他人軸という名の「自己否定の神」があまりにも当たり前すぎる件

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

先日、クライアントさんから、ご連絡を頂きました。

現在、40代のクライアントさんは

「私、120歳まで生きるつもり。
70代で、こんな状態になっていたい。」

と仰っていて、数年前から、数々の「自分がこうしたい」を精力的に実行している最中なのです。

素晴らしいの一言に尽きますね。

その時に、数十年かけて育った、他人軸の影響が、今も顔を出すという話が出てきました。

他人軸と言う名の自己否定の神

例えば、何でもいいのですが
「あれやりたいなー」
と思う時に

  • 無理だって
  • アンタにはムダだって
  • ばっかじゃない
  • クズのくせに
  • 〇ね!

などと、自らを罵り、やりたいことを否定し、抑え込もうとする自分がいるのだと仰います。

ネガティブな感情や思考を抑え込んでいくと、他人軸と言う名の「自己否定の神」が自らの内に育ち、常に自分を裁くようになるんですよね。

でも、なんのために自分を裁くのでしょう。

これは「理想の・完璧な自分になるため」です。

他人軸の状態で指す理想の自分・完璧な自分とは

他人軸の状態で指す、理想の・完璧な自分とは、常に

  • 周囲から認めてもらえる
  • 周囲を認めさせる
  • 周囲の評価を求めずに済む(実際は無自覚のうちに周囲の評価を求めることになる)自由で突き抜けた

自分になること、です。

完璧・理想の自分になりさえすれば全てがうまくいくという幻想

自己犠牲を積み重ねている状態では「周囲に自分を認めてもらえたと感じて、安心・安泰を得ること」が、悩みや問題の解決方法であり、望みの実現方法です。

つまり、完璧・理想の自分になりさえすれば、悩みや問題は一切生じず、望みは常に実現し、物事が全てうまくいくはずだと漠然と感じる状態にあるのです。

なので、

  • 周囲に認めてもらえない
  • 周囲を認めさせられない

と感じる自分軸の「自分がどうしたいのか」が浮上してきたら、実行せずに、諦めるよう仕向けなくてはいけません。

人間って思っているよりも、機械的なのです。

自分を裁き続けたことによって生じる別の問題

でも、何十年も自分を裁き続けて大人になると、いざ「自分がどうしたいのか」に沿って動こうとしても「経験も術も実行力もない」という、別の問題が浮上します。

これに気づかないまま、いきなり自分軸で動こうとすると

周囲に自分を認めてもらえたと感じて、安心・安泰を得るために

理想・完璧な自分になる努力をしながら、

肝心なことに関しては「でもでもだってで動けず、結果が出せない」ので

どんなに頑張っても、うまくいかない

ということが起きます。

なので、段階を踏んだ軌道修正が必要なのです。

起動修正術を使って根強い他人軸の癖に対応する

私自身の経験ですが、他人軸の状態では自分を裁くのは、あまりにも当たり前だったので、タッピングを使う以前は、疑問に思ったことが一度もありません。

でも、自分を裁く時に使う言葉って、特徴的。

今では、これらが出てきた時は、気づいて軌道修正へと持っていけるようになりました。

そんな訳で、クライアントさんには

これ(数十年かけて育った他人軸)は、長年の癖だから、なくならないよ!

でも、クライアントさんの場合、ありのまま認めて、言葉で自覚しているし、客観的に捉えられるようにもなっている。

起動修正をして「自分がどうしたいのか」に結び付けて、数々のことを実行できる状態なので、何のモンダイもないでーす!

とお伝えして、終話したのでした。

クライアントさんには、これからも、いろいろなことをどんどん実現して、ご自身の幸せを突き抜けて頂きたいです!

いつもありがとうございます。