自分にとって頼れる自分を育むとは

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

昨日のブログで、「自分にとって頼れる自分を育む」について少し触れました。

これは

出来事に対して、自分の内側で生じる、ネガティブな感情を拾い、言語化しつつありのまま認める。

段階を踏んで掘り下げることで、ネガティブな感情を、「~したい」という自分の意思へと変えていく。

自分と他者の違いを尊重しながら、意志を必要な行動へとつなげて実行。

これまでとは別の結果を得る。

の積み重ねで可能です。

「なーんだ、そんなことか」と思われるかもしれません。

書くと簡単ですが、自己犠牲を積み重ねている場合、ヒジョーにムズカシイ話、なのです。

自己犠牲の積み重ねによる問題に対応しながら自分にとって頼れる自分を育む

普段、私は、ネガティブな感情をありのまま認める作業を提供しています。

この方法を、自分自身も使い続けています。

自己犠牲を積み重ねた状態で生じる、思考や感情などをありのまま認めていくと、

自分の内側で、事実じゃないことが事実になっているがゆえに問題が生じ、それがどうしようもなくなっている

ことが浮上してきます。

例えば

「本当に私のことを愛しているなら、私が何も言わなくても何を望んでいるのかを、相手がわかってくれて、それを差し出してくれるはずだ。

そうしてくれないから、相手はもう私のことを愛していない。」

「相手の機嫌が悪いのは、私が悪いからだ。」

「思ったことを言ったら嫌われる。」

このような思いを、なんとなく言語化した状態で自覚していることもあれば、無自覚なこともあります。

問題は、愛されていないとか、悪いとか、嫌われるなどの思いには、「そうである、という感覚」が伴っているので、本人にとっては「事実」と感じること。

この感覚は、傷つくことから自分を守ろうとするので、自らの意志に沿って行動しようとすると

  • 傷つかないように、自分を守るためのブレーキ
  • 自分を変えるためのアクセル

を同時に踏むことになる訳です。

このような時、ブレーキの存在を、「思い込み」と称して手放そうとしたり、なくしたり、外したりすることで、対処しようとしますよね。

でもですね。
車からブレーキをなくしてしまったら、アブナイと思いませんか。

それに

  • ブレーキを踏む
  • アクセルを踏む

って、それぞれ別のこと、なんですよね。

ブレーキを外したからといって、自然にアクセルが踏める訳じゃない。

ブレーキもアクセルも踏まずに「どうすればいいのか」考え続けたり、思考停止したりすることだってある。

そもそも、ブレーキ(自分の癖)もアクセル(自分がどうしたいのか)もわからず「踏む」以前の段階でつまづいていることだってある。

なので、

ネガティブな感情や思いをありのまま認めることで、自分のブレーキとアクセルの存在を自覚する

自分や周囲の安全に配慮しつつ、ハンドルを握り、必要に応じてブレーキやアクセルを使い分けて前へと進む

のです。

そんな訳で、自己犠牲を積み重ねている状態で、頼れる自分をつくる場合は、思考や感情をありのまま認め「今の自分(現在地)を理解すること」から始めるのでした。