
セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。
この話は、前回からの続きです。
当時、自己犠牲を積み重ねていた私は、技術向上のため、主体的に行動し、コツコツ頑張っていたつもりでした。
でも、充実感も、手ごたえも感じられない。
そんな中で、「厳しい修行をすれば(師匠に認められる自分になれば)自信が持てるはず(自分を満たせる)」という考えに至りました。
でも、全然、気乗りがしないのです。
厳しい修行とは具体的にどういうこと?
今なら、気乗りしないのは、当然だと思います。
なぜなら、当時の私がぼんやりとイメージしていた「厳しい修行」とは、例えるなら
ブラック企業で、トップ(師匠)に従い、無理難題に応えながら、連日連夜働き続ける、ようなもの、だったから。
このやり方は、トップの言うことに従えば間違いないという、洗脳・思考停止状態に陥ります。
長期的には、自分を無力にしたり、傷つけたりすることにつながるため、注意が必要です。
かつて、私は、このやり方に陥りそうになったことがありました。
でも、その時は、師匠にあたる先生が、そうならないよう配慮して下さり、難を逃れたのです。
そして、この時も私は、イメージしたような、厳しい修行をすることはありませんでした。
代わりに、とある機会によって、半ば強制的に「周囲から認められたと感じる上に、満たされる状態」から離れ、日々の出来事に対し、主体的に思考し、行動するよう、促されていたのでした。
当時は全然気づいていませんでしたが、自己犠牲を積み重ねている状態で「主体的に自分で決めようとする」場合は、段階があるのです。
自分で決めるのには段階がある
これまでも、自分で物事を決めてきてはいました。
でも、それは、「周囲から認められている(と感じる)」。
または、「周囲から認められた上に、満たされる(と感じる)」安定した状態で、自分で決めるなんですよね。
それでも、自分で決めるのは、面倒なこと。
なのに、この時は、周囲の承認がない(と感じる)状態で、自分にとって重要な判断を下さなくてはならなったのでした。
以前もこの体験をしてはいるのですが、かつてよりも、ハードルが上がっていました。
今なら、自分の思考や感情をありのまま認めたらいいとわかるのですが、当時はその術を知りません。
なので、ものすごく不安でしたし、辛かったです。
誰か正解をくれ、と思っていました。
正解がない中で迷う
主体的に思考する時、正解はない。
自分がどうしたいのかが大切と言います。
でも、私は、なかなか答えが出せなくて、1カ月近くウダウダしていました。
自分で決めるのは、回数を積み重ねて慣れることが必要です。
どうすることが、ベストなのか。
考えてもわからないし、これでいいのか自信もないと感じる、頭も心も合致しない中、私は重要な決断を下しました。
そして、この後、自分の選択の全てが間違ったかのように感じる状態に陥ります。
自己犠牲あるあるですね。
自分で決めることが大事
でも、どんな内容であっても「自分がどうするのかを決める」のは大事。
これは、自律最善タッピング(旧・EFTタッピング)に取り組み続けて、実感していることです。
自律最善という名は「自分の思考や感情をありのまま認める、自律が、最善へとつながる」という意味。
リアルタイムではうまくいかないと感じていても、後から、その意味がわかるのです。
当時の私は、不安定な中、手探りで、主体的に思考し、行動することを試みる、新しい段階の始まりにいて、これが後に、
- 事故の後始末
- 自分で自分の思考や感情をありのまま認める、メタ認知能力を高める、EFTタッピングとの出会い
- アイホージュの立ち上げ
などへとつながっていきます。
そして、この時の
考えてもわからないし、これでいいのか自信もないと感じる、頭も心も合致しない中、私は重要な決断を下し、自分の選択の全てが間違ったかのように感じる経験
は、「生きる上で押さえる基本」「頭と心が合致する方法」を求めることへと私を誘ってくれました。
この状態から、頭と心が納得した上で軌道修正をするという、当時の私が求めていた具体的な内容は、探しても見つけられなかったので、
自分の疑問が活きた=自分らしさ
とも言えるでしょう。
でも、リアルタイムでは「次、次と起こる出来事に、気持ちがついていかない」「お先真っ暗」そう思っていたのです。
次回に続きます。