EFTタッピングで他人軸から自分軸へ アイホージュ代表・伊藤みつるの歩み

こんにちは。
伊藤みつると申します。
私は現在、EFTタッピングのオンラインサービス「自分軸教習所」を運営する「アイホージュ」を主宰しています。
2009年から16年間にわたり、延べ1,300名以上の方々に「意思の扱い方を他人軸から自分軸へ変えるEFTセッションや講座の提供」をしてきました。
このEFTは、クライアントさん達とのセッションや自身の取り組みを、私・伊藤が言語化・知識化・体系化したものです。
少し長くなりますが、ここでは、私がどのようにしてEFTタッピングと出会い「自分軸で自分らしく生きる」というテーマに辿り着いたのか、その歩みをお話しします。
このEFTがあなたに必要なものなのか、判断材料になると思います。
生まれ育った場所と会社員時代
札幌市に生まれ、青森市で育ちました。
短大を卒業後、大手建材メーカーに営業事務職として入社し、9年4か月勤務。
20代前半、体調不良をきっかけに、病院通いが始まります。
「根本改善をしたい」と思いながらも、どこかに「秘儀」があるのではと雑誌で見かけた、中(国)薬を扱う薬局に興味本位で訪ねた所「食べるという基本がなっていない」と指摘されます。
同じようなことを上司にも言われました。
「僕には、伊藤さんみたいな食生活を続けた、40代の姉がいて今、体調を崩している。
だから、僕には伊藤さんの未来が見える。
そうなって欲しくない。
でも、人は何度も言わないと変わらないから。」
社内で取る昼食を何気なくチェックされ「うるさいな」と思いながら食生活を改める日々を過ごし、少しずつ体調が回復していきます。
薬局に通ううちに「全体を捉えつつ、部分を診る」中医学に興味を持ち始めました。
人生を変える問いかけ
27歳の時、研修で上京した際に、受けた推拿(すいな:中医学の手技療法)で体調が劇的に改善。
「私もやってみたい」と思いましたが、当時は現実的ではありませんでした。
その直後の失恋と、フィリピン在住の友人から数年ぶりに連絡が来たことを機に、人生の流れが変わり始めます。
28歳の秋、仕事中にふと、思い浮かんだ言葉があります。
「あと10年、同じ仕事をするなら?」
無理だと判断し、退職を決意しました。
やりたいことが特になく、ノートに思いを書き綴った結果、消去法で「推拿を学ぶ」ことを決め、30歳で退職・上京。
派遣社員として働きながら、中国人医師陣のもとで推拿・基礎中医学・気功などを学び、「人に施術する前に、自分の体と心を整えることの大切さ」を教わりました。
経験を積んでも自信が持てない
翌年、父の病をきっかけに一度青森へ戻り、半年後に再び上京。
フルタイムの派遣事務職として働く傍ら、夜間と土日に大手リラクゼーションサロンで経験を積む日々を過ごします。
でも、施術経験を重ねても、自信が持てないのです。
「起業したい。でも自分には無理だ。」
「いつか、何とかなるのではないか、でもどうにもならないのではないか」
相反する思いで揺れていました。
不安を紛らわせるために、予定を詰め込みながら
「自信を持つには、周りの人達のように、厳しい修行が必要なのではないか」
と考え、気乗りしないまま人真似をしようとした34歳の時。
父が末期となり、志半ばと感じる中、青森に戻ります。
推拿はできないかもしれない
帰青して数か月後に、営業職に就きます。
車を運転中、赤信号で停止している所へ、大型トラックから追突される過失のない事故に遭いました。
外傷はなかったものの、時間の経過とともに心身に症状が広がり、休職のち退職。
ひたすら寝る時期を経て、「社会から取り残された」という焦りや、後遺症によって「推拿はできないかもしれない」などの不安を感じていました。
