
自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
今日の記事は3000字以上あるので、時間に余裕のある時にお読み下さい。
以前、感じて満たすこと、感じ切ることについて記事を書きました。
今日は、「ネガティブをありのまま認め、感じ切ったら、一段掘り下がる」という内容について書きます。
ありのまま認め感じ切ることで、自分を満たすと、一段掘り下がった時に出てくる内容に納得して前へと進めるようになります。
仮に、感じ切ることなく「一段掘り下がった内容」だけを知ったとしても、動けるようにはならないのです。
私のネガティブをありのまま認めて思い感じ切る体験
私が初めてネガティブをありのまま認め感じ切ることをやったのは、アイホージュを立ち上げると決めたのに、椅子一つすら動かしたくなくて、どうしようもなかった頃のこと。
苦し紛れで一人でEFTタッピングを使うようになって、1~2週間ほど経っていたと記憶しています。
「自分のネガティブな感覚に合う言葉を選び、フレーズを作ってタッピングをしていた」のですが、アイホージュの立ち上げについてアプローチしている最中に、いつも小学校低学年の頃のことを思い出していました。
不快と自分が感じる内容なのですが、だからといって、普段思い出すことは全然ありません。
今であれば、現在のうまくいかない原因と改善のヒントが隠れているとわかるのですが、当時は、なぜこれが浮上するのか、ちっともわかりませんでした。
別の内容でEFTをしても、その内容は出てくる。
私自身も昨日のことのように不快さ、怒り、苛立ち、不信感などを覚える。
だから、何かあるんだろう。
そう思って、その度アプローチを繰り返しました。
ネガティブをありのまま認める繰り返しが苦にならなかった二つの理由
繰り返しが苦にならなかったのには二つ理由があります。
一つは、自分に合うフレーズでタッピングする時、体の内側に清涼感が湧くのを何度も体感してきていたから。
もう一つは、恥が多いと感じていた過去にアプローチできるんだ!という発見は、励みや希望になっていたから。
なので、ひとまず、浮上してきた出来事や感情や思考、自分の動きなどを、片っ端からそのまま言語化してありのまま認めるという荒業に出たのでした。
感情だけではなく思考や言動などもありのまま認めることで得たメリット
EFTタッピングは、感情開放テクニックと呼ばれています。
でも、私の場合「感情だけ」のアプローチではなくなっていました。
それで問題はなかったのです。
なぜなら、当初アイホージュでは、推拿と物販をする予定で、EFTタッピングの提供は端から頭になかったから、自分に合いさえば良かったのです。
でも、自分に合うとはいっても「感情だろうが、思考だろうが、言動だろうが、何であっても、ありのまま認める」というルールは守りました。
そのおかげで、アイホージュを立ち上げると決めたけれど、立ち上げたくないという相反する自分がいる理由と、アプローチの方法を身に着けるというメリットが得られたのです。
ネガティブを思い感じ切ることで一段掘り下がり前へと進めるようになった2つの経験
【頭VS感覚】他人軸の自分に気づく
EFTタッピングをしながら、アイホージュを立ち上げると決めたけれど、立ち上げたくないという相反する自分がいると知った時の話です。
学生時代に嫌だと思っていた人から
「あいつ変なこと始めた」
と吹聴されるに違いない。
学校を卒業し、20年以上も会うことのにない人に私は怯えていたのでした。
頭で考えたらおかしいとわかる。
でも、私の感覚は「アイツは絶対にやる!」と感じて譲らない。
俯瞰しながら、相反する自分を眺めているところもあるのだけれど、このままだと私の場合、絶対に感覚が勝つ。
これは、周りの目が気になる、他人軸の承認を求める動きです。
この時の承認とは「絶対に相手から指を差されないこと=自分の存在を消す」でした。
これだと、立ち上げ自体をやめればいい訳です。
そうすれば、指を差されることなく、傷つくことから自分を守れると感じられますしね。
このまま立ち上げても、誰かからちょっとでも何か言われたら、ダメージで動けなくなります。
EFTタッピングの手技と思考や言動の言語化を掛け合わせていなければ。
私は無自覚のまま、周りにもっともらしい言い訳をして、立ち上げを諦めたでしょう。
これにより、周囲からの承認を得られたと感じて安心するという、いつもの自分のパターンを繰り返したでしょう。
でも、私は事故の後始末の時に「納得して終わらなければ、その先何かやりたいことがあっても、もっともらしい言い訳をして諦めるだろうから、それはしたくない。」と思って結果を出しています。
そのため、この段階は通り過ぎることができました。
【頭VS感覚】他人軸から自分軸への軌道修正
やめたいと思っているけれど、立ち上げ一択!
