後の人生でツケを払う羽目になる自分が我慢すれば丸く収まるという考え方

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

自分が我慢すれば丸く収まる?

舅姑から、親戚から、夫から、何かを言われても黙り続け
「自分が我慢すれば丸く収まる」
を実践している、母親の姿を見てきた。

「我慢は美徳」と教わった。

「今の子は我慢が足りない」というお説教をくらった。

「女は嫁に行くのだから教育はいらない」と言われた。

「女の子は勉強ができなくても、愛嬌があって、みんなと仲良くできればそれでいい」と言われた。

無自覚のうちに「自分さえ我慢すればうまくいく」と感じる環境で育ってきた方は、潜在的にとても多いはず。

「自分さえ我慢すれば」は、一度や二度なら、何とかなる。

でも、この対処は、繰り返すうちに「外側は、丸くおさまると感じても、自分の内側はおさまらなくなる」

問題は、あなたが下した選択の影響が、後の人生で、内へ、外へと、大きく広がること。

そして、このツケを、あなたが払わなければいけない、ということだ。

我慢のツケを払いつつ、自分らしく生きるための軌道修正術

自分軸教習所が提供する「他人軸から自分軸への軌道修正術」では

  • 自分を理解する
  • 我慢によって広がった問題に手を打ちつつ、ツケを払う
  • 自分や周囲を大切にしながら、自らの意思に沿って生きる

という、段階を踏んだ取り組みを行っています。

セッション前のヒアリングを通じて、さまざまな悩みや問題を口にするクライアントさんが
「自分が我慢すればうまくいく」とお話になるケースは本当に多いです。

自分がどうしたいのかを考える以前の段階で、周りの人の反応や、状況を考えて、どうするのかを決めてきた。

我慢を、我慢と感じることなく、当たり前のようにやり、それを周りから「優しい」とか「えらい」とか、褒められる。

そのため、我慢していることにすら、気づいていない。

このような背景がある場合は、自己主張することには罪悪感がつきまとう。

しているつもりのない我慢の方が、慣れているし、周囲からの承認も得られる(うまくいく)し、ラクなのです。

我慢すればうまくいくはずなのに実際は何もうまくいっていない

セッションの最初の段階では、ご自身の動きを振り返りながら
「自分が我慢すればうまくいくと思い込んでいたけれど、実際は、何もうまくいっていない。」
という現状を目の当たりにすることになる。

私は、周りに配慮して動いている。

でも、周りはそうしてくれない。

都合よく扱われる。

利用されている

ばかにされている。

見下されているように感じる。

などといった、我慢によって得られるはずの承認が得られず、不満や怒り、苛立ち、許せないといった思いが、セッション中にどんどん湧いてきます。

我慢を積み重ねると自分も周りも大切にできなくなる

我慢という選択を積み重ねると、周りから、大切にされなくなります。

周りばかり見ているので、自分の内側も置いてきぼりになる。

つまり、周りも、自分も大切にできなくなるのです。

そこに気づかないまま、
「こんなに相手に配慮しているのに、わかってもらえない」
という不満を募らせると限界で爆発する日が来ます。

自己主張をしてもうまくいかない理由

ここで、いきなり自己主張をしようとしても、長らく、我慢という自己犠牲を積み重ねてきているので、術が身についていません。

そのため、声を荒げて
「なんでいつもそうなの?」「なんでわかってくれないの?」と話す。

聞こえているのに、無視をする。

わざと大きな音を立てて動く。

などで精いっぱい。

これらには、
「私があなたのために我慢していることをわかれ!
そして、私の思いを察して、お前も我慢しろ!」
という意味が込められています。

置いてきぼりにした自分を、周りがわかってくれて当然だろう、という主張になるのです。

ここで、自分の思いを伝えたつもり・・だけれど、相手には一切伝わらないという、別のトラブルが起こります。

そこに気づかずに
「言ったのにわかってもらえない」
と感じて、孤独や寂しさを深めてしまうのです。

孤独や寂しさを埋めるために

自分の存在価値や居場所がないと感じて、不満を覚える自分を、満たす方法はいろいろある。

周囲からの承認を求めて、異性に依存する。

「親友」と称して、いきなり人と距離を縮めようとする。

第三者に愚痴を言いあう。

欲しくないのに、何かを買ってしまう。

それに疲れて

  • 過食嘔吐
  • 物を壊す
  • やることはたくさんあるのに、やる気が出ず、ゴロゴロし続ける

全然うまくいっていないのに、うまくいくと思い込んだまま、次の世代へ
「自分さえ我慢すればうまくいく」
を教えることになる。

我慢は確かに必要だけれど

我慢というのは確かに必要なのだけれど、それは、

自分がどうしたいのかを考える。

それを周りに伝え、相手の意見を聞く。

その後にどうするかを考え、必要と判断した上で自分が我慢をする、と決める。

選択した後、物事の展開から、我慢が自分にどう影響を及ぼしているのかを確認しながら、その先を決めていくこと。

この区別がつけられないまま「うん、わかったー」と、我慢を我慢と感じることなく、うまくいくと思い込んで当たり前のように自己犠牲をしていたのは、何を隠そう、この私なのであります。

ツケを払うハメになり、我慢はムダだと思ったことが仕事の原動力となる

本来なら、人生を存分に謳歌できる大人の時間帯に、我慢の後始末をする羽目になるなんて、なんてムダなんだろうと思うこと。

起動修正によって、一般の、一個人として、自分らしく幸せに生きられること。

変化を目の当たりにして、手ごたえを感じていること。

これらが、自分軸教習所を運営する、原動力となっています。

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