半年ほどの間に、次、次と起きたことに対し、受け入れ難い思いを抱きつつ、お先真っ暗と感じる日々を過ごしました。
挫折と焦りの中で
学んだことを活かして、自分を立て直そうとしたのですが、どうやってもできないのです。
これまでの自分の選択全てが間違いのように感じて、起業を完全に諦めました。
それでも、現状を変えるために情報を集めていました。
でも、部分的・表面的・抽象的・スケールが違い過ぎる・地に足がついていないなどと感じ、自分が求める方法には辿り着けませんでした。
集めた全ての情報に精通しなければ、現状を変えられないのだろうか。
私は「成長過程に問題がある」という情報に、心当たりがありました。
でも、過去に戻ってやり直しをすることもできず、かといって現状のまま前に進んで良いとも思えません。
どうしたらいいのだろう。
他にも「ドン底から成功した」という人の「ドン底」と「成功」の「間」に何があるのかを、知りたいとも思っていました。
「間」に何があるのかがわかれば、現状を変えられるのではないか、そう思ったのです。
不満が自分の求めるものを引き出してくれた
焦りや不満を覚える中、自分が求める「現状を変える方法像」が浮かび上がります。
もし「人間に備わっている力」を発揮する「取扱説明書」があるとしたら、どんな内容なのか。
すごい人になるのではなく「私」という、一般の一個人が生きる上で、押さえる必要のある基本は何なのか。
「基本」なら日常使いになるから、小難しいものではないはず。
根本的で、実用的で、現実的でもあるはず。
失意の中、いつか現状を抜け出せたら、自分に何が起きていて、どんな対応を取ったのか、事細かに明らかにしたいと思っていました。
求める方法が、実際に存在しているのかもわからないまま、探し続けていたのですが、この時の私は、抱いた望みの実現に、すでに着手していたのです。
でも、そのことには全く気付いていませんでした。
なぜなら、どこかに「秘儀」があるのではないかと思っていたからです。
こんなに酷い目に合ったのだから、いつか誰かが私に良いように何とかしてくれるのではないか。
そんな期待が拭えませんでした。
そのため、その時に「自分が求めていたもの」が「本当に欲しいもの・望み」だったことも、日々、取り組んでいたことが現実を変える方法だったことにも、全く気づいていなかったのです。
事故に遭った私が本当に欲しかったもの
受傷後、割と早い段階で、私は「納得して事故を終えたい」という思いを抱いていました。
納得せずに終わったら、この先、何かやろうとする度に事故を言い訳に、逃げる自分がいるだろう。
その場をしのいで、ほっとしても、後で自分を責めるだろう。
でも、納得とは何なのか。
感覚的には、確かにそれが自分の中にあるとわかるのです。
でも、それが、「自分がいない場所で、周りに自分のことを決められたくない(自分のことを、自分で決め、行動し、納得のいく結果を得て終わりたい)」であることを、この時点では言葉で表せませんでした。
他人軸から自分軸へ|助っ人との二年
事故に関する知識がなかったため、「納得の感覚」を頼りに、助っ人を探し当てました。
ここから約2年に渡り、助っ人の指示のもと、意思の扱い方が、他人軸のまま自分軸のどうしたいのかに沿って、行動を変え、結果を積み上げるプロセスに入ります。
確かに私は、納得したいと思っていたのです。
でも実際の行動は、
必要な対応を取る場面で「やりたくない」と答えることで、助っ人に「私の都合の良いように、いい結果だけを与えて欲しい」
と答えるミスマッチが起きていたのです。
助っ人から「これはあなたの問題で、私の問題じゃない。やりたくないなら、やらなければいい。」と一括され、頭を殴られたかのような衝撃を覚えたのを機に「今までのやり方ではダメなんだ。言われたことは全部やろう」と決めたのです。
