
EFT講座を申し込んだ理由と感想
青森県 Y様 30代
セッションを申し込んだ時点で、セッションだけよりも、EFTを使いこなせるようになりそうだったので申し込みました。
セラピーなどと違い、自分で使うツールなので、自分で使わなくては効かない…というのが、他人にやってもらうのに慣れていた分めんどうではありますが、振り返ったときの成果は、地味ですが確実なものだと感じます。
自らの身を切る具体的な行動の例での説明や、分厚いレジュメにも気合いを感じます。
また、少人数だったため、細かい疑問にも対応してもらえたのもとてもよかったです。
セッションや講座後の変化
2011年に初めてセッションを受け、その後講座を受けたり、自分でEFTやったりやらなかったりですが、ありのまま認める×EFT前に漠然と描いていた「人生ばら色!順風満帆!」にはなっていません。
でも、ありのまま認めない状態でいた当時とは、違う思考になっていると思います。
それから、自分をありのまま認めることで、自分の人生を自分で進んでいるという感覚があります。
思考や言動の変化
以前の自分と比べて、自覚している思考や言動の変化があります。
自覚している思考や言動の変化で、個人的な内容は
- 自分を卑下しなくなった
- 公私の出来事を、それぞれに引きずらなくなった
- 漠然とした「ばら色にならなくては」というわけのわからない切羽詰った感じや、「わたしの行動はこれで合ってる?大丈夫?」という不安、「わたしがだめだから周囲の人は〇〇なんだ」「こんなにがんばってるのに!こんなに我慢してるのに!」など、自分を責めることをとぐるぐる考えては泣く・・・のも、ほぼなくなった
- 無意識にぐるぐるモヤモヤしている思考が、言葉として気がつけるようになった
- 「やることいっぱい!忙しい!」という気持ちだけの忙しいふりを「〇〇を書く」「〇〇に電話する」などの具体的な作業まで細分化してたんたんとやっていけるようになった
- 物事を先延ばしにしているのを自覚できるようになり、先延ばしにしていると気づいても、自分を責めることなく、できないのではなく、先延ばしに自分でしている、と感じるようになった
- 自分に対する合格点の設定が自分基準になり、できる人と自分を比べて落ち込むことが少なくなった
- 「責任」という言葉が怖くなくなった。他人ハンドル時代は「〇〇さんの言うとおりにしたのに!」という思いが根底にあり、「責任感」はあれど、責任を実際にとるのは恐怖だった
- 体調や能力でできないことがあっても、その都度、自分基準の合格点でいいと思えるようになった。
- 「できないこと」があっても「今(今回)できないだけ」であると思うようになり、出来ない自分を責めることがなくなった
対人関係・コミュニケーションの変化
対人関係、コミュニケーションにおいては、自分の考えや思いは、相手に伝わるように、伝える必要があり、言葉として伝えないことには伝わるわけがないという思考が、今はあります。
必要なことを何も言わずに、相手にわかってほしいというのはナシだと思っています。
なので「わたしはエスパーじゃないので、口で言ってください」と言ったりします。
むしろ、伝えることで、互いにわかりあえるし、かえって人間関係はラクだと気づきました。
- 全員に「いい人」と思われなくてもいいやと思うようになった
- 「空気を読む」に必要以上にこだわらなくなった
- 相手の思考・答えはわたしにはわからなくて当然、相手のことは、相手に聞けば良いと思うようになった
- 公私共に「断る」ことが怖くなくなった
- 相手の性格などを部分的に見るようになって、「相手が嫌」ではなく「相手の◎◎が嫌だ」だと気づいて、相手を全否定することがなくなった
- 言いたいことや自分の予定を我慢しては爆発・・・というパターンが激減した
- おそらく自分の本心や基準と違うであろうことを誰かに話したり、誰かに言われたりしたとき、気持ちがモヤモヤ動くことに、気づいて対応できるようになった
- 仕事が暇なとき、上司に、ひまで遊んでるんじゃないかと思われてるんじゃないかなど「誰かに**って思われてるんじゃないか」という妄想がほぼなくなった
- 「そんなこと言ったって、本当は**て思ってるんでしょ?(または、〇〇て思ってないんでしょ?)」と妄想や深読みしすぎなくなった。結果的に、相手の言葉を相手の言葉として受け止めて、それに自分の妄想や深読みをくっつけて、あたかも事実のように受け止めることがなくなった
