自分で決めるのは面倒だから正解が欲しいと思っていた頃のこと【2】

セルフケアサロン・アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、自分で決めるのは面倒だから正解が欲しいと思っていた頃のこと【1】からの続きです。

先生から正解をもらう

さかのぼること、正社員として勤めた会社を辞めて、上京した翌年のこと。

父が病に罹ったのを機に、一年しか住んでいないアパートを引き払い、7か月ほど青森へ帰ったことがありました。

理由は、整体の学校の先生(中国人医師)から、
「勉強したことを役に立ててきてよ」
と言われたから。

青森に帰る頭がなかったのですが、泣く泣く帰ることを決めました。

なぜなら、この頃の私は、先生の「すぐに」変化が生じる、「魔法」のような治療に心酔していたから。

すごい人の言うことに従っていれば、間違いない。
そう感じる状態にありました。

そんな訳で、自分で考えて決めたのではなく、先生からの提案を私が「正解」と捉えて、それに従うと決めた訳です。

気づかぬうちに自律を促されていた

当時、先生は、「弟子は取らない。師匠を超えられなくなるから。」と言う感じのことを仰っていたのですが、今となっては、あれは、とてもありがたかったと思っています。

なぜなら、仮に「弟子」になったら、私は

何かある度に、自分で考えることなく、先生にぶん投げ、頼ってばかり。

教わったことを「正解」と称し、周囲の人を振り回す。

ということをしただろうと、容易に想像がつくからです。

先生や学校から離れて、青森で過ごすうちに、私はつきものが落ちたかのような状態になっていました。

「勉強したことを役に立ててきてよ」
というのは、「自律」を促されていたのだ、と今ならわかります。

あの1年間、存分に先生に依存した私は、次の段階へと進むために、そこから離れる必要があったのでしょう。

うまくできているなーと思います。

でも、当時の私は、そんなことを気づく由もなく、2年ほどの時を経て、同じことを繰り返そうとしていました。

再び正解を求める

「気乗りしないけれど、師匠のもと厳しい修行をする」

これを阻止するきっかけは、父でした。

2週間ほど休むつもりで、青森に帰ってきて、10日程過ぎた頃。

父が末期状態にあることを医師から告げられます。

当時の私は、心機一転と思って、都内で引っ越しをしたばかり。

東京って、2年に一度、更新があるんですよね。

2日しか住んでいないマンションをどうしよう。

青森に戻る?
それとも東京に残る?
どれが正解だろう。
考えても考えてもわかりません。

誰か教えて!!

と思いながら、3週間くらい一人でウダウダした後、「引き払って青森に戻る」決断をしたのでした。

気持ちもついてこないし、納得した訳でもない。

「引っ越ししなきゃよかったな」

仮に、前のアパートにいたとしても、まだ更新期間内だったので、自分のタイミングの悪さを呪ったのはいうまでもありません。

ウダウダでも自分で決めてよかった

それでも、上京一年目に、先生に促されてしぶしぶ決めた頃の自分と比べると、ウダウダであっても「自分で決めた」のは成長の証。

それに、あのような状態にあっても、結果的には「本当に大事なことを選べた」ので、良かったと思っています。

もし、東京に残る選択をし、向こうで仕事を立ち上げたとしたら。

「東京に出たから、仕事を立ち上げられた(青森にいたらできなかった)」と私は思ったでしょう。

この時の経験は、後にアイホージュを立ち上げる時に活きました。

EFTタッピング(現自律最善タッピング)をお供に、ないない尽くしの中で、今、いる所で、まずは、できることを一つずつ決めてやる

ということができたのは、私にとっての財産でもあるのです。

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