毎回、助っ人から「あなたはどうしたいのですか?」と問われ、その度に「わからない」と感じたまま、答えを捻り出し、行動していました。
思考や感情などが追い付かず、「うまくいくはずがない」と憂うつになりながら、自分がどうしたいのかに沿って、仕方なく行動すると、思いもよらない良い反応や結果を得て、拍子抜けする、
これを、ヒト・モノ・コトを変え、繰り返していました。
このプロセスこそが、後にEFTタッピングの二つの基本となるものです。
- 自分の意思を尊重する
- 自分と周囲の違いを尊重し、必要に応じて互いの合意点を見出し、実行する
でも、示談を終えた直後は「なぜ自分が納得したのか」を言葉で説明することはできませんでした。
「納得」と「立ち上げ」に伴う感覚が同じと気づく
納得して、示談を終える日の朝のこと。
自分の中から「アイホージュを立ち上げたい」という思いが湧きました。
いつものように「無理」と抑え込もうとした時、気づいたことがあります。
「納得して事故を終えたい」と「立ち上げたい」と言う思いに伴う、自分の感覚が同じだ
だとすれば、この感覚をどこまでも追い求めたら、立ち上げられるはず。
事故に遭ったからこそ、できることがあるはず。
「・・・ということは、また憂うつになりながら行動する日々が続くのか。
このまま進むのは、得策じゃないな。」
そう思う程に、気持ちがついて来ないまま、自分がどうしたいのかに沿って行動をすることに、強いストレスを感じていたのです。
でも、このストレスが後に役に立つのです。
EFTタッピングとの再会
具体的に、何をしたらいいのかわからないと思いながらも、少しずつ立ち上げの準備が進む中。
EFTタッピングの講習会の通知メールが目に入りました。
事故の後始末をしていた時に一度だけ「感情や思考などをありのまま認める」EFTのセッションを受けたことがあり、
それが良かったので、受講を決めました。
学んでみると、同じEFTでも提供者によって内容や進め方が異なるとわかりました。
二つを使い比べた結果、私は、自分の感覚に合う方法「感情や思考などをありのまま認めるに徹する」を選びます。
とはいえ、当時の私にとってEFTとは
ネガティブな感情を認めたらスッキリするのはわかる
でもそれを自分の悩みを解決したり、望みを実現したりすることには、結びつけられないもの止まり
そのため、自信を持って、事業を立ち上げるために「施術に関するセミナー」に参加し続けていました。
その時に学んだのが操体法。技術の面でとても勉強になりましたが、同時に、すでに事業を立ち上げていた方たちと過ごすことで、やっている気になったり、ぼんやりと秘儀を求めたりもしていたのです。
お金がなくなったことで現実を直視する
そんな風に過ごすうちに、金銭面で心許なくなりました。
ここで、現実を直視することになったのです。
「立ち上げに対する強い抵抗や葛藤」が生じ、準備が進みません。
椅子一つ動かすのでさえ理由をつけ、やれないと感じていました。
これを機に
何の役に立つのかわからないまま、自分の悩みを一つ題材に、EFTタッピングでネガティブな感情や思考などを認め続ける
ようになりました。
結果、取り組んだ内容に対し、なぜかわからないけれど、納得して動けるようになるという変化が生じます。
これに伴い、EFTを使うコツをつかんだのでした。
ネガティブを否定するのではなく、認めることで頭と心が納得した上で動ける面白さにはまり「良いものを見つけた」と夢中になりました。
EFTを日常使いしていたある日。人に対応している時の「自分の思考や言動のおかしさ(他人軸)」に気づきます。
ここで、自分をありのまま認める以外に、何が必要なのかを考えたことが、「二つの基本の存在」を言葉で表すきっかけとなりました。
常に、この二つの基本に則ってEFTのことば(フレーズ)を作っています。