その他の選択がなかったのもあるのですが。
どうすればいいのかわからないまま、EFTタッピングを使って、ひたすら同じ内容のフレーズを繰り返し「自分をありのまま認めることで、自分を承認しながら満たす」日々を2週間ほど過ごしました。
思い感じ切ることで一段掘り下がり前へと進めるようになった
私は思い感じ切ったのでしょう。
「へえ、じゃあ、自分が本当に欲しいものじゃなくて、アイツを選ぶんだ」
ふっとこの思いが出てきた時、私は「アイツから逃れるために、自分にとって本当に大事なことを選ばなかった、過去の出来事」を思い出していました。
それがあまりに衝撃的で、取返しのつかないことをしたとひとしきりEFTタッピングで悔やんだ後「あいつ変なこと始めた」と吹聴された時の具体的な対応を考え、安心してアイホージュを立ち上げる方へと進んだのでした。
【頭VS感覚】再び他人軸の自分に気づく
ここからしばらくして、予定していた物販がダメになります。
今できることとしてEFTタッピングが浮上した際に、他人軸の承認欲求問題が顔を出します。
「タッピングでアイホージュを立ち上げたなんて言ったら、周りから絶対にアヤシイって言われるに違いない。耐えられない。やりたくない。」
出来事自体全く違うのに、私の躓きは前回と同じ。
でも、この時は、前回の経験から、すぐにEFTタッピングで繰り返せばいいと思いました。
だけれど、EFTタッピングをやったところで、折り合いがつくとはちっとも思えない。
どうやったら提供できる!と思えるようになれるのか。
まったく見当がつきませんでした。
【頭VS感覚】再び他人軸から自分軸への軌道修正をする
同じフレーズを口にする日々を過ごし、私は思い感じ切ったのでしょう。
「世の中の誰かが、この方法を探しているのかもしれない」
この思いがふっと湧いた時、私は事故に遭い、さまざまな情報を集めながら、どうにも自分を立て直せなかった頃のことを思い出しました。
探しても探しても、求める方法に辿り着けない。
そもそもそれが何なのかも、あるのかもわからない。
苦悩していた過去の自分が欲しかったもの。
確かに誰かいるのかも知れない。
自分が自分をありのまま認めるように、クライアントさんがクライアントさんをありのまま認めるなら、再現性はある。
提供しても誰も来なかったら(怪しいって言われずに済むから)それはそれでいいか。
このような感じで、他人軸から自分軸へと軌道修正しながら、一つずつ前に進んでいたのでした。
実体験を経てのまとめ
仮に、思い感じ切ることで自分を満たさずに、
- 「へえ、じゃあ、自分が本当に欲しいものじゃなくて、アイツを選ぶんだ」
- 世の中の誰かが、この方法を探しているのかもしれない」
という一段掘り下がった内容だけを先に知ったとしても気持ちが動かないまま、相反する自分に悩んだでしょう。
選択に自信が持てずに、周囲の承認を求めて安心するのを繰り返したでしょう。
やりたいことをやっているはずなのに、周囲の目が気になって、指をさされないよう、「完璧な自分になること」を自分に課したでしょう。
私は承認を得られた・得られないを自分で判断していることに気づかないまま、無自覚のうちに、周囲の承認を求めては自分を振り回し、すり減らしていたのかもしれません。
相反する自分がいても、ネガティブをありのまま認め、思い感じ切るという自己承認で満たせば、一段掘り下がり、ひとまず次の「関門」までは進める。
実体験を通じて知ったのでした。