
メタ認知能力はどうやって育むのか
自律最善タッピングでは、出来事(悩み)に対する、思考や感情、選択、言動などを、自分がありのまま認める(認識する)という、たった一つの方法を、日常のあらゆる場面で応用します。
アイホージュでは、この方法を「自律」「大人のありのまま」などと呼んでいるのですが、これが「メタ認知能力(自分の動きを、客観的に自分が理解し、行動し、結果を得る力)」を育む取り組みでもあります。
主観的な内面を
- タッピングしながら
- ネガティブな感し情やそれに伴う感覚を、
- 言語化し、これを
- 喋りながら
- 自分の耳で聞く
ことを通じて、自分の感情や思考などをありのまま認め(認知)、少しずつ掘り下げていくと
- 自分を知る
- 答えを引き出す
- 自己犠牲のよるつまづきに気づいて立て直す
- 悩みに根本解決したり、折り合いをつけたりする
- 自分と周囲の違いを尊重した上で、必要があれば合意点を見出し、実行する
- 行動の結果を通じて、前に進む必要な術や原動力、自信を得る
- 次につなげる
などといったことが、段階的に可能になるのです。
自己犠牲を積み重ねている場合は、できないことを1つずつできるようにしながら、前に進む必要があるため、これらは一気にやることができません。
メタとは後天的という意味
「メタ」とは、後天的という意味。
そう。
「メタ認知能力」は後天的に身に着けるもの、なのです。
先ほど、自己犠牲は、周囲とのやり取りを通じて身に着けたと書きました。
自己犠牲も、後天的に身に着けているのです。
ということは「先天的に身に着けている何か」があるはずです。
先天的なありのまま
生まれたばかりの子は、誰もが、先天的に「ありのまま」の状態にあります。
ここでは、これを「子供のありのまま」と呼びます。
子は、周囲の配慮によって必要な何かを与えられたり、守られたりすることで、初めて安全に生きられます。
でも、人は、いつまでも「子供のありのまま」でいる訳ではありません。
大人になり、自律・自立する前提で、少しずつ成長します。
仮に「子供のありのまま」を処世術として成長した場合は、見た目は大人でも内面は幼いまま。
自分のことが何もできない非力な状態になります。
人に世話をしてもらって当然。
受け身で、周りが思い通りに動いて当然。
いつもヒト・モノ・コトが、自分の思い通りになって当然。
相手に配慮せずに、自分の好き勝手に振舞うことが当然となるため、トラブルや犯罪などを引き起こしかねません。
小さいうちは良くても、大きくなるにつれて生き辛さを覚えますし、守ってくれる人がいなくなったら、孤立し窮地に陥ってしまいます。
このやり方では、自分や周囲を守れませんし、人生がメチャメチャになりかねないので、後天的に処世術を身に着けて、「子供のありのまま」から移行する必要があるのです。
それが
- 自分を活かす(メタ認知能力を育む、「大人のありのまま」)
- 自己犠牲
のどちらかだった、ということ。
人生の目的とは?
人生の目的とは何でしょう。
いろいろあると思いますが、ここでは
を意味します。
これは、メタ認知能力を育むことで、可能になります。
本来なら、意思を持ち始める頃から、十数年に渡り、大人や周囲とのやり取りや勉強、経験などを積み重ねて、「メタ認知能力」を育むはず、だったのではないでしょうか。
そして、大人になった今は、違いを尊重しながら互いに刺激し合い、一般の一個人として実り多き人生を謳歌していたのではないでしょうか。
なぜメタ認知能力を育めなかったのだろう
だとしたら、なぜ、メタ認知能力を育めなかったのでしょう。
それは、自己犠牲を良かれ・幸せ・理想などと教えられる風潮が、今以上に強く、世代間連鎖が起きたから。
そのため、処世術として自己犠牲を積み重ねて、傍から見たら幸せそうに映るけれど、内面が満たされない状態に陥った大人たちが、自覚なく自らを満たすために「あなたのために」という名目で、子供を思い通りに動かさざるを得なかった という背景がありました。
例えば、最近は減少傾向にありますが、以前は、「男は仕事・女は結婚したら退職。出産・育児が幸せであり理想」と言われていました。
これは、自分がそうすると決め、選び、家族がそれぞれ幸せに暮らしていると言えるのであれば、全然問題はないのです。
でも、
- 父親は大黒柱としてお金を稼ぎ、家族の犠牲になる
- 母親は父親や家族の犠牲になる
- 子供は親や家族の犠牲になる
となるとどうでしょうか。
例えば、企業戦士で、家に帰りたがらない上司が、遅くまで会社にいる。
評価や周りの視線の関係上、帰りづらいので、仕事が終わっているのにサービス残業。
疲れて家に帰ると、お構いなしに、母親がママ友や子供のことをあれこれ話してくる。
疲れているのをわかってほしい。
我慢の限界で
「子供のことはお前に任せている」
「こっちは働いているんだ」
「誰のおかげで飯が食えるんだ」
「だったらお前も稼いでみろ」
遮ると険悪なムードになる。
母親は、自分の時間もないまま子育てに家事に忙しい。
帰りの遅い父親のために、ご飯を用意し、自分の時間がさらに減っているのに、労いもなくストレスがたまる。
諍いが耐えない。
「あなたは、あんな風になっちゃだめよ。」
母親から悪口を聞かされる子供。
親を守らなくてはいけない。
期待に応えなくてはならない。
あんな大人にならない。
そう思っていたはずなのに、年を重ねたら、親と同じことをやっている自分に気づく・・。
一般の、一個人の力は、大したことがないように感じるかもしれません。
でも、案外、影響力は大きいです。
一人ひとりが、自己犠牲を積み重ねた場合は
- 自分や周囲を守ろうとして傷つけ、気づかないうちに対人関係を蝕む
- 時間・お金・労力が漏れるので、忙しい割に生産性も低く、実りも少ない
- 自分の人生において自分の意思を犠牲にし続けるので何のために生きているのかわからない
- 自信・居場所・存在価値がないと感じる
といった状態が、大きな範囲で広がるはずなのです。
治安の悪化や、長時間働いても賃金が上がらないなどの疲弊の原因は、恐らく世代間連鎖によって生じた、自己犠牲の積み重ねにより、「必要な対応が取れない」ことにあるのではないでしょうか。
良かれと思って、自覚なく、負の状態を下の世代に押し付けることは、可能な限り、避けなくてはなりません。
そのために必要なのは、まずは大人たちが率先して、日々の生活において、メタ認知能力を育み、軌道修正を積み重ねていくことです。