
セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。
アイホージュでは、自分らしく幸せに生きるために、ネガティブをやめたり、なくしたりはせずに、ありのまま認めて「活かす」取り組みを提供しています。
ネガティブな感情や思考には、自分らしく幸せに生きるための情報が、含まれているからです。
恐らくあなたは、ネガティブをありのまま認める、すなわち「活かす」ことに、疑問を抱かれたのではないでしょうか。
なので、ネガティブをなくしたり、やめたりしなくて良いのはなぜか。
ありのままの自分の感情を認めることがなぜ必要なのか。
あなたの疑問を解消しましょうというのが、この記事の趣旨です。
あなたはなぜネガティブをやめたいのですか?
ネガティブをやめたいと思う理由は、恐らく、あなたの内側で生じる不安定さにうまく対応が取れず、どうしたらいいのかわからないまま、ご自身を持て余しているからではないでしょうか。
- 悲観的、否定的になると、思考が堂々巡りして疲れる
- 起きていないことを心配して、怖くなったり、怯えたりする
- 周囲の空気を感じ取って、言いたいことがあっても言えない
- あ~なんでいつも、うまくいかないんだろう
- 自分が嫌だ
- 考えないようにしようと思うのに、気づけばネガティブなことを考えている
このような、不安定な状態に陥った時、人は自分や現状を変えたいと思い、その方法を探します。
それが
- ネガティブをやめたい
- ネガティブ思考をポジティブ思考に変えたい
ということ。
でも、自分や現状を変えるって、具体的に、どういうことを指すのでしょう。
ネガティブをやめたり、ポジティブ思考に変えたりしたら、本当にうまくいくのでしょうか。
自分や現状を変えるって具体的にどういうこと?
不安定な状態に陥り「自分や現状を変えたい」と考え、その方法を探す時。
ネガティブをやめれば、悲観的・否定的にならずに済む。
そうすれば、自分の内側が不安定になるのを避けられるはず。
ポジティブになれば、前向きに動けるようになるはず。
そうすれば、自分の内側が安定するはず。
不安定な状態から抜け出す
または、安心・安全を得る
これが、「自分や現状を変える」ということなのです。
ネガティブをなくそうとする動きが自分の内側で生まれる背景
ネガティブを
- やめる
- なくす
- 置き換える
ことで、自分や現状を変えようとするやり方は、自己犠牲の積み重ねによって生じます。
自己犠牲とは、周りの人のために、自分の意思を犠牲にすること。
もう少し詳しく書くと
内心、どう思っていても、表向きの言動(外側)は、周囲に合わせることによって、自分の意思(内側)を犠牲にする
これは、周囲に自分を認めてもらえた(認めさせた)と自分が感じて、安心・安定するために行っています。
そう。
自己犠牲をする目的こそが「安心・安定を求め、得ること」なのです。
ネガティブをやめるとはどういうこと?
つまり、ネガティブをやめるとは、
誰かや何かといった外側に安心・安定を求めて、自己犠牲をした結果、自分の内側が不安定になった。
不安定になった自分(内側)や現状(外側)を変えるために、ネガティブをやめる(自己犠牲をする)ことで、安定・安心を得ようとしている。
ということ。
細かく書くとややこしいですね。
簡単に書くと、安定・安全を求める自己犠牲による対処を、出来事を変えて延々と繰り返す ということなんです。
ネガティブをやめる努力をしている人が気づいていないこと
ネガティブをやめる(自己犠牲をする)目的が「安心・安定を求め、得ること」
その結果、「自分が不安定になる」
のであれば、自己犠牲が成り立っていない
ということ。
安定を求めて不安定になるなら、自己犠牲をする意味が、全くないんですよね。
でも、やめようにも、やめられないのです。
自己犠牲の積み重ねによって、意思を活かす術を身に着ける機会を失っているから。
そのため、ネガティブをやめられないのに、やめる努力をし、やめられずに悩み続けていることに気づけないのです。
不安定になる中で必死に自分を守ろうとする
自己犠牲の積み重ねは、下記の3つの繰り返しによって、不安定になりがち。
