
自分軸教習所を運営するアイホージュの伊藤みつるです。
今日は、EFTタッピングで他人軸から自分軸への軌道修正をして気づいたことに触れます。
承認欲求が満たせなくなる状況になり自分軸へ強制移行するの巻
私には、交通事故を機に人生が迷宮入りした時期が2年以上あります。
振り返ると「周りがどう思うか」を基準に考え
他者からの承認を得て、安心・安定する環境から離れて
自分がどうしたいのかに沿って、思考し行動する段階へと
強制的に移行することになったのです。
承認には、いろいろと種類があります。
この時は「同じ職場の、好意的と感じる反応をする人達がそこにいる
という心理的な安心・安定」でした。
当時、自分に何が起きているのかは全然わかっていませんでした。
所属先がなくなり承認欲求が満たせなくなった
私自身は「仕事に行きたくないなあ・・」と思うことはあっても
社会・会社に適合していけるタイプです。
だから、事故を機に、休職のち退職して、所属先がなくなった時
社会・から取り残される(承認が得られない)と感じて、
焦りや不安定さを覚えるようになりました。
承認欲求が満たせなくなって傷つくことが増えた
他者からの承認がないと感じる状態で
「自分とは違う意見」が出ると、否定された、攻撃されたと感じて
傷つくことが増えます。
だから、傷つかないよう相手の反応に敏感になりますし
どう思われているのかが気になって仕方がなくなります。
そのことを知らなかったので、この時期はずいぶんと
ガラスのハートになっていたように思います。
承認欲求が満たせずに、人生終わったも同然と感じてていた
つまづき(人が当たり前にやっていることができない自分を受け入れ難い)
と感じる時期が続き、終わりが見えなかった頃
人生終わったも同然と感じていました。
それほど、「他人軸」の状態では、自覚・無自覚に関わらず、
他者からの承認が大切なのです。
EFTタッピングで知らぬ間に承認欲求を満たしていた
でもですね。
EFTタッピングを通じて、承認欲求って自分が満たすものだって、気づいたのです。
「他者からの承認」と書きましたが、実際は、
「他者から承認されている・されていないを、自分が判断している」
ので、本当に周囲が承認しているかどうかは関係ないのです。
当初、私はEFTタッピングについて
「なぜかわからないけれど、感情や思考をありのまま認めると変化する」
と思っていたのですが、これって、
「自分が(思い感じ考え、行動すること)を自分が、そのまま承認する」
だったのです。
承認欲求を自分で満たして気づいたこと
EFTタッピングを使って、自分で自分を承認しながら、欲求を満たしていくうちに
自然と出来事(事実)」と「思考・感情」を分けられるようになったのですが
その時点で、いくつかのことに気づいたのです。
今日はそのうちの三つを紹介します。
一つ目は「私の世界では、私が出来事に対して、
何を思い感じ考えて、選択、行動し、結果を得て、何を思ったのかの連続・積み重ね」
で成り立っている、ということ。
二つ目は、
私って、目の前人と接している時、
確かに喋ったり、聞いたりしているけれど、
いつも、自分の思い感じ考えていることを通じて、その人とやり取りしている。
・・ということは、私、いつも自分としか付き合っていないの???
三つ目は
あの人がこう言った、ああいった。
嫌われたのかもしれない。
という、自分の判断に一喜一憂しながら、相手に肝心なことを何も聞くことをせずに、
承認を得たいと思う相手を、自分の思い通りに動かすことで、承認を得ようとして
「あの人が自分のことをどう思っているのか知りたい」
なんて言っているの??
自分がコワイ・・。
でも、コワイってわかっているって大事だと思います。
その方が軌道修正しやすいから。
承認欲求はなくそうとせずにあると承認して自分で満たそう
今でも、何かうまくってないなあと思う時、EFTタッピングを使うと
いつもの自己犠牲の癖が顔を出し、
承認を求める行動に出ているんですよね。
何十年も、良かれと思って他人軸のお世話になってきたので、
正直、なくすなんてムリなんだなあって思っています。
なくすよりも、自己犠牲による対処のパターンが顔を出す度に、
気づいて、理解する。
EFTタッピングを使って、他者に承認を求めて自己犠牲をする自分を
意識的にありのまま認め満たしていけば
暴走せずに、自分がどうしたいのかに移行できるのです。
承認欲求を満たして、他人軸から自分軸へ軌道修正するって大事です。
子供が独り立ちしたり、定年を迎えたりといった節目を迎える前に、
自分で満たせるようにしておくことをオススメします。