
自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
この話は、前回とつながっています。
男は仕事、女は家庭という風潮
私は1971年に生まれです。
- 男は仕事
- 女は家庭
という風潮は、近年だいぶ減ったように思いますが、それでもずっとありました。
私より上の世代の方であれば、当然と感じるのではないでしょうか。
地方育ちの私には、目には映らないけれど、確実に存在していた、安泰・女の幸せと呼ばれる、将来のエスカレーターがありました。
女性は、いい男性をつかまえて(笑)結婚、退職、家庭に入り、出産、子育て。
男性は、いい学校を出て大企業に就職し、結婚、終身雇用される。
でも、これ、本当に安泰だったのだろうか。
そもそも、安泰って何だろうか。
十数年、思考や感情をありのまま認め、軌道修正を繰り返す中で、疑問に思うようになりました。
なぜなら、主体的ではなく自己犠牲を伴った状態で、この「男性・女性」の役割を担ってしまうと、男女ともに「必然的にやることが増えるのに、実りと幸福感が少なくなる」からです。
これについては長くなるので、改めて別の記事で書きますが、下記の記事で少し触れています。
男女ともに自分を抑えて、周りに認められるよう、振舞わなくてはなりません。
ということは、必然的にロスの連動が確実に積みあがっていくのです。
起動修正のきっかけってもっと早くにあったのでは?
自己犠牲
↓
必要な対応が取れない
↓
ロスの連動が生じる
↓
自己犠牲の積み重ねによって、必然的にやることと悩みが増えるのに、実りと幸福感が少なくなる
このことに気づいた時、たらればになりますが、もしかしたら、あの出来事は、周りを大切にしつつ、それぞれが自分として生きる方向転換を促すものだったのかもしれない、と思いました。
それは、1992年、短大2年生の時に起きていた、バブルの崩壊。
私の学年は、高卒と短大卒までが、いわゆるバブル就職で、大卒が氷河期という「分かれ目」にあるのです。
男性は、いい学校を出て大企業に就職し、結婚、終身雇用される
女性は、いい男性をつかまえて(笑)結婚、退職、家庭に入り、出産、子育て
というやり方で、本当に安泰・幸せが得られるなら。
バブルが崩壊しても、ずっと安泰・幸せであるはずではないでしょうか。
そのために努力してきたのに、就職ができなかったり、リストラに怯えたり、配偶者に「誰のおかげで飯が食べられるんだ」と怒鳴られたりするのであれば。
このやり方は、本当は成り立っていないのに、思い込みによって、成り立たせていたのではないでしょうか。
自主性はあるけれど主体性がない
ちょっと話が飛びますが、私の中学時代は、体罰が盛んで、
「殴られるお前が悪い」
「いじめられるお前が悪い」
「連帯責任」
「先生、もっと叩いて下さい」と親が言う
などの風潮があり、今とは全然違うんですよね。
そんな中で、勉強する目的も持たずに過ごしていた私は、自主性はあるけれど主体性がなく育ちました。
あくまで私がそうだった、という話です。
この環境の中でも、主体性を育んでいた同級生は確かにいましたから。
このような時期を経て、高校・短大へと進み、バブル崩壊。
今思うに、安泰と呼ぶ、女の幸せに従うのであれば、主体性はない方が都合が良いのですが、私は、将来どうしたいのかがわからないと感じながら、同時に「運に関係なく生きたい(主体的に生きたい)」と思っていました。
ややこしいですね。
これが、方向転換(他人軸から自分軸への軌道修正)に必要だったからだと気づくのは、ずっと後のことです。
一時「自分探し」というのが流行りました。
自分のことを重ね合わせて振り返ると、もしかしたら自分探しとは、自主性はあるけれど、主体性がない状態で生じていたこと、なのかもしれません。
もし、あなたが、「自分探し」を望むのであれば、まずは悩みに対応しながら、ご自身の思考や感情を、ありのまま認めることをオススメします。