
自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
この話は、前回の続きです。
周りがどう思うのかに沿って動くとは、具体的にどういうこと?
私の意識は常に外を向いていて、他人軸の「周りがどう思うのか」に沿って動いていました。
「周りがどう思うのか」とはどういうことか、詳しく書くと、
自分を守るために
常に周りから同意を得ようとしたり、波風を立てないようにしたりしながら
その場その場で、自分が考えた「周りがどう思うのか」に、自分を合わせる。
これだと自分(と周囲)を振り回してしまうのですが、他人軸だと「周りに自分が振り回される感じがする」んですよね。
他人軸の繊細さはなぜ生じるのか
「相手がこんな反応をするはず」という前提のもと、「周りがどう思うのか」を考え、その場に合わせて行動していくうちに
「自分が思い感じ考えること」=「相手が思い感じ考えること」
という状態になりました。
そのため
- 自分が何も言わなくても、相手はわかって当然・思い通りの反応をして当然
- 察して動くのが当然
と感じていたのです。
でも、実際は、皆、思い感じ考えることが違いますよね。
そんな訳で、「相手の反応が、自分の思い描いた通りじゃない」ことなんて、多々あるのです。
ところが、他人軸の場合は
- 相手の反応が、自分の思い描いた通りじゃないと、周りから否定されたように感じて、傷つく
- 仮に、誰かを励まして、相手が落ち込んだままだと、自分が非力のように感じて落ち込んでしまう
のですよね。
傷ついたり、落ち込まないようにするためには、今の言葉で言うなら、いつでもどんな時でも、周りから「いいね!」を集めて、これでいいんだと安心することが必要です。
常に相手から「いいね」をもらわないと、傷ついてしまうからです。
必然的に「相手の言動」に振り回されますし、繊細にならざるを得なくなるのですよね。
これは、仕方のないこと、です。
ただ、このやり方では、年を重ねるごとに生き辛さが増します。
ロスの連動も伴うので、どこかで軌道修正が必要です。
無自覚の動きを言語化して意識化する
当時は、無自覚に動いていたこともあって、自分が「いいね!」を集めることに必死だったなんて、思いもしませんでした。
タッピングは、他人軸の無自覚の動きを言語化して、意識化する作業でもあります。
意識化によって、同じ出来事であっても、
- 視点が外側にある状態では、「周りのこと」を常に考えて動いているつもり
- 視点を内側に向けると、相手が思い通りに動くことを求めて、相手も自分も振り回している
と言った感じに、全然違って映ります。
ただし、他人軸の状態のまま、いきなり視点だけ内側に変えたとしても、見える景色は、これまでと同じ。
何も変わりません。
いきなり一人で、どうのこうのできる訳ではないので、私・伊藤が一時的に「案内・伴走者」としての役割を担っています。