怪しいと言われるのが嫌だからやりたくないと思っていたEFTの提供を決める
当初、アイホージュでは、推拿の他に物販を予定していました。
金銭面で物販がダメになり、代わりにEFTが浮上した時。
「効果は実感している。
でも、人から怪しいと言われるから、絶対にやりたくない」
強い抵抗や葛藤が生じ、身動きが取れなくなりました。
これらの抵抗や葛藤を、ひたすらEFTで認め続けていたある日。
ふと自分の中から「この方法を世の中の誰かが探しているのかもしれない」という思いが湧き上がります。
その瞬間、事故を機に自分を立て直せず、情報を集めては、求める内容に辿り着けなかった過去を思い出しました。
「あの時、探していた方法がこれなのか。
だとしたら、確かに探している人がいるのかもしれない。」
そう思い「変化の再現性があるのか」を考え、あると判断。
- 自分の感情や思考をありのまま認める
- クライアントさんの感情や思考を認める
これだと置かれている条件や、悩みや望みの「中身」などが違っても、その人の現状に合った「変化や効果」が得られると考え、提供を決定。
その後、講座に参加し「人に提供する方法」をセッション形式で学びました。
ありのまま認めるこの先に何があるのかを見てみたい
EFTの積み重ねるほど、自分に生じる変化が面白く「ありのまま認めるこの先に何があるのかを見てみたい」と思いました。
その時
- この先に何があるのかを見てみたい
- アイホージュを立ち上げたい
- 納得して事故を終えたい
という、それぞれ違う思いに伴う、自分の感覚が同じだと気づきました。
ならば、どこまでも認め続けたら「その先」に辿り着けるはず。
ないない尽くしの立ち上げだったため、「EFTをしながら、今できることを一つずつやる」ことに徹し、2009年、38歳の時にアイホージュを公開。
ホームーページとブログ記事の更新及び、知り合いのお店にチラシを設置し、宣伝をした所、県内外からお客様がおいで下さるようになりました。
2012年より、遠方の方を対象にSkypeでのオンライン対応を始めました。
クライアントさんと共に形づくった「アイホージュのEFT」
2009年、セッション前のヒアリングの時。
クライアントさんから、このような「悩み」が出てきました。
プライベート、仕事、親子や同僚、恋愛のパートナーといった人間関係、結婚、お金など悩みがたくさんあるのに、解決しようとすると別の何かが絡んできて、結局何もできない
私の中で、クライアントさんの訴えと、同様の疑問を過去に抱いていたことが、重なりました。
「原因が分かれば、根本から手が打てるはず。
どこまでも、ありのまま認めていけば、それがわかるのではないか?」
そう思ったものの、この時点では、まだ何もわかっていませんでした。
点がつながり、線になる時
「一つの悩みを題材にEFTをし続ける」うちに、点と点がつながり、一つの線になる時があります。
事故後の始末と、EFTを使ったアイホージュの立ち上げを通じて、変化の体験が先行していた私は、クライアントさんの訴えが「点」のまま、自分のEFTやクライアントさん達へのセッション内容を言語化することで
- つまづきや原因
- 立て直す方法
- 自分にとっての納得とは何だったのか
などを割り出していきます。
いくつもの「点」を結びつけながら、「他人軸から自分軸へ意思の扱い方を変える」という一つの方法を見出していきます。
人が繰り返す「つまづきの型」に気づく
セッションの現場では
- クライアントさんが、どうしたいのかわからないと訴える
- 感情開放だけでは足りない
- 葛藤や抵抗などを認めつつ、頭と心が納得した上で、一つずつ前に進む、細やかなアプローチが必要
などの共通点が見えてきていました。
年齢も、成育歴も違うのに、皆の訴えが同じように聞こえるのはなぜ?
