自分は繊細だと思っていた過去の話【1】

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

あなたは、ご自身の繊細さを持て余してはいませんか?

アイホージュのタッピングに取り組む以前の私は「感じすぎて疲れる」ことがよくありました。

人の悲しみを、自分のことのように感じて深く落ち込んだり。

些細なことが気になって、眠れなくなったり。

人の言動がいちいち気になり、あれこれ考えてたり。

反対に、自分の言動を振り返って、ダメ出しをし続けてみたり。

そういうこともあって「小さいことを気にしない、揺るぎのない、おおらか人」にぼんやりと憧れていたのでした。

視点を変えたら、自分自身を振り回していたことに気づいた

後に一人でタッピングをするようになってから、この状態に変化が生じました。

出来事に対する、自分の思考や感情などを、自分でありのまま認める中で、視点が外側から内側へと変わった時に、他人軸の状態で、自分自身を振り回して傷ついたり、疲弊したりしていたことに気づいたのです。

揺らぐなら揺らぐ度に、自分を認めたら良いんだ。

そのことにも気づいた時、ふと私の中で疑問が湧きました。

これまで自分がぼんやりと憧れていた
小さいことを気にしない
揺るがない
おおらか
とは、具体的にどういうことなのだろう。

これは、本当に良いことなのだろうか。

本当に、自分のためになるのだろうか。

自分に必要なことなのだろうか。

そんなことを思いました。

次回に続きます。