親に愛されて育ったはずなのに不安定なのはなぜ?【4】

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、両親からの手紙を読むのが怖い からの続きです。

最初から読む場合は、こちらから。

Mさんの事例以外でも、過去のセッションで
「両親に愛されたかった。」
「お母さんがとにかく大好き。」
という話を伺う機会が結構ありました。

愛されて育つと子供は安定する?

「愛されて育った子供は安定する」という説。

あなたは聞いたことがあるでしょうか。

私が自律タッピング(旧・EFTタッピング)を提供して思ったこと。

それは「愛される・されないに関わらず、クライアントさんが不安定な状態にあるのはなぜだろう」でした。

そもそも、愛されるって、どういうことを指すのだろう。

クライアントさんは、何をもって「愛される・愛されない」を判断しているのだろう。

そんな疑問を抱きつつ、私は、Mさんの中で、自己犠牲の癖がどのようにつくられていたのかを探っていました。

人生は欲を扱うことの連続・積み重ね

物事には、必ず始まりがあります。

人生は「~したいという欲(意志・望み)を扱うことの連続・積み重ね。」

ならば、彼女の中で、どのように、最初の欲求の扱い方が形成されたのか。

それを知ろうと思いました。

子供のありのままの時期

Mさんは、ご両親が働いていたため、早くから保育園に通っていました。

先生方からとても可愛がられたと言います。

父親はMさんに対し、とても優しく、仕事から帰ってくると、よく遊んでくれたそうです。

彼女はそれを覚えていて、すごく愛されていると感じていました。

母親は前回書いた通り、とにかくNさんが大好き。

詳しくは書きませんが、Mさんには、幼い頃「大勢の人がいる公の場で、丁重な扱いを受け、強烈な心地よさを覚えた」経験があります。

これらによって、幼い頃のMさんは、無自覚・無意識のうちに

  • 常に周囲から「素の自分(ありのまま)」で愛されているのが当然
  • 周囲から丁重と感じる扱いを受け、強烈な心地よさを覚え、これを求めるようになる

状態にありました。

最初の欲の扱い方を、ここでは「子供のありのまま」と呼んでいます。

とても幸せな時期を過ごしたMさんですが、この「子供のありのまま」によって、後に彼女は苦しい思いをし続けることになります。

「子供のありのまま」と「大人のありのまま」は違う

以前、別の記事に、「子供のありのまま」と「大人のありのまま」は違うと書いたことがあります。

Mさんの場合、「子供のありのまま」で存分に愛され、安定した状態から、周囲の大人たちとのやり取りを通じて、「大人のありのまま」へと移行していたならば。

「愛されて育った子供は安定する」説を実現し、存分に「壮大な夢」に向かって、存分に努力をなさっていただろう。

これが、10数年に渡り、Mさんと取り組みを続けてきた私の偽らざる思いです。

次回に続きます。