そう思っていた頃、60代のクライアントさんが、若い頃から現在に至るまでにあった、嫌な出来事を6-7個話して下さっいました。
その時、私は気づきました。
ヒト・モノ・コトなどには、「外側」には、共通事項が見当たらない
でも、「外側」に対応する、クライアントさんの感情、思考、言動の「型」が、同じだ
つまり、ヒト・モノ・コトを変えて、つまづきがパターン化している。
セッションを通じて、人は「~したい」という欲を中心に動くことにも気づいていました。
そのため、「ヒト・モノ・コトに対応する際のクライアントさんの意思の扱い方」に焦点を当てた取り組みに徹するようになったのです。
他人軸には3つのタイプがある
セッションの提供を通じて、自分と同じ「承認型」と呼ぶ考え方をするクライアントさんと、明らかに違う考え方「自由型」のクライアントさんに分かれることに気づきます。
「努力型」を理解したのは2018年のこと。
それぞれ「型」に合った現状の変え方があります。
これを無視して「承認型」が「努力型」の真似をしても、「承認型」のまま他人軸に居続けてしまう。
「承認型」「自由型」に特化したサービスは、あまりないはず。
それだけでも取り組んだかいがあると個人的には思っています。
講座の提供とオンラインサービスの開始
2011年、効果を実感したクライアントさんから、EFTのやり方を教えて欲しいという依頼を受けたのを機に、言語化してきた内容の知識化に着手。
同年、腰痛患者の撲滅を目指す「グリーンライトネットワーク」の腰痛ゼミナールで「EFT」講座の共同開催。
2012年末まで、青森・八戸・東京・大阪・福岡で講座を行うと共に、電話でのセッションや個人講座も開始しました。
このまま拡大路線に向かうものと思っていました。
「広げる」から「深める」へ|内なる探求の時期
ところが、2013年以降、私の納得の感覚は、内へと向かうよう促します。
訳がわからず、このままアイホージュを潰すのかもしれないと思いました。
でも、これで良かったのです。
2021年頃まで、EFTの提供を継続クライアントさんにほぼ絞った状態で、セッションという短期の取り組みを、中・長期に積み重ねることで得られる変化や影響などを、追いかけることになりました。
中・長期的な取り組みの必要性
例えば、他人軸は「人に優しい」と言われます。
でも、中・長期的に他人軸による対応を積み重ねると「自分と相手を否定・批判・攻撃するようになる」「自分がどうしたいのかわからず、的を射ない対応の繰り返しで、疲弊する」「人間関係は足の引っ張り合いになりやすい」のです。
他人軸が本当に人に優しいのかは、短期的な取り組みだけでは見えないのです。
幼い頃から、日々、周囲への配慮を促されてきたからこそ、日本人が陥りやすい「他人軸」。
「自分軸」は勝手と言われがちです。
でも、実際は、自分の意思を認め、持ち味を発揮することで、自分も周りも守れるのです。
互いの意思の違いによって、刺激し合いながら、発展することもできます。
だから、中・長期に「認め続け、取り組みを掘り下げる」ことが必要だったのだと今では思っています。
内なる個人的な探究
この時期、個人的には、セッションで経験や術を積み重ねつつ、抑圧していた過去や傷に向き合いながら、他人軸から自分軸へ「意思の扱い方」を変えるEFTに取り組み続けていました。
過去に取り組んだ内容であっても、思い出す度に、徹底してEFTを繰り返すということもしていました。
業務上、やって損はないだろうし、何が起こるのかを知りたかったのです。
その結果、同じ内容のEFTを繰り返しているようで、必要に応じて中身が掘り下がり「現状をより良くするヒント」として使えることがわかりました。
「子ども時代」に答えがあった|ありのまま認めるこの先にあったもの
2013年以降、セッションで「現在のつまづきの原因は、過去にある」と実感したクライアントさん達から、子育ての相談を受けるようになりました。
「なぜ、子どもを産んでいない私に?」と不思議に思いながらも、セッション同様、二つの基本を土台に、お子さんと関わることを提案しました。
なぜ「子ども時代」が答えなのかがわからない
2012年にEFTを始めた、一人のクライアントさんに、2015年春、次々問題が起こりました。
その度にセッションをすること半年間。
「ヒト・モノ・コトを変えて、同じつまづき(他人軸)が起こる」のを何度も目の当たりにしながら、私の中で猛烈な怒りと疑問が湧きました。
