
セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。
自己犠牲による「あなたのため」という話を聞く度に、私は「賢者の贈り物」のストーリーを思い出すのです。
お互いを思い合う、ジムとデラという若く貧しい夫婦。
それぞれ相手に内緒で、クリスマスプレゼントを贈ろうと考えた。ジムは、デラの美しい髪に合う、櫛を贈ることにした。
そのために、懐中時計を売った。
デラは、ジムの懐中時計に合うチェーンを贈ることに決めた。
そのために、美しい髪の毛を切って売った。
クリスマスにプレゼントを贈り合った二人。
チェーンも、櫛もムダになったけれど、互いに「思いやり」を受け取った。
二人とも、自分を犠牲にしてまでも、相手を喜ばせようとした「賢者」である。
引用元: Wikipedia 賢者の贈り物
という話。
私がこの話を知ったのは、小学校の頃。
当時は何も思わなかったけれど、タッピングをするようになり、「自分の意思を活かした上での互いの尊重」という方法を見出してからは、違和感を覚えるようになりました。
過去の贈り物やお祝いにまつわるセッション事例
自分を含む、数々のセッションで、
「本当に欲しいものがあるのに、何でもいいと答えて、欲しくないものを渡され、腹を立てる」
「誕生日、結婚記念日などの、お祝いを忘れているパートナーに、苛立ちを覚えて、その日が過ぎた直後に、怒りをぶつける」
「本当に私を大切に思っているなら、言わなくても欲しいものがわかるはず。
わからないのは、私のことをもう愛していないからだ。」
「欲しくないものをもらって、相手だけが喜んでいる模様」
ということがあって、単純に
「何が欲しい?」
「これが欲しい」
と聞いたり、答えたりしたらいいではないかと思うようになった訳です。
もちろん、ポイントを押さえる必要はありますが。
最初のうちは、皆さん「そんなこと言うなんて、負けた気がする」なんて仰るんですよね。
でも、タッピングの効果で「言ってみよう!」となり、ポイント押さえて実行して、欲しかった何かを得られると
「何だ。
こんな簡単なことなのに、どうして今まで言えないなんて、思っていたんだろう。」
という嬉しい展開になり、お相手との関係も良くなっていくのです。
期間限定でたった一回だから喜ばしい話になる
賢者の贈り物は、「クリスマス限定」
たった一回の話だから、「相手への思いやり」とか「愛」で「めでたし」と言えるんですよね。
でも、人生って、この先、何十年と続きます。
毎回、「思いやり」という名のもと、献身的な自己犠牲によるすれ違いが続いたらどうでしょうか。
自分が必要としているものではなく、相手が想像した「良かれ」を毎回差し出されたら、どうだろう。
最初のうちは、気遣いが嬉しいと思って喜ぶかもしれない。
でも、毎回続いたら、うんざりしてしまわないだろうか。
だけれど、そこまで来てしまったら、今さら言い出せないと思うかもしれない。
どうしても我慢できずに、「実は・・」と話してしまったら、相手を傷つけるかもしれない。
毎回、「思いやり」という名のもと、献身的な自己犠牲によるすれ違いが続くなんて、もったいないなーと個人的には思うのです。