負けたくないと思うのは当然でしょう。

ここで「お金」の力を使って、その地位を求める方もいるかもしれません。

心でどう思っていても、表向きはポジティブであれ!

他にも、同志の間で、ポジティブ過ぎて、内心、どう思っていても、表立っては前向きに振舞わなければいけない。

ネガティブなことは口に出してはいけない、という暗黙の了解がある場合も。

これを体験したことがある方は、多いのではないでしょうか。

ちょっとした洗脳状態なんですよね。

自己犠牲の積み重ねで生じる洗脳状態

洗脳っていう表現は、ちょっとドキっとします。

でも「当たり前」とか「普通」とか「思い込み」とかも、一種の洗脳状態。

全くない人など、いないんですよね。

ただ、自己犠牲を積み重ねている状態で、「同じ志の仲間がいるから頑張れる」というのは

成長するにつれて、誰かに自分を認めてもらえたと感じることが必然的に減るので、不安定になりやすい。

でも、自分の思考や感情などを自分でありのまま認めていないので、自分がどうしたいのかも、不安定な理由も、わからない。

誰かにすがりたい(認められたい)。

そうすればうまくいく(自分を満たせる)。

という心の隙間を、見事についているなあって思います。

もし「同じ志の仲間」が集うのであれば、原動力を自らの内から引き出し、意思を持った上で「自他の違いを尊重する」関係が望ましい。

個人的にはそう思いますし、そうしたいと考えて「仮に仲間がいたとしても、自分に集中する」講座を提供しているのでした。

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