東京都 S様 40代 自分にEFTが必要とは思わないけれど受講した訳

(2011年)11月・12月と 3回にわたり、初・EFTとその東京講座に参加しました。

そもそも私は対人関係や自分に対し、EFTが必要とは思っていませんでした。

なぜかというと嫌なこと、辛いことは、超ポジティブ思考と忘れんぼ気質もあって「だよね~。」で終了してしまう、まあ、ある意味深く考えないお調子者だからです。

そんな私がなぜEFTの講座を受けようと思ったのか

それは伊藤さんから話は聞いていたけれど、実際って・・・?

皆、何のためにわざわざ難しいことやるの?

感情開放って何じゃ?

思いが伝わらないとは何事ぞ?

と疑問が沸き、この???だらけを知りたい。

自分にない考え方や捉え方をこの耳で聞いてみたい。

EFTを必要とする人たちの現状を見てみたい。

そんな思いが湧き上がり、今のところ自分に必要とは思えないけれど・・・でもでも物凄っくその???????を知りたくなり、必要とされている方に対して失礼だ!!と思いつつも、東京講座の参加を決めたのでした。

講座でセッションを見学してみると

取りあえず、伊藤さん、モデルさんとのセッションを見学

『私は・・・・・・・・認めます。』

・・・・・はぁ?

ま・・・、マジですか(汗&ドン引き)

正直『みんな大丈夫なんかいっ!』と突っ込みたくなるのを押さえひたすら見学あるのみ。

セッション終わり、モデルさん、何だか1歩が見えたようでした。

私的には、えええぇ~~~そんなの「わかりきってる」ことじゃない!と不思議・不思議でなりません。

でも伊藤サンは、あくまでもモデルさんの出方を待つ姿勢。

イヤイヤこ~れは・・・ちょっと無理かも、が最初の感想でした。

そして、たいして悩みの無い、ノー天気な私のセッション。

試しに過去の感情に折り合いをつけてみる

伊藤サンは私に対して、問題解決の糸口にというより、昔の感情と折合いをつける為のセッションを提案しました。

なるほど。

取りあえずこれでやってみるか。

『私が15歳の時、腎臓を患って無くなった母に、私の腎臓を一つあげればよかった。』

この事を気に病んだり、苦しんだりしたのは、亡くなった直後よりも看護学生の時。
19歳の時です。

授業で母の患った病気や看護方法を学ぶ度当時の母の苦しさや悲しみを目の当たりにするようで「何でこうしてあげなかったんだろう』『何でこんな事をしたんだろう」と、どんよりした辛く悲しい気持ちになり、いてもたってもいられないほど、重く胸苦しい感覚が押し寄せました。

で・す・が。

いつの間にか『忘れはしないけれど辛くない』という感じに心が落ち着き現在に至っていました。

他にネタが無いからこれでいこ~。のノリでした。

セッションスタート

「私は・・・・・・・します」

(うひょ~・・しちゃってるよ)

「私は・・・」

「私は・・・」

『私は・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(あれ?)

(何だこれ、気持ちがいい・・・)

『私は・・・!私は・・・・!!私は・・・・・・!!!』

心の中で(そうそう!そうなの!)と、合い槌を打ちまくる私に気づきます。

伊藤サンは時々微妙にフレーズを変えるのですが、それがまた(そおおなのよぉぉ!)とビンゴ。

手の届かない痒い所をスッと見つけ、思う存分カイカイしてくれる感じ。

いや、もっと気持ちいい・・・というか「心地いい・・・」

恐るべしありのまま認める×EFT。

一番最初がこれです。

汗&ドン引きはどこへやら・・・・。(伊藤さんスマナイ)

そのセッションは「仕方がなかった。」という答えが導き出されました。

私は恐らく「仕方がなかった」ことは解っていました。

当時は15歳で、腎臓移植なんて法的にも肉体的にも無理ですから。

解っていて、現在すでに「忘れはしないけれど、辛くはない」ところに落ち着いていたのですが、それでも『仕方がなかった』と言うこと対する「納得」が足りなかったのだと思います。

でなければ、あの心地よさの説明がつかない!!

いや~一発目のEFTの印象があまりにも強すぎて、講座の内容云々が記憶まだら・・。

忘れんぼで残念な私・・・。

ただ自宅に戻り、伊藤さんのレジュメを読み返すと「なるほど!こういう事か!!」と納得出来る事がたくさんあり 「本になったら買う」とテンション上がりまくった次第です・・・。