- 相手の立場になって相手に聞く前に、先回りしてあれこれすることで、無意識に自分を認めてほしいと思っていたけれど、相手が、私に対して何かやってほしそうな雰囲気を醸し出していても「具体的に何も依頼されなかったこと」はしなくても平気になったし、逆に、相手に対して、そういう期待をして、それをしてもらえずに腹を立てることもなくなった。(夫には、「毎日やってることくらい、いい加減覚えろよ」とは思うけどさ)
- そんな夫との間に、色々な問題が起きても、何が問題の本質なのかを探して、具体的な対応をして、合意点を見出すことで、改善を試みるようになった。1つうまくいかないからといって、終わるのではなく、どうやって伝えたら伝わるのか?考えて、次の対策を練って、動くようになっている。離婚とか、そういう事を口にして、相手を試そうとか、自分の思いをわかってもらおうとか、コントロールしようとは思わなくなった
- 自分の短所(と自分が思っている部分)を人に知られるのが怖くなくなった
- 「無茶なお願い」と自分では思いつつも、言うだけはタダ、そのお願いをどうするのか決めるのは相手と思って言える様になった。それで断られても、「お願い」を断られたのであって、私の存在を否定されているとは感じなくなった
親との関係に今思うこと
私は、親との関係で、親の機嫌を損ねないようにするために、自分が親の顔色を伺うようになりました。
もちろん、親子関係で、良かったと思うこともたくさんあります。
でも、自分に子供が生まれてからは、ありのまま認める×EFTでも、そうでない何かにしても、子供を持っている人は、自分をありのまま認めて満たす作業をしなくては、私も親と同じように、子供に良かれと思って、子供を自分の思い通りにしようとしたり、言う事を聞かせることで、自分を満たすことをしてしまうと危機感がありました。
大事に、可愛がって育てたはずなのに、親である私が、無意識の、ありのまま認めない選択をしたことで、子にその影響がおよび、子が誰かに認めて貰う為に、人の目ばかりを意識して、自分の人生を自分で生きられない、生き辛いとなるなんて、私は、子を自分の二の舞にはしたくないです。
また、今書いてみて感じたのは、「子供」は無意識に、自分より弱かったり、立場が下であるとみなすという意味で、「部下」「配偶者」「後輩」「年下」など、置き換えて、読むといいかもしれないです。知らず知らずのうちに、自分の思い通りに、言うことをきかせやすい人ですからね。
ありのまま認めることは、立場に関係なく、自分を尊重するように、子供や、周りの人たちを尊重することです。こうやって、知らないうちに、認めてちゃんができたり、苦しくなったりが、連鎖して続いていくのですね。
子供を迎える前にEFTに出会ってよかった
子供を迎える前に、ありのまま認める×EFTに出会っててよかったなと思っています。
ありのまま認める×EFTに出会ったから、子供を迎えるのを自分に許可できたのだなとも思います。
- 子が自分の思い通りにならない(寝ない、ごはん食べないなど)ときも、自然に「なんで〇〇なの!?」よりも、「そんな気分や状況なのね」と思えることが多い
- 子がやってはいけないことをしても、「〇〇する子は嫌い」は言わず、「(その行為だけを)してはだめだ」と説明するように意識している
- 私は、子が〇〇してもしなくても、子は子であると思っている
「〇〇する子は嫌いだけれど、〇〇しない子は好き」だなんて、子供に「その行為を止めさせる為に、子を嫌い」と説明するのは、全く話が違うし、**する子は嫌いと子を脅して、子を自分の思い通りに「**しない」ように仕向けて、子が言うことを聞くことで、自分を満たすようなことはしたくないです。
それが、子が、成長するにあたり、「自分をありのまま認めない選択」をするきっかけになり、連鎖していくと気づいているからです。
変わろうと思ったら自分で決めて自分が動くほかない
それから、もう1つ。
占いで言われたからって、自分を変えるために、マッサージとかの学校、行かなくて良かった!笑
資格はあって損はないけど、資格は資格で、自分が変わることとは全く別で、関係ありません。
EFTも占いで言われたけど、自分でやる ありのまま認める×EFTにたどり着いたので、自分で決めて、自分で動くほかないんだ。結局人任せでは、どうもならないもんだなと痛感しています。