相談という名の共感を求める行為に潜む自己犠牲のワナと対応方法

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

友人などに「相談がある」と持ち掛けた。

でも、実際は「共感を求めている」という話があります。

例えば

共感を得られることを前提に、友人に相談を持ち掛ける。

「あんなことがあった」

「あんなことをされた」

「あんなことを言われた」

「前もああだった、こうだった」

友人が、意見を言う。

「ただ話を聞いて欲しいだけ。アドバイスはいらない。」

内心、共感してくれない友人にムカツク!

「普通、えーひどいよねー」とか言うよね?

「空気読めないんだから!!」

アドバイスはいらないと言われた友人は、だまって共感を示し始める。

友人は、うんうん言ってばかり。

ちゃんと話を聞いているようには思えない。

「ちょっと、さっきからうんうんしか言わないけれど、何か意見とかないの?

ちゃんと話聞いている?」

友達なんだし、こっちは困っているんだから、何か言ってくれてもいいでしょう?

実はこれ、自己犠牲の積み重ねによって生じる現象です。

自己犠牲の積み重ねが、そうさせるのです。

でも、相手にとっては
相談という名の共感を求められ、共感という名の相談を求められ、揚げ句の果てに、望んだものが出てこないと責められる のですから、たまったものではありませんよね。

対人トラブルに発展しても、全然おかしくありません。

関係を良好に保ちつつ話を聞いてもらうために必要なこと

対人トラブルを避け、これを避け、関係を良好に保ちつつ話を聞いてもらうためには

「相談」や「共感」を周囲に求める前に、「自分の思考や感情を、自分でありのまま認め、掘り下げる」ことをオススメします。

これは、メタ認知能力を高める方法でもあるのですが、自分を掘り下げると

友人なんだから、いつもわかってくれて当然。
意見を言われると、自分を否定された、馬鹿にされた、見下されたなどと感じて傷つく。
だから、友人には、常に、自分が求める反応だけをしてほしい。
そうすれば、私は、間違っていないと感じて、安心することができる。

という感じの内容が出てきます。

そうすると、自分は

周りを「同調してくれる人」で固めて安心したいのだ

と気づきます。

詳しくはセッションや講座でお伝えしているので、ここでは省略しますが、もうちょっと掘り下げると、自分の中に少し余裕が生まれます。

これまでは、「共感してくれない」「わかってくれない」という友人(外側)に対する、不満が募っていたのが、自分の内側に意識が向くことで

  • 自分の動きがマズイ
  • 友人は、こちらの欲求に対応してくれている
  • 相談・共感に関わらず、友人の貴重な時間・労力を拝借している
  • 自分の言動が、自分と周囲を振り回している

と気づき始めます。

これらに気づいたら、しめたもの。

なぜなら、本人が気づいて納得しない限りは、何も変えられないからです。

知識だけ、または人の説得だけでは、わかったつもりで、同じことを繰り返します。

自分はどうしたいのかを知ることが、自分や周囲を守る

「相談」と言われて、どうしたいのかがわからない自分の話を延々と聞かされる。
意見を言ったら「アドバイスはいらない」と機嫌を損ねられて、困惑する友人。

時間や労力を費やした揚げ句、悪者にされた、となると、友人の、こちらに対する信用や評価は、無意識のうちに下がります。

気づかずに何回も繰り返したら、交友関係自体が壊れるかもしれない。

これからも仲良くしたいのだから、それは避けたい。

ならば、自分はどうしたいのか。
友人に何を話して、何を話さないのか。
を考えて、行動します。

もしかしたら「言わなくてもいいや」と思うかもしれません。

やっぱり話したいと思うかもしれません。

処理の終わった話として、聞いて欲しいと伝えて、こんなことがあったんだよとさっくり話す。

友人の意見も聞きつつ、最後には、ありがとうを伝えて、互いの関係は良好のまま、というのは可能なこと、なのです。

普段、「自分の思考や感情を、自分でありのまま認め、掘り下げる」ことは、
自分も、周囲も、互いの関係も守る(互いを尊重する)ことだと書いているのは、こういうこと、なのです。

メタ認知能力を高めることで、別な対人関係で、同じことをしようとした時に、手前で気づいて、立て直すということもできるようになります。

取り組みには継続が必要ですが、お守りとして身に着けておくことをオススメします!

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