本来、自分の力を発揮するはずの時間帯に、なぜ、時間や労力、お金を費やして、ご自身の立て直しに注力しなくてはならないのか
過去のどの時点で、具体的に、何をしていたら、このような躓きが起きずに済んだのか
この時、唐突に「ありのまま認めるこの先に着いた」と感じました。
意味がわからずにEFTをした所、「子どもの頃」という答えが浮上。
これは、セッションを通じて、分かり切っていたこと。
何を今さらと思うばかりでした。
「子ども時代」がありのまま認めるこの先だった理由を知った時のこと
そんな中、個人的にEFTをし続け、迎えた2016年の春。
何気なく過去を振り返り、小さい頃から現在に至るまでの、自分の動きをつなげていた時のことです。
同じ自分の人生なのに、全く違って見えるという現象が起こりました。
- 他人軸で捉えると、何もかも中途半場。これでいいとは思えないけれど、どうしたらいいのかわからない
- 自分軸で捉えると、小さい頃に抱いた疑問の答えを探し求めて、一つ一つ人生を前に進めていたことが、アイホージュの立ち上げ、サービスの提供につながっている
驚くと同時に、どちらが自分の人生なのか、わからなくなりました。
EFTによって現在では「どちらも自分の人生だ」と捉えています。
あの時代は何だったのだろう
さらに自分軸の観点で過去を振り返ると、驚くことに、昔の時点ではわかるはずもない、未来を示唆するようなことが、日常の様々な場面にちりばめられていました。
そのうちの一つ「あの時代はいったい何だったのか」
友人たちとの間で話題に何度かのぼった、中学校の管理教育に意識が向いた時のことです。
管理教育とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、これに従わせる様式の教育方法
Wikipedia
他人軸になった原因は年代によって違うと思うのですが、「管理教育」の影響は結構大きいのではないでしょうか。
「社会性を育む(協調)」が組み込まれ、個人の欲求や希望よりも、社会全体の統制が優先されることに適応させようという全体主義的な理念も在るが、同時にこれら生徒の主体性を否定し、ともすれば性悪説的な理念に基づいて、管理と統制が無ければ個人は社会の中では無価値だという発想も見て取れる。
Wikipedia
確かに、他人軸で意志を扱っている場合、自分がどうしたいのかがわからないし、「周りに認められない自分には価値がない」と感じるのですよね。
だから、常に周りから認められる、完璧な自分になろうと努力することになるのです。
当時の政府(文部省)としても冷戦構造における国民のあり方として、児童・生徒が従順で均一な労働者に育ってくれることを望んでおり、(当時の職場は年功序列色が強く、上の立場の者に対しては盲目的に従順な体育会系従業員が好まれた)、また、教育現場においても児童・生徒数の増加等を背景とし、指導がしやすいような協調性や団結力をしつけようとしていた。
Wikipedia
この時代
- 男の人が大黒柱となって働き、終身雇用。家庭を持って一人前
- 女性は仕事をしても結婚したらやめて家庭に入り、子を育てて一人前
ような「幸せ」と呼ぶモデルがありました。
つまり、自分がどうしたいのかよりも、男女の役割を持って「他人軸で生きることを、良かれと促されていた」と言えるのです。
もちろん、管理教育にあっても、主体的に生きた人がいるはずです。
残念ながら私はそうではありませんでした。
バブルと氷河期の間で思ったこと
私が就職したのは、バブルの崩壊直後で、翌年から「就職氷河期」が始まりました。
同じ学年なのに高卒・短大卒はバブル、大卒が氷河期という線引きがあったのです。
「一年」の違いで状況が大きく変わったことは、私にとって衝撃的でした。
「従順に従う」ことを身に着け育ったのに、社会に出たらはしごを外され、自己責任と言われる
なんて、たまったものじゃありません。
でも、身に着けているのが「他人軸」であれば、このまま頑張るしかありません。
上の都合の良いように扱われ、安い賃金で詐取されたり、休みがなくても、我慢するしかない。
「うまくいかないのは、自分が悪いから」という風に捉えるようになります。
周囲への配慮を身に着けた、日本人の持ち味が、都合よく扱われる流れにあったのだと、個人的に捉えています。
運に関係なく生きたい
管理教育で「やっているフリをしてその場をしのいでいた」私は、運で何とかなっている気がしていました。
いつか何ともならなくなるんじゃないか。
