お金を稼いでも幸せじゃなかったの裏話

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

お金を稼いでも幸せじゃなかったという話

前々回、自己犠牲による成功はお金で買えると書きました。

お金を稼いでも、幸せじゃなかった。

という話を聞いたことはあるでしょうか。

勉強も仕事も頑張った結果、大金を稼ぐようになった。

人が羨むパートナー、仕事、家、お金があり、子供も得た。

欲しいものは一通り買える。

何不自由なく暮らしているのに何かが、足りない。

この「人が羨む」という表現。

「周りから認められる・周りを認めさせる自分」と読めます。

つまり「周りから認められる・周りを認めさせる自分になれば、満たされるはずなのに、満たされない」ということ。

大金を稼いでも何かが足りないのはなぜ?

足りない何かは、「人生において、日々、自分の意思を活かすこと」

でも、自己犠牲を積み重ねている場合は、意思の生かし方がわかりません。

なので「誰かに自分を認めてもらう・認めさせたと自分が感じる」ことで得られる、多幸感、高揚感を無自覚のうちに求めます。

だって、そのために、勉強も仕事も頑張り、大金を稼げるようになったのですから。

それが得られなかったら、つまらないですよね。

だから、平穏・平凡を、退屈と感じて、刺激を求めていきます。

刺激って慣れるので、当然、エスカレートします。

でも、どこまでいっても「何かが足りない」のは変わりがありません。

人の役に立ち感謝されることが幸せという話

「お金を稼いでも幸せじゃなかった。
人の役に立つことをして、感謝をされることが、幸せだ」
という話を聞いたことがあるでしょうか。

これには「役に立つことで、周囲に自分を認められたと感じて、幸福感が湧く」という自己犠牲が絡んでいる可能性があります。

普段の生活で、この話を聞く分には、構いません。

でも、昨日書いた、自己犠牲で成功するタイプが、

  • 経営者
  • 有料セミナーか講座を開催する

と言う場合は、要注意。

なぜなら、残りの2タイプの方が犠牲になり「やりがい詐取」に遭うことになるから。

「うまくいかない」と感じても、褒められたり、それでいいんだよ、なんて言われたら、それで満足してしまう。

視点が違うと捉え方は全く違う

自己犠牲をしている限りは、この関係で、互いに認め満たし合いができます。

つまり、お互い幸せということ。

でも、同じことを、自分の意思を活かす視点で捉えると、2タイプの犠牲の上で成り立つ1タイプの幸せ、なんですよね。

自分の自己犠牲の癖を理解し、意思を活かすことが、自分の身を守り、結果的に、相手が無自覚のうちに詐取をしないよう、相手を守ることにもつながります。