- 周囲の反応が自分にとって、好ましいものであれば、認めてもらえたと感じて安心するけれど、自分の内側は否定することになる
- 周囲の反応が自分にとって好ましくないものであれば、認めてもらえないと感じて不安定になるため、安定を求めて、自己犠牲を強め、内側をも強く否定することになる
- 自分の意思を活かしたいと思っても、自己犠牲の積み重ねによって、必要な術を身に着ける機会を失っているため、選ぼうとすると不安定になる
自己犠牲を積み重ねている状態では、安心・安定を強く求め、傷つかないよう、自分を守らなくてはなりません。
安定を求め続けることがリスクになる
でも、自己犠牲による安心・安定を求める動きは、年を重ねるうちに、リスクと化します。
なぜなら、非力になるから。
非力とは、本当に欲しいヒト・モノ・コトを得る経験を通じて、必要な術を身に着ける機会を、自ら取り上げ続けること。
例えば、このような話を聞いたことはあるでしょうか。
若い頃、やりたいことがあった。
でも、親から「いい学校、いい大学、大手の会社に勤めなさい。
結婚したら、仕事を辞め、子育てをすることが幸せ。」
と諭され、内心不満に思っても、言う通りにした。
そうしたら、周囲の人から褒められるし、ステータスも得られる。
安定もしている。
それなりに楽しいし、充実もしている。
大きな不満はないけれど、何かが足りない。
でも、これでいいんだ。
これが幸せなんだ。
そう自分に言い聞かせつつ、忙しい日々を過ごす。
40代、50代と年を重ねるうちに「私の人生って何だったのだろう」という思いが強まる。
でも、何をしたらいいのかわからない。
自己犠牲による安定・安心を求める動きは、若いうちは何とかなっても、年を重ねるとリスクになるのです。
不安定になる原因
さきほど、自己犠牲は、周囲に自分を認めてもらえた(認めさせた)と自分が感じて、安心・安定するために行っていると書きました。
つまり、自分の内側が不安定になる原因は「対人関係(外側)」
外側が変わらなければ、自分にはどうしようもないと感じます。
なので、自分の内側を安定させるために、外側を思い通りに動かす言動を取ります。
人によっては、プライドを高くして、できないことを隠すかもしれません。
例えば、自分の方が上だと相手に認めさせるために、弱い立場の人を怒鳴りつける」というのがそれです。
他にも、マウンティング、~ハラ、DV、束縛など、いろいろありますね。
~ハラするつもりはなかったのに、相手にはそう受け取られる
相手は~ハラするつもりはないのに、自分は~されたと感じる
自分だけではなく周りが不安定になることを考えると、自己犠牲はさらに強まります。
不安定な中で、相手の一挙手一投足が気になる。
思ったことが言えないと感じて、ストレスがたまる。
それを、ネガティブと称し、やめたり、ポジティブに置き換えたりして、対処するしかありません。
うまくいかずに、自らを持て余すか。
前向きや豪快を装い、周囲から「すごい」「えらい」と言われて、安心を得ようとするのか。
安定・安全を求めるために、自己犠牲による対処の繰り返しから抜け出せないという、酷な話なのです。
これが、「生き辛さ」と呼ばれる正体、なのかもしれません。
ネガティブはありのまま認めると自分らしさに変えられる
根本から手を打つために必要なこと。
それは、目の前の出来事に対し、自己犠牲をしていると気づいた上で、自らの意志を活かすこと。
このとっかかりが、「ネガティブと呼ばれる感情をありのまま認めること」です。
ネガティブな感情には、自分らしく幸せに生きるための情報が、含まれています。
これらのネガティブをありのまま認め、言語化しながら、情報や原動力などへと変える。
自分と周囲の違いを尊重した上で、意思を活かし、必要な行動へと結び付ける。
これまでとは違う結果を得つつ、術を身に着け、自信を一つ積み重ねる。
これが、自律最善タッピングの取り組みです。
「安定・安全」は、自らの意思を活かすことによって、確保できます。
人生の目的は、自分や周囲を守りつつ、自分らしく、幸せに生きること。
そのために、アイホージュでは、ネガティブを活かす取り組みを行っているのです。