運がなくなったら怖い。
「運に関係なく生きたい」と思っていました。
でも、自分にとって「運」とは何だろう。
自分軸の観点で、自問した時「何もかもが思い通り・・?」という答えが出てきました。
「何もかも思い通り」とは、他人軸で望む内容です。
私が「秘儀」と呼んでいたものは、他人軸の状態で指す、運の良さ のことだったのです。
「なんだ、それならいいや。」
そう思った理由は、EFTを通じて、自分軸の「どうしたいのか」に沿って行動することで、「運」が作れることを経験を通じてわかったからなのです。
伏線を回収してがっかりする
このような感じで伏線の回収をしていた時、さまざまな発見があって楽しかったのですが、一通り終えた時、私はすごくがっかりしました。
「生きる上で押さえる二つの基本」という人生の最初の段階で、つまづいたことに気付いたからです。
そして、その基本を探すために、自分の人生を費やした。
最初の段階で、基本がわかっていたら、別な人生があったんじゃないか。
望んだものを手にして、別の方が良かったのでは?と思うのはよくあることです。
落ち込みが止まらず、この話を仲の良い友人に話した所
「(伊藤が)EFTを通じて、発見したことを話している時、とても楽しそうに見える。
恐らく、7年という短い期間で、凝縮して物事や変化を見ていて、だからこそ、できる発見がたくさんあったんだと思う。」
友人の意見によって、私の中で新たな捉え方が生まれます。
改めて、がっがりをEFTで認めた後
「基本を知らずに、自分の人生を他人軸でしか捉えられないのだとしたら、とてももったいない」
そう思ったことが、さらなる原動力となったのでした。
変化のプロセスの共通点と積み上げの力
継続セッションで、クライアントさん達の「現在の取り組み」が、未来へとつながり、活きることを目の当たりにしながら気づいたことがあります。
それは
起きていることは皆違うのに、変化のプロセスは、私が事故の始末をしていた約2年の間に取り組んでいた内容に似ているということ
日々、取り組むことは「自分の意思の意思の扱い方を、他人軸から自分軸へ変える」なのですが、毎回少しずつハードルが上がります。
渦中は苦しくても、EFTを使えば、頭と心が納得した上で動けますし、必要な段階を踏んで積み上げた経験や、対応力、術、自信などは、いくらお金を出しても買えないのです。
基本に則り、的を射た、地道な取り組みの積み重ねに勝るものなし。
そう思っています。
図で伝える試み|マズローの6段階欲求に重ねて
2018年から2020年にかけて、言葉による説明に限界を覚え、これまで取り組んできたことを、図に表そうと考えました。
特に
- 他人軸で捉える自分軸は、結局、他人軸である
- 他人軸と自分軸は使い分けができない
ことを伝えるのが難しいと感じていました。
試行錯誤した後、「人生とは、生きるとは、自分の意思・欲を扱う連続」なのだから「マズローの6段階欲求」に、取り組んできたことを当てはめてみてはどうだろう、という所に行きつきます。
その過程で、次々と疑問が湧きます。
- 自分って何?
- 欲って何?
- 何のために自分の欲を扱うの?
- 何のために人は生きているの?
- 自己実現って何?
- 自己超越って何?
- 自己実現と自己超越の違いは?
- なぜ、5段階目までと6段階目は形が違うの?
詳しくは別の記事で触れますが、 自分の欲を自分で扱い続けることが「唯一無二の、自分らしさ」になるのです。
自分軸で自分らしく生きるというテーマのEFT
何のために生きるのか。それは「自分らしく生きること」
日々の自己実現が満ちた時に、集大成となる「自分がどうしたいのか」が生まれる。
それが、自己超越の合図になる。
事故の後始末からアイホージュを立ち上げるまでのプロセスも、継続のクライアントさん達のプロセスも、マズローの図に当てはまっていたのです。
自分と周りの意見を尊重しつつ、共に発展する人間関係を築けると改めて判断し、「自分軸で自分らしく生きる」EFTタッピングの提供をしています。
他人軸で意志を扱い続けてきた=可能性と伸びしろがたくさんある
ということです。
あなたの可能性をひらけるのは、あなただけです。
アイホージュでは、他人軸から自分軸へ。意思の扱い方を変える、あなたの歩みを支えるステップを用意して、あなたがおいでになるのをお待ちしております。
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