タイミングの悪さは自分らしく幸せに生きることへの誘い

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、

の続きです。

自己犠牲をやめ、自分の意思を活かせる状態へと軌道修正をする必要がある

新しい仕事が決まった2日後の、なんともタイミングの悪いと感じる、お誘いの電話は、

自己犠牲による対処をやめ、自分の意思を活かせる状態へと軌道修正をしなくてはいけない

と、気づくために、あったもの。

すぐに気づけず、時間がかかるとしても。

いつか、どこかで、振り返った時に気づけるよう、印象的な過去として記憶を残す必要があったのだ、と今なら思うのです。

うまくいかないものはうまくいかなくていい

うまくいかないものは、うまくいかなくていい。

そんなことを知る由もない、当時の私。

「もう仕事が決まりました、残念!」と伝えたところ「とにかく話だけでも」と言われ、上司に会いました。

どうして数カ月過ぎた、このタイミングの誘いなのか。
それは、私に対する、とある配慮だと知ります。

「契約社員として迎えたい」
とても、ありがたいお話でした。

なのですが、年俸を提示された時、ひそかに「青森で正社員として働いていた頃より少し低い」と思いました。

東京にいて、これはないな。

そもそも、契約社員になるために、上京した訳じゃない。

それなら、青森で正社員としての職を辞めなければ良かったじゃない。

そう思いつつも、戻りたい気持ちは山々。

後ろ髪を引かれる思いで、新たに決まった方の職を選び、その後もぼんやりとした悔やむ思いを、ずるずる引きずっていたのです。

もう、グダグダしっぱなし。

なぜ、ここまで執着していたのか。

当時は、言葉で把握する術がなかったので、全然わからなかったのですが、

以前と同じ、ダブルワークに戻ったのに、私は燃え尽きたまま、低空飛行を続けているように感じていたから。

人間って思っている以上に機械的だ

自律最善タッピング(旧・EFTタッピング)に取り組み、自分やクライアントさんの動きを言語化して、初めて気づいたことなのですが、人の動きって、単純というか、機械的なんですよね。

よく、人の感情は複雑と言われるけれど、これは、「自分の欲を扱うことの連続・積み重ね」という土台に、装飾される言葉や表現が皆違うから。

感覚を言語化すると、自分の動きのおかしさに驚く。

でも、感覚は納得している。

だから、言語化せずに、無自覚のままだったら、感覚に沿って、自己犠牲による対処をうまくいくと思って実行しちゃう。

今の私から見る、当時の私の状態

今の私から見た、当時の私は、前の職場に戻りたいのではなく、前の職場で得られていた、周囲から認められたと感じる上に、満たされる状態に戻りたいのです。

この時の私は、自分の意思「整体の技術向上」があり、実際にそれをやっている。

でも、前の職で得られていた、他者に認められたと感じることで得られる、高揚感や多幸感、充実感などに飢えていて、原動力を失っている。

その流れで生じた、漏れや不安を埋めるために、安定を求め、得た新しい職場では、前職のような刺激はない。

そのため、技術向上に向けてコツコツ頑張っているけれど、充実感も、手ごたえも感じられない。

これを解決するには、以前の「周囲から認められたと感じる上に、満たされる状態」に戻れば良い。

そうすれば、高揚感・多幸感・充実感などを得た状態で、整体の仕事も頑張れるし、自信も持てるはずと無意識・無自覚のうちに感じていた。

だから「前の職場に戻りたい」と思っていたのです。

これは、まるで、誰かとお付き合いをし、どうやっても合わないから、別れるしかないのに、その人にしがみついて、幸せだった頃に戻りたいと言っているようなもの。

コワイコワイ。

自分らしく幸せに生きる方へ舵を切る

冒頭で、人間は自分らしく幸せに生きる方へと舵を切っているという記事のリンクを貼りました。

当時の私は、自分らしく幸せに生きるためには、前の職場へと戻ってはいけないし「うまくいかないものは、うまくいかなくていい」と理解し、前に進む必要がありました。

ここから約10カ月後。

とある出来事(外側)によって、うまくいかなくて良かったと思う機会が巡ってきます。

内面の動きに注目し、自分らしく幸せに生きるために、うまくいかなくて良かったのだと気づくのは、今週(つまり、十数年も後)のこと。

次回に続きます。

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